2015年1月4日日曜日

野見宿禰の霊を祀る土師神社(たつの市)を訪ねる。

 昨年の12月23日にたつの市一帯をフィールド・ワークした際に,最初に訪れた神社がこの土師神社でした。名前からしてグッっと引きつけられるものがありましたので,まずはここから,ということで意見が一致しました。

 快晴無風。空気が澄み渡っていて,なんとも清々しい,絶好のフィールド・ワーク日和でした。

 
上の写真が土師神社の正面の石段と鳥居です。ごく最近になって修復工事をしたようで,真新しく,気分爽快でした。ひょっとしたら古墳の上に神社を祀ったのではないかと思われるような地形で,周囲は田んぼと畑,農家がほんの少しだけ,というこんもりとした丘陵のなかにありました。
落ち着いた雰囲気のとてもいい神社でした。

 
石段を登ったら,すぐ左側にゲートボール場があって,土地のご老人たちの憩いの場としても親しまれている神社なんだなぁ,と思いました。社殿の前には「百度石」が立っていて,そうか,願掛けの神社としても村の人たちの重要な役割をしているんだ,と納得しました。社殿の左側の格子のはまっている部屋の中には大きな力士人形が飾ってありました。

 神社の説明書きをよく読んでみますと,なかなか面白いことがわかってきます。
 冒頭には「村社土師神社(鎮座地揖西村土師字梶が谷)とあります。
 そして,祭神の筆頭に「野見宿禰」とあり,つづいて「保食神,八幡皇大神,神戸大神,琴比羅大神,神功皇后,菅原道真,スサノウノミコト」とあります。

 
以下,詳しいことはこの説明板に書いてありますので,ご確認ください。要点だけ書いておきますと以下のとおりです。

 もともとは保食神を祀る稲荷神社だった。しかし,この辺りはむかしから土師(道路表示のローマ字表記は,Haze とありますので「はぜ」と呼んでいるようです)氏の一族が住んでいたところだった。しかも,龍野町日山には野見宿禰の墓だと伝承されているところがある。しかし,宿禰の霊はこの地の南にあった大陣原神社に祀ってきた。この神社の周辺からは埴輪や円筒の破片がたくさん出土している。そのことを考えてみると,土師氏一族の須恵器生産の中心地だったと思われる。が,この大陣原神社は明治41年に社名を土師神社と変えて,この地に移築した。だから,大陣原神社こそが何百年という長きにわたって祖神野見宿禰を守神として人びとの心のよりどころとなっていたに違いない。この土師神社はその精神を引き継ぐものである。

 ここにでてくる「龍野町日山の野見宿禰の墓」は,前のブログで書きましたように,野見宿禰神社のことを意味するとみて間違いないでしょう。だとすると,向こうが墓で,ここが霊を祀る神社だ,ということになります。だから,向こうには塚だけがあって社殿はない,その代わりにこちらには立派な社殿がある,ということも納得です。

 なるほど,明治41年に移築してできた神社だとなると,この丘陵地は,そのむかしはなにであったのか,という疑問が湧いてきます。字名は「梶が谷」。谷が入り組んだ地形。この丘陵のふもとには農家が数軒。やはり古墳がいくつも寄り集まっていたところではないか,と想像をたくましくしたくなってきます。この丘陵地をぐるりと一周してみて,ますます,そう思いました。

 それはともかくとして,野見宿禰の「霊」を祀る,という意識が移築の折には強く働いていて,その意識がいまも大切に受け継がれてきているという点は注目しておきたい,と思います。でも,ちょっとだけ控えめに「土師神社」と名づけたあたりが,とても興味深いところです。

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