2013年10月18日金曜日

五輪のシンボル・マークはクーベルタンの創案ではなかった。スポーツ批評・その13.

 青・黄・黒・緑・赤の五輪のシンボル・マークは,それぞれ順にオセアニア,アジア,アフリカ,ヨーロッパ,アメリカの五大陸を表し,世界がお互いに手を結んで平和になることを願って,クーベルタンが創案したものだ,とわたしはこんにちまで信じて疑わなかった。が,そうではない,と多木浩二さんは仰る(『スポーツを考える』,ちくま新書,P.59.)。

 その根拠として,「古代オリンピックの聖所に彫られていた五輪の象徴」というキャプションを付して,写真まで提示している。これも,わたしの不勉強で,「えっ?!」と驚いて,わが眼を疑う。断っておくが,わたしの卒業論文は「古代オリンピック競技の起源について」(Urlich Popplov, Die Ursprung der Olympischen Spiele,という当時の最先端の論文〔雑誌:Olympisches Feuer に連載されていた〕を翻訳して,それに若干の考察を加えたもの)である。一応の基礎知識は,その後も追い続けていたので,持ち合わせているつもりである。もっと言っておけば,その研究につづけて,Franz Mezoe,Die Geschichte der Olympischen Spiele を翻訳して(のちに,大島鎌吉さんの翻訳で出版されている),指導教官に提出している。だから,多木さんのアンテナはどこまで伸びているのだろうか,と感心してしまった。

 で,あわてて,あちこち調べてみたら,以下のようなことがわかってきた。しかも,さすがの多木さんも記憶違いをしていたことも明らかになった。

 それは,多木さんの付したキャプション「古代オリンピックの聖所に彫られていた五輪の象徴」にある。古代オリンピックの聖所といえば,一般的にはゼウスを祭神とする「オリンピア」のことを指す。しかし,この「五輪」のマークが彫られていたのは,オリンピアの聖所ではなくてデルフォイのアポロン神殿の祭壇の壁であることがわかった。デルフォイといえば,古代ギリシアにあっては「世界のへそ(中心)」と信じられていた聖地である。古代史に大きな痕跡を残した「神託」の多くはここで出されたものであった。それほどに大きな力をもっていた聖地である。

 しかも,ここでは「ビュティア」という祭典競技が行われていた。古代ギリシアでは「四大祭典競技」と呼ばれるものが行われていて,ビュティアもそのなかの一つ(あとの三つの祭典競技は,オリンピア,ネメア,イストミア)であった。だから,多木さんのキャプションは広義に解釈すれば間違いではないのだが,厳密には,ビュティアである。ちなみに,「古代オリンピックの聖所」といえば「オリンピア」でなくてはならない。

 クーベルタンは,このデルフォイのアポロン神殿の祭壇に彫られていた五輪の紋章に着想を得て,こんにちの「五輪」を制作したというわけである。厳密に言えば,「青・黄・黒・緑・赤」の色分けをして,それを五大陸に当てはめたところが,クーベルタンのアイディアであった。この「五輪」のシンボル・マークを,クーベルタンは1914年のIOC設立20周年記念式典で発表した。

 付け加えておけば,デルフォイのアポロン神殿祭壇に彫られていたこの五輪のマークは,祭典競技を開催するための「休戦協定」について刻まれていた文言のなかにあるものだ,という。そこには,1,000以上ものメッセージが刻まれていて,そのほとんどは「奴隷解放」がその主な内容である,という。

 五輪のシンボル・マークをクーベルタンが創案したとされる背景にはこんな事実が隠されていた,という次第である。いつのまにか,この事実はどこかに消え去ってしまって,新たに「クーベルタン神話」が生まれ,それが事実として巷に広まっていく。おそらく,神話とはこんな風にして誕生するものなのであろう。その是非論については,また,いつか,論じてみたいと思う。

 いずれにしても,五輪のシンボル・マークはクーベルタンの創案になるものではなく,遠く古代ギリシアの世界にまでさかのぼる由来があることが明らかになった。そろそろ,「クーベルタン神話」を脱構築するときを迎えているように思う。少なくとも,2020年の東京五輪招致を機会に,オリンピックにまつわる数々の「神話」を訂正していく努力をしていく必要があるだろう。その主役は,スポーツ史学会が担うことべきではないか,と密かに考えている。

 この問題については,また,いつか問題提起をしてみたいと思う。
 今日のところは,ここまで。
 
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