2014年1月1日水曜日

大國魂神社(府中)で初詣。「謎解きにお力を」と本気で。出雲幻視考・その14。

 府中駅(京王線)から「けやき通り」をまっすくに南下していけば,その突き当たりが大國魂神社の本殿。そこから府中本町駅(南武線)までは徒歩3分。なんのことはない,府中駅と府中本町駅を南北に一直線につなぐラインが大國魂神社の参道なのだ。そのラインをなすのが「けやき通り」。この「けやき通り」は府中駅からさらに北に伸びていて,全長だと相当に長い。



 この「欅並木」は天然記念物に指定されている。それはそれはみごとなもので,初めてこの欅並木に出会ったとき(このときはまだ大國魂神社の存在をしらなかった),なにか異様な力を感じたことを記憶している。この欅並木のさきにはなにかとてつもないものがあるな,とだけ直感した。最近になって,府中に大國魂神社があることを知り,「あっ,あれだっ!」とすぐに結びついた。この欅並木をみるだけでも一見の価値があろうというものだ。

 今日(正月元旦)は,ものすごい人出で,府中駅の構内から雑然としていた(午後1時30分)。駅からけやき通りに至ると,どこもかしこも人でいっぱい。このけやき通りを少し南に行ったところで交通整理の係員が大勢立っていて,参拝客の最後尾はここだと看板を持って,ロープを張って,この六列の後ろに並べと指示している。頭のなかの地図だとこのさき相当に長いはずだ。一瞬,どうしようかとちょっとだけ逡巡したが,ここまできて参拝もしないで帰るわけにも行かない。やむなく,そこに並ぶ。

 そこから拝殿の前にたどりついたのは約2時間後。その間にあちこち眺めたり,新しい発見があったりした。それらのいくつかを書いておく。
 ・初詣客にしてはみんな地味な出で立ち。いわゆる晴れ着を着た若い娘さんは皆無。
 ・参道のところどころに寄贈者の提灯がまとめてかかげてあるが,その名前をみていると,いわゆる組織の名前はほとんどなく,個人である。
 ・それも商売関係の人,とくに飲食業の人の名前が多い。
 ・これは靖国神社などとは大違いだ。
 ・それもそのはず,ここは大國魂神社だ。つまり,オオクニヌシの系譜の神社だ。ということは「出雲」系。國譲りを強要された側の神社だ。ということは・・・・?と考える。
 ・なるほど,明治神宮や靖国神社は国家の中枢につながっている神社だ。しかし,ここ大國魂神社は,言ってみれば庶民の神社だ。ということは両者は対極に位置することになる。



 拝殿前では,「謎解きにお力を」と祈った。いわずとしれたオオクニヌシの謎解きだ。国譲りの真相(深層)が知りたい。藤原氏はなにゆえにあのような神話を構築しなければならなかったのか,あの神話はなにを封じ込んでいるのか,後世に知られては困る,相当の無理難題(国譲りに相当する難題)がそこには隠されているに違いない。それは「なにか」。

 この国譲りの神話と連動しているのが野見宿禰の事跡ではないか,とわたしは考える。当麻蹴速との決闘はなにを封じ込んでいるのか。垂仁天皇はなにゆえに「出雲の人」野見宿禰を抱え込まねばならなかったのか。そして,垂仁天皇が,巻向の地ではなく,野見宿禰に与えた領地である「菅原」の地に自らの墳墓(天皇陵)を建造したのはなぜか。そして,その地から菅原道真が登場し,桓武天皇との深い関係が結ばれることになる。が,これが藤原一族による冤罪を仕掛けられることになる。そして,太宰府への流罪。

 出雲と朝廷とはきわめて密接な関係にありながら,いつも,表は朝廷,その裏には出雲の姿がちらつく。それは,大和朝廷と国府(国造,総社,一宮,など)の関係にもみてとることができる。律令制とはいったいなにを意味していたのか。土地をとりあげて身分を与え,その土地の監視を国造(出雲)に命じたとすれば,そこから生ずるねじれたストレスやエネルギーをどこかで解消しなくてはならない。その装置が全国に散在する総社(一宮,二宮,三宮といった神社ネットワークの総元締め)だったとすれば・・・・?

 と,こんなことを考えながら大國魂神社の拝殿に達するまでの2時間の行列を過ごした。だから,けして退屈はしなかったし,ひとりで初詣というのも悪くない,と満足。

 だから,こうした「謎解きにお力を」と祈った。わたしの初詣。

 このつづきは,また,いずれ書くことにして,ひとまず今日はここまで。
 
コメントを投稿