2011年2月23日水曜日

ラース・フォン・トリアー監督の『アンチ・クライスト』が,2月26日に封切り。

 昨年の11月に,ラッキーなことに試写会で早々とこの映画をみる機会に恵まれ,しかも映画評まで書かせてもらった(『嗜み』9号,文藝春秋,P.120.)。
 最近になって,いろいろなメディアをとおして,この映画が取り上げられている。それもそのはずで,2月26日(土)から新宿武蔵野館やシアターN渋谷,など全国の映画館で,いよいよロードショーがはじまる。で,ついついこの映画の評論がでていると読んでしまう。しかし,なんとさまざまな評論が展開していることか,といささか驚く。それほどに,この映画のメッセージ性は多様なのだ。だから,みる人によって,いかようにもみえてしまう,そういう映画なのだ。だから,名作なのかもしれない。
 話題の中心にあるのは,主演女優であるシャルロット・ゲンズブールの「大胆不敵」な(と多くの評者がいう)演技。とりわけ,性愛表現。しかし,わたしにはこのこと以上に,映画のタイトルになっている「アンティ・クライスト」の意味とそれにかかわる映画表現の方に惹きつけられるものがあった。そして,キリスト教文化圏で生きるということは,わたしのような仏教者とはまるで違う営みなんだ,ということが強烈につたわってきた。そして,やっかいだなぁ,とも。セックス依存症の夫婦が,しかも,大学で魔女の研究をしているエリートの妻が,愛する子どもの不慮の死をきっかけにして,人間が生きるということに根源的な懐疑をいだくようになる。そこから,すべての悲劇がはじまる。簡単に言ってしまえば,理性だけでも生きられない,ましてや性愛だけでも生きられない,その狭間で葛藤し,苦しむ夫婦のモノガタリだ。最後は,とんでもないところまで行ってしまうのだが・・・。
 わたしたちの内なる「動物性」を,理性に代表される「人間性」が,いかに取り込んで折り合いをつけていくのか・・・・これは永遠のテーマなのだ。つまり,人間が生きるということはそういうことなのだ。だから,この映画をホラー映画だなどという人の気がしれない。もちろん,映画の描写の手法としては,随所に非現実を取り込み,そのことによってよりリアルが強調される,という仕掛けにはなっているのだが・・・・。
 まあ,いずれにしても,もう一度,この映画の主題についてしっかりと考えてみるためにも,このロードショーにでかけてみようと考えている。ひょっとしたら,みるたびに,その印象は変化するのかもしれない。だとしたら,それこそ名作だ。この3カ月の間に,わたし自身にもなんらかの変化が起きているはず。だとしたら,最初の印象とは違うものが現れるはず・・・。楽しみにではある。

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