2013年10月1日火曜日

カール・ルイスが10秒を切ったとき,ぼくに衝撃が走った。為末大,談。

 鷺沼の事務所で原稿を書いていたら,途中で集中力が途切れてしまい,いつものようにコーヒーを淹れながらラジオを聞いていました。もちろん,81.3(エイトワン・ポイント・スリーのテーマ・ソングがさまざまなヴァリエーションで流れてきて,わたしは大好きだ)のJウェーブ。今日(10月1日)の午後3時30分ころに,突然,まったく突然に,為末大さんの談話(録音)が流れてきました。

 そういえば,このところ為末大さんの露出度が目立つなぁ,と思っていたところでしたので,それとなく耳を傾けていました。元400mハードルの銅メダリストとして一躍有名になったかつての名選手,経済に詳しい(株が趣味とか),本も書く,ITに詳しい,まんが・アニメ大好き,テクノ・サイエンスに詳しい,という程度にはわたしも知っていました。これまでにない少し変わった元陸上競技の選手,そして,タレント性もあり,意外に知性が高い人というのも,なんとなく承知していました。

 が,今日の談話を聞いて,アッと驚きました。もちろん,編集がしてあって,一番いいところだけを抜き出して流したようです。が,それにしても,ムッ,この人は?と考え込んでしまいました。やはり,トップ・アスリートと呼ばれる人たちの何人かはわれわれ凡人とはまったく違う別世界を生きているんだ,ということを再確認させられました。

 今日の談話のポイントをわたしなりに,記憶を頼りに,書き出してみますと以下のとおり。 

 銅メダルをとったときのレースは,いまでも忘れることができません。いつもの自分とはまったく違う別人の自分が立ち現れて,まるで弾けるようにしてレースがはじまりました。自分でもびっくりするような走りが,いつまでもつづくのです。いったい,自分は,いま,なにをしているのだろうか,と思うほどに驚きました。そうしたら,やはり,驚くべき記録がでていたのです。その結果が銅メダルでした。

 レース後に一番驚いたのは自分です。感動に打ち震えていました。いったい,なにが起きたのだろうか,と。そのうちに,観衆にも,わたしの感動が伝わっていくのがわかりました。多くの人が感動して声援を送ってくれるのもわかりました。やはり,選手が感動するような走りをすれば,それはおのずから見ている人には伝わるものなんだ,と理解しました。

 このときの感動とともに,わたしの過去の記憶がよみがえってきました。それは,カール・ルイスが100mで初めて10秒の壁を破ったときの走りです。ぼくは,その走りをみていて,記録以上の衝撃を受けました。その走りは,もはや,人間のそれではありませんでした。まったくの別世界の走りでした。こういう走りがしてみたい,そのときのぼくは感動に打ち震えながら,強く熱望しました。それからのわたしの陸上競技生活の質ががらりと変わりました。無我夢中で練習に励みました。もちろん,いろいろに創意工夫をしながら・・・。

 人間は自分を超え出るときがあります。このときの感動は口では言い表せません。それほどの感動です。だから,その感動は見ている人にも伝わるのだと思います。スポーツの素晴らしさはここにある,と考えています。

 こんな為末大さんの談話を聞きながら,そういえば,大相撲の力士・遠藤も似たようなことを言っていたなぁ,と思い出していました。

 遠藤は9勝を挙げながら,左足首の捻挫で惜しくも休場してしまいましたが,かれも面白いことを語っていたのを記憶しています。それは,父親に薦められて,小さいときから相撲をやっていましたが,それほど好きにはなれず,途中で何回も相撲は止めたいと思っていました。ですから,途中で,パスケットボール部に入ったりしていました。が,あるとき,朝青龍の相撲をみて,こんなに面白い相撲があると知り,以後は,迷うことなく相撲の道をまっしぐらでした。もし,朝青龍というような名力士がいなかったら,いまのわたしはいなかったと思います。

 つまり,為末大さんはカール・ルイスの走りをみて,そして,力士・遠藤は朝青龍の相撲をみて,本気でその道に入った,と言っています。この人間業とは思えないような,まるで神の降臨に出会うような,潜在的なるものが顕在化するその瞬間(蓮實重彦)に立ち会うと,人間はまるでなにかに触れたように奮い立ちます。そうして,普通ではない,ある種の狂気の世界に入っていきます。この狂気が,じつは,偉大なる仕事をなしとげるには必要不可欠なことなのです。

 もちろん,ここでいう狂気には,大きなものから小さなものまで千差万別,さまざまなものがあります。だから,人は,それぞれのレベルに合った狂気に反応し,それを受け止め,それなりに人生を切り開いていくことになります。その世界は,いいとか,悪いとかの世界とは無縁です。もはや,だれも止めようのない,純粋無垢の世界です。

 為末大さんの,ラジオの談話を聞いて,わたしもまた新しいなにかに触れたように思います。あるいは,これまで考えつづけてきたことが,一気に弾けたということかも知れません。もっともっと,みずからの感性を信じるべきではないか,と。そういう生き方こそが,真に生きるということの内実ではないか,と。スポーツを考えるということは,生きることの意味を考えることだ,と。

 ああ,なんとも,久しぶりの至福のときでした。
 

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