2014年12月29日月曜日

新国立競技場,「この道しかない」(JSC)のだろうか。磯崎新氏の反論に説得力。

 6日間ほど留守にしたので,新聞がたまってしまいました。今日はまる一日,留守の間の新聞(東京新聞とネット購読をしている琉球新報と沖縄タイムスの3紙)を通読したり,切り抜いたり,プリントアウトしたりすることに追われてしまいました。

 その中から一つの話題を。

 12月21日(日)の東京新聞・朝刊に,「新国立競技場問題 磯崎新さんに聞く」という見出しの記事が大きく掲載されていました(写真・参照)。早速,切り抜いて保存。

 
上の写真からわかりますように,磯崎新さんは,巨大な競技場を建造しようとするのは「国威発揚型」の20世紀の発想であるとし,21世紀はもはやそんな時代ではないと説き,そこから脱却し,「転用念頭に仮設を活用」すべきだと主張されています。この考え方にわたしも大賛成で,これまでもずっと磯崎さんと同じこの主張を展開してきました。

 この磯崎さんの主張は,槇文彦さんを筆頭にした建築家集団が組織的な意見陳述をしてきたものと同じで,この記事にあることは建築家集団のほぼ一致した見方・考え方であると言っていいと思います。ところが,安藤忠雄氏を中心とするJSC(日本スポーツ振興センター:新国立競技場の建造にかかわる事業主体)や組織委員会(委員長:森喜朗)の考え方は,これとはまったく逆です。相変わらず20世紀的発想を継承し,「国威発揚型」の競技場建造をめざしています。

 そして,どこぞの総理大臣と同じように,「この道しかない」とばかりに,ザハ案を一部修正した,競技場としてはまことに中途半端なものを建造しようとしています。槇文彦さんや伊東豊雄さんや磯崎新さんなど,錚々たる建築家の意見に耳を傾けるどころか,議論にも参加することを拒否し,まったくの無視を決め込んでいます。そして,自分たちの目論見にどこまでもこだわりつづけています。その強引なやり方は,まさに,政府自民党のやり方と表裏一体です。

 このまま突き進んでいきますと,五輪後には巨大ゴミが残るだけです。
 にもかかわらず,どうして,こんなことになってしまうのでしょうか。
 その理由はかんたんです。

 思想・哲学の欠落です。同時に,歴史的展望の欠落です。

 つまり,JSCにも,組織委員会にも,きちんとした思想や哲学が見当たりません。あるいは,歴史的な展望がありません。いま,ここ,しか見えていません。いな,見ようとしていません。ですから,2020年という時代がどのような時代になるのか,そして,そこから30年後の2050年には日本の社会はどのようになるのか,という近未来の展望に蓋をしてしまっています。

 人口が激減し,国民総生産も低下することは,もはやだれもが認識しているはずのことです。しかし,政府自民党は盲目的に経済発展という笛を吹きつづけ,国民にめくらましをかませて,相変わらず「20世紀型」の「国威発揚」の発想にこだわりつづけています。その一つが,原発再稼働です。そして,沖縄の民意の無視です。つまり,政権維持のために役立つことしか考えてはいません。まさに,政治の貧困です。

 「この道しかない」を突き進むことは,国家の存亡にかかわる一大事です。新国立競技場の建造もまったく同じです。東京五輪2020が終わった暁には,巨大ゴミが残るだけです。そして,巨大な赤字負担が国民の税金となって跳ね返ってきます。

 サスティナブル(持続可能)な発想にシフトすることこそが,21世紀を生きるわたしたちの最大の課題であることは,もはや,繰り返すまでもないでしょう。にもかかわらず,日本の指導者層はそっぽを向いて,いまもなお,儲かることしか考えようとはしません。その姿は,すでに,「狂気の一線」を超え出てしまっているとしか言いようがありません。

 そこに歯止めをかけるのは国民の声しかありません。その機会が来年には巡ってきます。そこで踏ん張らないと,日本国はとんでもない隘路に落ち込んでしまいます。そこでの選択を間違えると,ますます「この道しかない」が大通りを闊歩することになってしまいます。そこだけはなんとか・・・・。

 たかが新国立競技場などと言って捨ておいていてはいけません。されど新国立競技場だと肝に銘じて・・・・。

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