2013年10月6日日曜日

『スポートロジイ』第2号の合評会が無事に終わりました。報告・その1.

青山学院大学の河本洋子先生のお世話で,第76回「ISC・21」10月東京例会が開催され,無事に終わることができました。午後1時から午後6時まで,あっという間に時間が過ぎていました。それほどに熱中できる密度の濃い時間でした。

第一部の情報交換から,すでに,話題が満載。こちらは,全員,ひとことずつお話をしてもらう時間なのですが,みんな聞いてほしい話がいっぱいで,なかなか順番がまわりません。全体の半分あたりのところで,時間切れ。あとは,ごめんとばかりに打ち切り。

ここで話題になったことは,以下のとおり。
竹内敏晴さんの話(出版記念会,藤原書店,唯さんのこと,名古屋での研究会のこと,など),テニスの日本語表記をめぐる諸問題をとおしてみえてくる歴史が面白い,ボーデ(Rhythmische Gymnastik)とクラーゲス(『リズムの本質』)と西谷修(一つひとつの命)のEigenwesen をめぐる思考仮説,『近代日本の身体表象』(瀬戸邦弘,杉山千鶴編,森話社),オリンピック教育,ボディ・ビル,モンゴルの土地所有の進展と身体の変容,イデオロギー論争からはじまった東西ドイツのスポーツ論争,以下,割愛・・・・・・という具合です。

どの話題一つとってみても,みんな一時間,二時間を要する話題ばかりです。最近のこの例会では,第一部の情報交換の時間がとても充実してきて,参加する人たちの目の輝きが変わってきました。やはり,短い時間でもいい,どんな話題でもいい,プレゼンテーションをするということは,人間の姿勢を変えてくれます。そして,新たな自己をそこに見いだすことができます。新しい自己の表出は,そこに参加している人にも不思議な力を与えます。こんなところに,集まってきて,わいわい,がやがやと議論することの意味があるのだ,としみじみ思います。

結局,第一部が終わったのは午後3時。少しだけ休憩を入れて,すぐに第二部の合評会『スポートロジイ』第2号に入りました。
こちらも話題は満載です。
まずは,今福龍太「身体──ある乱丁の歴史」と西谷修「グローバル化と身体の行方」の二つの論文をとりあげ,松本芳明さんにコメントをしてもらう。ここから一気にテンションが上がり,議論が白熱化してきます。スポーツする身体を,今福さんは,おそらく「身体の乱丁」というイメージで表現することによって,これまでステージの裏側に隠されていた身体の表象を取り出そうとしているのではないか。トレーニングやボディ・ビルによる身体もまた,乱丁の身体。どーピンクする身体などはまさに乱丁の身体。しかも,イーロ・マンチランタの事例(橋本一径訳)のように,遺伝子的にある「小さな変異」をもって生まれてくる身体などは,まさに,身体の乱丁ではないか。それが,もっと大がかりになってくると,スポーツ・メディア共同体(スポーツ・メディア・産業の三位一体)によって形成される身体ということになろうか。ということは,わたしたちの身体そのものが,歴史的産物であるという点で,まさに「乱丁の身体」ではないか。というように議論がエンドレスにつづきます。ここに書き出したのは,ほんの一例です。話題は,さらに,スポーツの「判定」をめぐる議論へと転じて,柔道,体操競技,太極拳,を数量的合理主義にからめとることによるスポーツの頽廃への道が,さまざまに語られました。

なにより問題なのは,柔道や太極拳のような武術が,点数化されてしまうことによる自己矛盾でしょう。武術にポイント制や採点制は似合いません。それどころか,武術の生命を絶ち,武術にあらざる「武術もどき」に変容し,太極拳にいたっては「舞踊化」現象する表れるという次第です。

ここまで書いたところで,時間切れ。これからつぎのプログラムに移動です。ひとまず,ここまでにして,このつづきをのちほど書いてみたいと思います。ではまた。
 

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