2013年10月3日木曜日

ドキュメンタリー映画『標的の村』に焦点を当てた西谷修さんのブログに注目。必読。

 9月23日の西谷修さんのブログ(西谷修──Global Studies Labolatory)「必見『標的の村』──「オモテナシ」のウラには何が?」を読んで,深く胸が痛んだ。高江のことを,「それとなく」気にかけていた,という程度の認識の甘さを恥じたからだ。やはり,このわたしも沖縄のことは他人事でしか考えてこなかったではないか,と。やはり,その場に立って,自分のからだをとおして感じ取ること,そこから思考を立ち上げること・・・・わかっていたつもりなのに,なにもわかってはいなかったではないか,と。

 西谷さんのブログの書き出しは以下のようである。
 いま東中野ポレポレで『標的の村』というドキュメンタリー映画がかかっている。沖縄でオスプレイ訓練のためのヘリパッド建設が強引に推し進められている,北部ヤンバルの高江に住む家族の5年にわたる日々の闘いを撮った映画だ(公式サイト)。

 ここからはじまって,沖縄の基地問題の根源にある「もの」「ことがら」を明らかにしつつ,「オモテナシのウラには何が?」を説き明かす,必読のブログだ。またまた,多くのことを教えていただいた。いつものことながら,ありがたいことである。

 そして,早速,公式サイトからネット・サーフしながらドキュメンタリー映画『標的の村』の情報を集めてみた。三上智恵監督,琉球朝日放送制作,91分。”報道されない事実”と”報道された嘘”(仲村颯悟),全国ニュースから黙殺されたドキュメント・・・・,以下,省略。

 そんな情報のなかに,森達也(作家,映画監督)のコメントをみつけ,これまた痛くわたしの胸に突き刺さったので,書き留めておく。

 公正中立などありえない。なぜなら情報は視点なのだから。主観的で当たり前。ところが現在のマスメディアは,ありえない公正中立を偽装している。特に大メディアになればなるほど,この建て前を崩せないのだろうか。・・・・・僕のその思いを,この作品はあっさりと覆した。全編にみなぎる人々の怒りと悲しみは,撮影クルーや取材する記者たちの怒りと悲しみの声でもある。すがすがしいほどに主観全開。それでいい。だってそれが本来のメディアなのだから。

 こういうみごとなまでに鮮明な文章を書いてみたい。また,ここまで「見切る」だけの力量をわがものとしたい。さすがに森達也だ。「全編にみなぎる人々の怒りと悲しみ」がもろに伝わってくるし,「すがすがしいほどに主観全開」というメディアの本質を言い当て,それを擁護する表現に圧倒されてしまう。

 いま,なにかと動けない事情があるので,一区切りついたところで,このドキュメンタリー映画を見に行こうと思う。そうして,なにを感じ,なにを考えるか,みずからを試してみたい。

 とりあえず,今日のところはここまで。
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