2013年2月2日土曜日

園田監督辞任,内柴被告判決。柔道界に激震が走る。それも国際柔道連盟からの「外圧」によって。

 桜宮高校バスケットボール部での事件をきっかけにして,同様の暴力的な体罰があちこちで起きていることが炙りだされ(駅伝の豊川工業高校,など),ついには,柔道界を震撼させる事件にまで進展し,とどまるところを知らない。まるでスポーツ界だけが駄目になってしまっている,といわぬばかりの報道が連日賑わせている。こういう報道がつづくと,スポーツ界だけがとてつもない病理に陥っているという印象を,多くの人びとに与え兼ねない。もちろん,いま,スポーツ界で起きている一連の暴力事件についてはなんの弁護の余地もないが,しかし,これはスポーツ界だけの特異な現象なのだろうか。

 昨日(1月31日)の園田監督辞任の報道につづいて,今日(2月1日)は,内柴被告の判決(懲役5年の実刑判決)が言い渡された。連日にわたる柔道界を震撼させる大事件である。柔道関係者のみならず,多くの人びとが,なんとも言えない複雑な感想をもったことと思う。かく申すわたし自身も,穏やかな気分ではいられない。あまりに根の深い問題だけに,軽々しくものを言うことはできないからだ。ここは慎重な言動を要する,と。

 そう考えていたら,夕刻には,ドイツの友人から「どういうことが起きているのか,お前の考えを知らせろ」というメールが入った。園田監督辞任も,内柴被告判決も,すでに世界を駆けめぐる重大なニュースになっているのだ。問題が「柔道」であるだけに,世界に及ぼす影響は測り知れない。

 ドイツの友人からのメールによれば,「ドイツでは考えられないことだ。われわれが理解している柔道とはまったく別世界のことが本家の日本で起きているように思う。いったい,なにが起きているのか,ことの真相を教えてくれ」という。

 困った。正直にいえば,日本社会全体が病んでいる,その一端が,たまたま柔道という場で表出した,というただそれだけだ,とわたしは考えている。しかし,このことをそのままドイツの友人に伝えるには相当の勇気と手間隙がかかる。かといってごまかすわけにもいかない。さあ,どうしよう,と考えあぐねているところに,別の情報が入ってきた。

 午後9時からのNHK「ニュース・ウォッチ9」で,国際柔道連盟が「嘉納治五郎の精神に反する事件だ。必要な措置をとる」という批難声明を出した,と報じたのだ。こうなると,もはや,日本国内だけの問題ではなくなってくる。さあ,全日本柔道連盟はどのような対応をするのだろうか。園田監督を訓戒処分にして,そのまま留任させる,という程度の認識しかなかった全柔連の「甘さ」がすでに露呈している。もちろん,このことを承知の上での国際柔道連盟の批難声明であろう。そこには,あまりに大きなズレというか,ギャップがある。

 場合によっては,国際柔道連盟から一時的に「除名」される可能性もある。あるいは,期限付きで,国際大会への出場停止処分,この可能性は大きい。少なくとも,国際柔道連盟による実態調査は行われるだろう。あるいは,最低でも,全柔連に調査報告を求めてくるだろう。

 断っておくが,これほどまでに堕落した日本の柔道界(あるいは,スポーツ界)の実態は,日本社会全体の単なる縮図にすぎない,ということだ。なにもかもが,なあなあ主義,ことなかれ主義,みてみぬふり主義,無責任主義,そして「声の大きな人」の意見に従う「自発的隷従」主義が,日本社会のすみずみまで浸透している,ということだ。その緩みきった体質からの「甘え」の一端が露呈したにすぎない。

 しかし,国際社会からすれば,まったく通用しない非常識もいいところ,とんでもない国,そして,なんとも不可思議な国・日本ということだ。そういう実態を,わたしたちですら「3・11」以後になって,その事後処理の,あまりの無責任さ,いい加減さを,連日のテレビ報道をとおして,初めて学び知ったにすぎない。そして,そのお粗末な実態はいまもつづいている。第一,だれひとりとして「責任」を問われることもなく,ましてや「被疑者」にも「犯人」にもされることなく,全体責任で逃げ切ろうとする姿勢が,政界・財界・官界・学会・報道界にまで浸透している。

 この体質と,柔道界の体質は,瓜二つである。ほとんどどこも違わない。

 これから日本の柔道界は国際社会のなかで,ある種の審判を仰ぐことになる。が,それでもその大本は大した痛手になることもなく,やり過ごすことになるのだろう。そして,まるで「トカゲの尻尾切り」のようなかたちで柔道界やスポーツ界がメディアの槍玉に挙げられ,世の集中攻撃を浴びることになるのだろう。まるで,見せしめの「さらし首」のようにされて。しかも,それを隠れ蓑にして,本家本元の巨悪は懲りることもなく生き延びていく。

 こんな図式がわたしの頭のなかに浮かび上がってくる。
 さて,このことをドイツの友人に,どのように伝えようか。

 いやいや,ドイツの友人は,おそらく,このブログを読んでいる。日本に2年間,留学していたので会話はほとんど不自由しない。しかも,このブログはグーグルをとおして多くの外国語に翻訳可能なシステムになっている。

 それだけに,わたしの責任は重い。覚悟が必要だ。

1 件のコメント:

竹村匡弥 さんのコメント...

僕たちの気づいていない、、、なにか深いところ、ずっと根っこのところが、完全におかしくなっている。。。
見失ってしまった何か・・・深いところの何か。。。

それは理性的なところや、それで解決できるところではなくて、かなりの部分で、「からだ」のところというか、、、
響き、引かれ合ってる身体的なところ。。。だによ。

もしかしたら、逆に、それを取り戻すことが可能だとして、その可能性の一端を担っているのもスポーツなんだによ。。。