2011年11月27日日曜日

稀勢の里の大関昇進に疑問。

なにかちぐはぐなものを感ずる。もう少し上手にできなかったのだろうか。急いてはことをし損じる,とむかしから言う。

日本相撲協会が二人めの日本人大関誕生を喉から手がでるほど待ち望んだことはよくわかる。多くの日本人も同感だっただろう。かく申すわたしも同じだ。そして,過剰に稀勢の里に期待をかけた。今場所は12勝は挙げてくれるだろう,と。でも,緊張するだろうから,少なくとも大関合格ラインの11勝は挙げてほしい,と。

しかし,10勝を挙げた段階で,つまり,千秋楽を残した段階で,大関推挙を日本相撲協会の審判部会議で決めてしまった。部長は貴乃花。なにを企んだのか,と勘繰りたくなってくる。

どういう裏工作があったかは知らないが,10勝を挙げた段階で,新聞もまた大関確実と報じた。こうして,マスコミを含めて稀勢の里を大関にするお膳立ては整っていた。そのタイミングをはかるようにして,審判部部長の貴乃花親方は,緊急に会議を招集して,稀勢の里の大関推挙を決めてしまった。いま,このブログを書いている段階では,目立った異論はなさそうだ。

しかし,3場所で33勝をクリアすること,という大関推挙の基準(申し合わせ)がある。このところずっとそれは遵守されてきた。にもかかわらず,稀勢の里は例外扱いにされた。その理由は,横綱に勝つ力量があるし,げんに,勝った実績をもつ,というもの。要するに,実力がある,というのだ。ならば,33勝するまで待てばいいではないか。

大相撲は興業だ。今場所のお客さんの入りは悪かった。となれば,なんとしても集客のための手を打たなくてはならない。それが,二場所つづけて日本人大関誕生という手だったのか。だとしたら,それは拙速というものではないか。力士の出世については,大関にしろ,横綱にしろ,よほど慎重に運ばなくてはならない。

かつての双羽黒のような例もある。不世出の大器と期待された,わがまま大関双羽黒は,規定よりも甘い基準で横綱に推挙された。その結果は,ご覧のとおりだ。それと逆だったのが,貴乃花だ。横綱になる条件はクリアしたが,一場所,見送りになった。そうしたら,一回りも二回りも強くなって,優勝を飾り,横綱を手にした。その後の活躍もご覧のとおりだ。

そのことを,もっともよく知っているはずの貴乃花親方が,稀勢の里には甘い基準をあてがった。しかも,大関の実力は十分と弁護までしている。今回の稀勢の里の大関誕生の主役を貴乃花親方が買ってでたふしがある。

だから,勘繰りたくなる。それは,次期の理事選挙だ。
隆の里の鳴戸親方は,初代二子山親方が見出し,育てた力士だ。部屋の系列,血縁からみても鳴戸部屋は親戚だ。しかし,貴乃花は「造反」して理事に立候補し,別の部屋の支持をえて,予想を裏切って,理事に当選した。しかし,その立役者だった元貴闘力が,いまはいない。とすれば,次期の理事選挙は票が足らない。その不足の票をなんとしても確保しなくてはならない。その一端が,今回の大関誕生の背後に見え隠れしてしまう。

でなければ,千秋楽が終ってから,審判部会議をもち,理事会に推挙すればいいはずだ。それを,あえて,一日前に,しかも,10勝で推挙するところに,なにか怪しげなものが感じられてならないのだ。しかも,この審判部長の行動を,理事長も支持しているのだ。

日本相撲協会の,背と腹は替えられぬという焦りの気持ちはよくわかる。しかし,通すべき筋は通しておかないと,のちのち,奇怪しなことになる。そういう火種は残してはいけない。なにを,そんなに焦ったのか,そのうちに明らかになることだろう。

稀勢の里には,もっと,すっきりした形で大関になって欲しかった(まだ,過去形ではないが)。かれもまた,それを望んだはずだ。もう,一場所,待ってもよかったのではないか。今日,千秋楽で勝ってしまった琴奨菊は,もっと複雑だったのではないか。ご当地場所とはいえ,ご祝儀としてプレゼントすべきだったのではないか,と。しかし,先輩大関としての意地をみせた。これが,もし,千秋楽の一番に,稀勢の里の大関昇進がかかっていたとしたら,もっともっと場所は盛り上がったのに,と残念でならない。そういう一世一代の緊張を乗り越えて,大関を勝ち取ること,それがほんとうに強い大関をつくることになるのだ。折角のチャンスを台無しにしてしまった日本相撲協会の責任は重い。稀勢の里にも気の毒なことをしてしまった。

もし,稀勢の里が,もう一場所,見送りになれば,来場所はいやでも盛り上がるのに・・・・。そして,納得のいく大関誕生がみられたのに・・・・。それこそが,お客さんを呼び集める最短距離なのに・・・。

残念。

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