2013年2月12日火曜日

「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」(Nさん)。

 スポーツ界になにかスキャンダラスなできごとが起きると,すぐにマス・メディアが反応して,寄ってたかってその「異常性」を叩く。この傾向はもうずいぶんむかしからつづいている。しかし,わたし自身はそんなに異常なことだとは考えてこなかった。なぜなら,日本社会のあちこちで日常的に起きている不祥事と,本質的にはなんの違いもないことだ,と考えてきたからである。つまり,同根異花にすぎない,と。しかし,そのことを支持してくれる人はほとんどいなかった。

 もちろん,だからといってスポーツ界に起きている不祥事(最近は多すぎる)を容認するつもりは毛頭ない。社会でおきている不祥事と同じように,なんとかして根絶すべき問題だと考えている。ただ,スポーツ界の不祥事だけが特異現象のように扱われることに異を唱えているにすぎない。しかし,社会一般に起きている不祥事と,スポーツ界での不祥事は別問題だ,という指摘をこのブログへのコメントとして匿名さんからしばしばいただいている。とりわけ,原発問題とスポーツ界の問題とを「混同するな」という罵声にも似たコメントをいただくことが多い。

 しかし,よくよく考えた末のわたしなりの結論なので,そんなにかんたんに譲歩するわけにはいかない。つまり,よりよい社会を構築するために考え出された近代論理(自由,平等,自由競争,優勝劣敗主義,科学的合理主義・・・等々)を,一生懸命に追求し,実践してきた必然的結果が,残念ながら,こんにちわたしたちが目の前にしているこの社会なのだ。近代スポーツ競技もまた,その必然の産物のひとつにすぎない,と。

 このことを,ここ数年,講演を頼まれるさきざきで主張してきたのだが,あまり芳しい反応はない。もちろん,わたしの話し方にも問題があるのだろうが,どうも,それは別のことだろうという一般の認識の方が強いようである。だから,どうしても違和感を拭いきることができないままで,話は終わってしまう。

 このブログでも,これまで,何回も話題を変えてはこの問題について言及してきたつもりである。しかし,どうも,いま一つ,いい反応がみられない。寂しいかぎりであるが・・・・。

 ところが,である。今日(11日)の昼下がりに,嬉しい人から電話があった。太極拳の兄弟弟子のNさんからである。わたしの思想・哲学の師匠でもあるNさんから,山口香は素晴らしいねぇ,さすがに「女三四郎」だけあって切れ味抜群だねぇ,と。彼女の主張を全面的に支持したい,とも。

 話はここからはじまって,女子柔道界に起きているさまざまなことがらから,全日本柔道連盟のあり方,JOC理事の橋本聖子の言動批判,さらには,スポーツとはなにか,といった普遍につながる大問題にも話が展開し,いくつもの考えるヒントをいただいた。まことにもって嬉しいかぎりである。

 その中の一つが「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」というNさんの指摘だった。そして,「だから,柔道界の問題を特異現象として歪曲化しないで,社会全般のあり方の問題として,その本質に斬り込んでいく必要がある」とも。わたしは嬉しかった。一瞬,涙が出そうになったが必死でこらえた。

 なぜなら,そんな感傷的な気分に浸っている猶予もなく,Nさんの口からつぎつぎに重要なことばが繰り出されてくるからだ。たとえば,「いま,スポーツの問題を考えることはとても重要なことなのだ」からはじまって,「スポーツのスペクタクルは現代人の規範構築にとてつもなく大きな役割をはたしている」とか,「前近代までは,その役割は宗教が担っていたのだが,宗教なき時代にあっては,スポーツがその肩代わりをしている」とか,「山口香は平成日本のジャンヌ・ダルクだ」「だから,いかようにも利用可能だ」「でも,ジャンヌ・ダルクに終わらないようにしないと・・・」という具合である。こうした,指摘の一つひとつが,わたしにはとても刺激的で,重く響いた。

 これらの指摘の一つひとつは,とても重要な問題をはらんでいる。しかも,奥が深い。いずれ,それら問題のわたしなりの受けとめ方については,このブログをとおしてしっかりと考えてみたいと思っている。

 これから当分の間は,スポーツ界のスキャンダルの話題がつづくことになるだろう。3月にはIOCの理事たちが,また,遠からず国際柔道連盟の調査団が,そして,秋にはオリンピック招致運動の決着がつく。だから,どうしてもスポーツに固有の問題として,いま起きている「暴力」の問題が矮小化される傾向がある。

 しかし,そうであってはならない。なぜなら,
 「いま,スポーツ界で起きている問題は日本社会の縮図」なのだから。そして,同時にそれは「世界を写しだす鏡でもある」のだから。つまり,いま,スポーツ界について考えることは世界を考えることなのだから。

 だから,いまこそ,「スポーツ批評」を立ち上げる絶好のチャンスでもある。それも,しっかりとした思想・哲学に支えられ,武装した骨太の「スポーツ批評」を。そして,これをこそ,わたしのこれからの仕事の重要な柱のひとつにしていかなくてはなるまい。

 こんなことを考えさせられた今日のNさんからの電話であった。感謝あるのみ。

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