2011年2月12日土曜日

鼎談「現代の能面」Part Ⅱ.無事に終わる。

 銀座・文藝春秋画廊で開かれている柏木裕美さんの「能面展」──うつりゆくもの「小面変化」(こおもてへんげ)70/100,のなかのプログラムのうちの一つ,鼎談「現代の能面」Part Ⅱ.が昨日(12日午後5時30分~7時),行われ,無事に終了した。
 鼎談のメンバーは,2年前と同じ。今福龍太,西谷修の両氏とわたしの3人。2年前の鼎談の内容は「現代の能面」と題して『IPHIGENEIA』<ISC・21>版紀要(創刊号)に掲載されている(P.6~49)。したがって,今回はその「Part  Ⅱ」となる。
 いつものように,なんの申し合わせもなしに,わたしから口火を切る。わたしの立ち位置は,司会進行係兼スピーカー。まずは,今回の柏木さんの能面展の趣旨と展示の内容について概要を紹介し,今回の展覧会のもつ意味について所感を述べる。
 柏木さんの今回の作品は大きくわけて四つに分類することができる。一つは,今回の展覧会のテーマである創作面(小面変化・63面),二つには,伝統面(13面),三つには,現代人の面(8面),四つには,能面の絵(きちんと数えてないが,ざっと30か?)である。
 圧巻はなんといっても「小面変化」。この2年間に制作された43面が,びっしりと並べられ,みる者のこころの細部をくすぐってくる。まず,間違いなく笑いを誘い,しかも,それが次第に他人事ではなくなり,だれもが内に宿している感情であることに気づく。すると,次第に,笑い事ではなくなってきて,身につまされてくる。そして,ついには,全部,自分のこころの表象ではないか,と気づく。そして,その瞬間,瞬間のこころの動静をみごとにとらえ,表現する柏木さんの感性のするどさに圧倒されてしまう。まさに,アートの世界への誘いである。これらの作品をとおして,柏木さんは,明らかに面打師の世界から能面アーティストの世界に飛び出した,と言ってよいだろう。その転身ぶりはみごとというほかはない。
 それでいて,伝統面を軽視しているわけではけしてない。むしろ,よりいっそう幽玄の世界に踏み込んだ表現の豊ささえ感じられる。それを助長するかのような展示方法に,2年前とは異なる,あらたな新境地をみる。たとえば,伝統面のすべてが,額ではなく,栗の木に漆をかけた板に伝統面が飾ってある。この展示の方法は柏木さんのオリジナルのアイディアから生まれたものである。とても落ち着いた素晴らしい雰囲気を醸し出している。だから,一つひとつの能面がいちだんと生き生きとし,輝いてみえる。みごとな演出である。こんなところにも柏木さんの,一種独特の才能の表出をみることができる。
 三つめの,現代人の能面が,さらに進化しているようにみえる。2年前のオバマ面,ライス面の迫力に加えて,新作の江田五月面,下田歌子面が格調高い気品をただよわせている。みる人のハートを釘付けにする美しさである。この品格はどこから生まれてくるものだろうか,としばし立ち止まって考えてしまう。両面ともに,オブジェとしての気品と同時に,制作者の品格がそこに映し出されているかのようだ。そこにはつけ入るすきはない。
 四つめの,能面の絵がまた素晴らしい。さらりと,なんのてらいもなく描かれている。能面とはまた違った作家のこころの内面が表出しているようにみえる。あるがままの,きわめて自然体の,作家の素の姿をそこにみる思いがする。だから,みる者のこころが落ち着く。安心する,といえばいいだろうか。部屋に一枚飾っておきたくなる絵である。
 さらに,この2年間に,新たにブログを書きはじめ,こちらの文章表現にもみごとな才能の開花をみせている。日々の日常の話題を取り上げながら,機知にとんだ分析をとおして,人間や社会のあり方にも鋭い批評のまなざしを向ける。しかも,その批評性が,新しく制作された創作面とリンクしていく。こんなところにもまた新たな柏木さんの可能性が開かれつつある。つまり,文筆家への道である。
 という具合に,この2年間に柏木さんは,それまでとは違って,すっかり変身してしまった。まったく新しい柏木さんの誕生である。すなわち,「面打師」という呪縛から解き放たれ,まったく自由な時空間に飛び出した「能面アーティスト」柏木裕美の誕生である。
 今回の展覧会をとおして,「能面アーティスト」としての基盤は固まった。ここからつぎの2年間に向けて,柏木さんはどのような変身をとげるのだろうか,いまから楽しみではある。
 今福さん,西谷さんのお話については,また,稿をあらためて書いてみたいと思う。
 とりあえず,今夜はここまで。

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