2013年10月2日水曜日

『スポートロジイ』第2号の合評会(10月5日)に向けて。

 昨日(1日)のブログで書きましたように,第76回「ISC・21」10月東京例会の第二部は,21世紀スポーツ文化研究所の紀要として刊行されています『スポートロジイ』第2号の合評会です。しかし,この本を手にしていない方にとっては「なんのこっちゃ」という話だと思いますので,その内容についてかんたんに紹介しておきたいと思います。なお,大きな書店には置いてありますので,どこかでご覧いただけると幸いです。

 『スポートロジイ』第2号は,特集が二本立てになっています。
 特集・I は,グローバリゼーションと伝統スポーツ,
 特集・II は,ドーピング問題を考える,です。

 特集・I の内容は,2012年8月に開催されました第2回日本・バスク国際セミナーから,特別講演2本と原著論文3本を,掲載させていただきました。特別講演 I は,「身体──ある乱丁の歴史」(今福龍太),特別講演 II は,「グローバル化と身体の行方」(西谷修)です。この二つの特別講演は,わたしたち「ISC・21」の研究員にとってはまことに刺激的で,こんごのわたしたちの研究活動の大きな指針になる,記念すべきものでした。ここでお二人の先生方が提示してくださった大きな問題提起をわたしたちがどのように受け取ったのか,ということについてみんなでディスカッションしたいと思っています。

 原著論文の内容は以下のとおりです。
 竹村匡弥:野見宿禰と河童伝承に潜む修祓の思想。
 松浪 稔:日本における近代的身体観の形成──軍・教育・メディア──
 井上邦子:身体に向かうグローバリゼーション──モンゴル国伝統スポーツの事例より──
 一つひとつの論文の概要の紹介は割愛させていただきます。いずれも,魅力的な内容になっていますので,大いに議論が盛り上がるに違いありません。

 特集・II の内容は以下のとおりです。
 伊藤偵之:ドーピングの現在を考える(研究報告)
 橋本一径:イーロ・マンチランタ ──(自然によって)遺伝子的に組み替えられたチャンピオン,パスカル・ヌーヴェル著/橋本一径訳(翻訳寄稿)

 
 世間では,アンチ・ドーピング運動が大まじめに展開され,まるで正義の味方であるかのように支持されていますが,はたしてそうでしょうか。ここに大きな疑問符をつきつける,恐るべき研究報告と翻訳寄稿です。長年にわたってドーピング・ドクターとして世界を股にかけて活躍されてきた伊藤ドクターの,ある意味では強烈な内部告発となっています。この研究報告を読んで,びっくり仰天してしまいます。そこに,橋本さんの翻訳寄稿が追い打ちをかけるようにして,ドーピング・チェックの気の遠くなるような困難と,その正当性の危うさを,みごとに描き出してくれています。

 ドーピングの問題系を,もっともっと深く考えていかないと,ひとりの人間の存在そのものが脅かされているという恐るべき事態が,スポーツ界のあちこちで起きているという事実に注意をそそぐべきでしょう。ドーピングの奥は深い,そんな思いにさせられる,重い論考です。さて,このような問題をどう受け止めていけばいいのか,深い哲学的なテーマでもあります。

 もう一本は,西谷修さんの特別寄稿,「<自由主義>の文明史的由来──ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』から──」です。じつは,この研究会でナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を数回にわたって議論してきました。それは,特集・I との関連で,グローバリゼーションを考えるためのテクストとして,適切なものだと考えたからです。そうして,そのまとめの意味で,西谷さんに,このテクストをどう読むかというお話を,この研究会で行いました。そのときのテープ起こしに手を入れてくださいとお願いをしましたところ,このような書き下ろしの原稿を送ってくださった,という経緯があります。ですから,わたしたちにとっては,二度にわたって美味しい経験をさせていただくことになりました。しかも,<自由主義>についての根源的な問題を提起してくださいました。

 この問題は,スポーツ界における<自由競争>について,根源的な問いを突きつけている,とわたしは受け止めまています。スポーツ界にあっては,みんな,平等に,自由に,競争することが美化され,アプリオリに容認されてきた経緯が,こんにちの矛盾だらけのスポーツ界の諸問題を生み出しているのではないか,という考えです。こうした問題を考えるための,きわめて重要な論文になっています。おそらく,西谷さんも,わたしたちの問題関心のありどころを承知した上で,問題の所在を明らかにしてくださったのだと思います。
 
 

 さて,わたしたちは,この論文をとのように受け止め,議論することになるのでしょうか。興味はつきません。

 最後は,わたしの研究ノートです。題して,「スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして」です。これは,創刊号に掲載できなくて,オーバーフローしてしまったものを,再度,まとめて掲載したというものです。狙いは,「スポートロジイ」なる新たな学の,理論武装をすることにあります。どこまで,それが成功しているのか,みなさんのご意見を伺ってみたいと思っています。

 以上が,テクストの概略です。
 興味のある方は,できればテクストを熟読した上で,この会に参加していただけると幸いです。熱烈歓迎いたします。どうぞ,お出かけください。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。
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