2013年11月21日木曜日

野見宿禰と当麻蹴速の相撲は死者の鎮魂儀礼だった?(森浩一説)。出雲幻視考・その13.

 考古学者の森浩一さんが,近著『敗者の古代史』(中経出版,2013年刊)のなかで,わたしにとっては考えてもみなかった仮設を提示していて,びっくりしました。森さんの説によれば,野見宿禰と当麻蹴速の相撲は,垂仁天皇の妃(サホヒメ)の死を悼む鎮魂儀礼であった,というのです。しかも,奈良・若草山の山頂にある鶯塚は,このサホヒメを埋葬した古墳ではないか,と推定しているのです(P.52~65.)。これには驚きましたが,考古学のオーソリティが言うのですから,これからはこの説も視野に入れて考えないといけないのかな・・・・と考えています。

 森さんの仮設は,『古事記』(『日本書紀』よりも,こちらの話の方が面白いという理由で)の記述をよりどころにして,そこに最新の考古学研究の成果を重ね合わせながら,独自の推理を展開したものです。専門的なことはわたしにはわかりませんが,なるほど,そういう推理も可能なのかとなんとなくわかったような気にさせられてしまいます。

 まあ,古代のことは,少なくとも文書資料に関しては,ときの権力の都合のいいように改竄されていることは間違いないわけですので,そこに考古学という補助線を引いて,検証するという方法はとても魅力的です。そこに,最近では,その地域に古くから伝承されてきた祭祀儀礼や民話・伝説なども重ねていき,多面的に謎だらけの古代の秘密に迫ろうということが盛んに行われるようになり,古代史はいままた新たなブームを呼んでいるようです。

 いささか脱線してしまいましたが,話をもとにもどしましょう。
 サホヒメといえば,天皇である夫を捨て,兄・サホヒコとともに戦って命を落とした悲劇の主人公としてもよく知られているとおりです。このサホヒメを夫である垂仁天皇はこよなく愛していたと言われています。にもかかわらず,兄・サホヒコが天皇に謀叛を起こすことを知り,しかも,その兄から「兄と夫といずれが愛しき」と問われ「兄ぞ愛しき」と答えて,天皇の子を身ごもった身でありながら,兄のもとに馳せ参じて籠城してしまいます。そして,籠城中に男の子を出産,その子がホムチワケで,成人しても口が聞けなかったというあの王子です。ところが,出雲のオオクニヌシを祀る神社を天皇にも等しい立派なものに修復すれば,口が聞けるようになる,という夢見があって,そのとおりにしたら口を聞くようになった,という次第です。

 とまあ,この話をしはじめますと長くなりますので,あとはテクストで確認してみてください。いま,流行りの『古事記・現代語訳』(何種類も本屋さんに置いてあります)にも当たってみると,もっと面白いと思います。が,いずれにしても,天皇は悩み苦しんだのち,サホヒコ・サホヒメの兄妹を殺すことによって決着をつけます。そして,皇后であったサホヒメの葬儀の折の鎮魂儀礼として,垂仁天皇は野見宿禰と当麻蹴速を呼び出して相撲をとらせたのだ,というのが森浩一さんの仮設です。それの補説として,つぎのような有名な話を引いています。

 皇極元年(642年)に,百済(くだら)の大使〇〇(ぎょうき)の前で健児(ちからびと)に命じて相撲をとらせた(『記』)。この相撲は,大使の児と従者が死に,児を河内の石川に葬ったとする記事に続いている。葬儀にさいしての鎮魂のためとみてよかろう(P.61.)。

 さらに,森さんはつぎのような話も紹介しています。
 昭和六〇年(一九八五)八月,日航機が群馬県上野村の山中に墜落して大勢の人が亡くなり,犠牲者のなかに大相撲の伊勢ヶ浜親方の家族も含まれていた。数日後に部屋の力士が土少々を背負って山に登り,墜落現場にミニ土俵をこしらえ,四股(しこ)を踏んだ。鎮魂のためにおこなったのである(P.61.)。

 死者の鎮魂のために相撲をとるという古くからの慣習は,中国,朝鮮半島を通過して日本にも伝わっていた,ということもよく知られているとおりです。ですから,百済からの大使の子どもや従者の葬儀に相撲をとったとしてもなんの不思議もありません。

 しかし,森浩一さんの仮設とはいえ,若干の疑問が残ることも事実です。一つは,よく知られるように野見宿禰は当麻蹴速を「蹴り殺して」います。いうなれば,決闘のようなものです。というより,決闘そのものと言ったほうがいいでしょう。もう一点は,勝った野見宿禰は当麻蹴速が支配していた土地をそっくり頂戴しているということです。純粋な鎮魂儀礼であったとすれば,なにも「蹴り殺す」必要はないはずですし,まして,報償として土地を譲り受けるというのも妙な話です。さらには,サホヒメのための鎮魂儀礼だったとしたら,なぜ,『古事記』にそのように記述しなかったのか,そして,鶯塚のことも,なぜ,記述しなかったのか,という疑問が残ります。もっとも,森さんの推理が事実だったとしたら,それをそのまま記述して後世に残すことにはなにか禁忌に触れることでもあったのかもしれません。

 が,それでもなお,このあまりに有名な両者の相撲が「鎮魂」のための儀礼であったとする森さんの推理は捨てがたいものがあります。もう少し考えてみたいと思います。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。
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