2013年11月11日月曜日

絶好調の日馬富士が戻ってきたか。気迫が違う。立ち会いが違う。今場所の活躍を期待したい。

 絶好調の日馬富士が戻ってきた。と,今日の土俵をみてそう確信した。低い姿勢からの鋭い立ち会い。その圧力だけで,相手の松鳳山をはね飛ばした。戻ってきたか,あの絶好調のときの相撲が。今日の立ち会いの一瞬にそのすべてをみた思い。よし,これでいける。この立ち会いを15日間,押し通せるかどうか。

 花道の奥で,出番を待つ日馬富士が,低い姿勢からの立ち会いを何回も何回も繰り返している姿が,たまたま,テレビに映った。わたしは,この姿をみて,そこにいつもとは違う気迫を感じ取っていた。そして,出番を待って,花道の奥で立っている姿をみて,その太ももの太さに驚いた。これまでの日馬富士のそれとはまるで違う,筋肉もりもりの太ももをみて「アッ」と思わず声を出していた。この太ももはこれまでみてきた日馬富士のそれとはまるで違う。これは「いけるっ !」,とことばにはならないなにかとてつもないものを感じ取っていた。

 時間がきて,花道を歩いて入場してくる歩き方が,もう,以前の歩き方とはまるで違う。どっしりとした,地に足がついた,力量感たっぷりのしっかりとした,力のみなぎった足どりだ。これでなくてはいけない,とわたし。よし,これはいけるっ,今場所はいけるっ,ともうこの時点で日馬富士の絶好調をみてとる。久しぶりにみる日馬富士の充実した太ももである。この太ももが戻ってくれば,あとは怖いものはなにもない。

 おまけに,日馬富士の足首に「巻きもの」がなにもない。よほど足首の状態がいいに違いない。そのすべてが今日の立ち会いに出ていた。あの真っ向勝負の松鳳山が逆に吹っ飛ばされた。この恐るべき圧力の源泉は,日馬富士の低い姿勢からの立ち会いとあの太ももの充実ぶりにある,とわたしはみた。この立ち会いが健在であるかぎり日馬富士は大丈夫だ。この相撲をみていた白鵬はなにを思っただろうか,とわたしは興味津々。今場所の千秋楽の横綱対決の一番は,こんごの大相撲の流れを占う,大一番になるのではないか,と気の早いわたしは,もう,いまから楽しみで仕方がない。

 だからこそ,日馬富士に注文をつけておきたいことが一つある。ことしの初場所で全勝優勝をしたときの,あのがむしゃらな気持を取り戻してほしい。なりふり構わず,自分の相撲をとりきること。低い姿勢からの鋭い立ち会いと,そのあとの自在の変化わざとそのバリエーション。一つは,右のどわ。相手をのけぞらせておいての変化。これはきわめて効果的。もう一つは,張手。びしばし張っていい。ルールとして公認の相撲の「手」の一つなのだから。そして,真っ向勝負の頭から当たる立ち会い,一気の押し。相手が,あっと驚き,ひるんだ瞬間の,そこからの変化わざ。あるいは,一直線の押し。

 メディアはアホの塊のようなものだから,横綱ともあろう者が,そんなえげつない手を使って・・・と無責任な批評をする。とんでもない。それこそが日馬富士の相撲なのだ。かつて,栃の海という横綱がいた。日馬富士と同じように小兵であったが,スピード感あふれる相撲で横綱に昇りつめた。しかし,横綱相撲ではない,とアホなメディアが叩いて,あっという間に引退してしまった。わたしの大好きな力士だったので,忘れもしない。

 日馬富士よ。メディアなどは無視していい。あの朝青龍をみろ。あなたの尊敬している朝青龍を。メディアのいかなる批評も無視して,ひたすら自分の相撲をとりきった,あの朝青龍を。あの迫力ある相撲は,わたしの全身全霊を震撼させた。これこそが相撲である,とわたしは確信していた。そして,場合によっては,わたしの眼にはアートに見えた。

 わたしのからだのすべての細胞が,血湧き肉躍る,そんな世界にあっという間に連れていってくれる,そういう相撲を見せてくれた。勝っても負けても,朝青龍の相撲は,見ていて息詰まるほど面白かった。それは素晴らしいアートだった。いやいや,芸能,と言うべきか。

 そういう相撲を,わたしは日馬富士に期待したい。また,そういう相撲をとって日馬富士もまた横綱になった。横綱に登りつめた道(プロセス)を忘れてはいけない。低い立ち会いから相手の胸元めがけて真っ正面から当たり,突っ張り,右のど輪,張手,左からのいなし,左上手からの投げ,あとは,そのときの相撲の流れにのったスピード感あふれる,変化わざに任せる相撲を展開する。これこそが日馬富士よ,あなたの相撲ではないか。そうやって,とにもかくにも「全勝優勝」を重ねて,横綱の地位を獲得したではないか。

 横綱という地位をわがものとしたときの相撲を,日馬富士ファンはみんな待っている。メディアはアホだから,横綱相撲はこうでなくなはならない,とほざく。相撲のなんたるかもわかっていないアホなジャーナリストが。そんなジャーナリストの声は気にする必要はない。まったくない。日馬富士の相撲はこういうものである,と堂々と胸を張って,取り切ればいい。それしかないのだから。

 日馬富士ファンの多くはそれを待ち望んでいる。全身全霊を傾けた,あなたの相撲から,多くのパワーを,わたしもいただいているのです。わたしもかくありたい,と願いつつ。小兵と言われつつ,あるいは,幕内,最軽量力士と言われつつ,ありとあらゆる智恵をふりしぼって,みずからの相撲を作り上げ,横綱となった日馬富士よ。自信をもって,なりふり構わずみずからの相撲を展開してほしい。それこそが,アホなメディアを黙らせる唯一の方法なのだから。

 そして,それこそが,大相撲の醍醐味を多くの相撲ファンに知らしめる唯一最高の方法ではないのか。

 そんなことを,今日の初日の相撲をみて,嬉しくて嬉しくて・・・・,その余韻に浸りながらわたしの勝手な思い入れをありのまま巡らせた次第。

 このあとの14日間の日馬富士の相撲に注目してみたい。その奥にとてつもない世界が広がっているから・・・・。それも,想像を絶するとてつもない世界が・・・。勝っても負けても・・・。日馬富士の相撲とは,そういう相撲なのだから。

 接近せよ,朝青龍の相撲に,そして,超えよ,朝青龍の相撲を。そのとき,日馬富士の相撲がさん然と輝き,浮かび出てくるだろう。わたしは密かにその日がやってくることを心待ちにしている。だれにも負けない日馬富士ファンとして。
 
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