2015年1月7日水曜日

野見宿禰の怨霊が塚に封じこめられている・・・?出雲国造家の千家によって。

 1月3日のブログ「野見宿禰とは何者か。塚が発信しているもの」を読まれた,『穂国幻史考』の著者で古代史研究者の柴田晴廣さんから,とても重要なコメントをいただきました(のちほど紹介)。その真意は,どうやら,わたしに「なぜ,気づかないのか」と婉曲にヒントを与えてくれることにあったようです。感度の鈍いわたしは,なぜ,このようなコメントを書いてくださったのか,しばらく考えてしまいました。が,突然,「ハッ」と気づきました。その気づきが正しいかどうかはわかりません。が,わたしとしては「なるほど」「そうだったのか」と納得のいくものでしたので,ここに書き記してみたいと思います。

 
もしかして,野見宿禰はこの塚の中に「封印」されていのでは? これがわたしの気づいた核心です。まずは,写真をご覧ください。この石でできた門扉をじっと眼を凝らして眺めてみてください。なんとも不思議な形態であることがわかります。

 一見したところ,鳥居に似ていますが,つくりはまるで違います。鳥居のようであってそうではない。しかも,門扉のようであって単なる門扉ではない。なぜなら,この門扉は開け閉めができません。二本の石柱に組み込まれている門扉の外見からして,かなり厚い石の門扉であることがわかります。つまり,がっちりと固定されていて不動の構えをした門扉です。にもかかわらず,その「開かず」の門扉に向かって石段が組まれています。登りつめてみますと,石段と門扉の間にスペースはありません。つまり,拝所も存在しないということです。では,いったい,この石段はなんのために作られているのでしょう。世を憚る偽装・・・?

 
このように考えてきますと,なんとも奇妙な建造物であることがわかってきます。この門扉をデザインした人はなにを考え,なにを表現しようとしていたのでしょう。あるいは,依頼人の出雲大社千家氏は,なにを考え,どのような注文を出したのでしょう。そんなことを考えながら,じっと眺めているうちに,いくつもの不思議がみえてきました。

 そういえば,野見宿禰神社と称しながら,この神社には鳥居がありません。ここにあって当然と思われる場所にも鳥居はありません。ただ,だらだらとした長い参道が山の中にあるだけです。しかも,最後の詰めの登りのところは長くつづく立派な石段があって,一直線に塚に向かっています。ここの入口にも鳥居はありません。

 
ですから,どこからどこまでが野見宿禰神社の境内になるのか,つかみどころがありません。せめて,鳥居でもあれば,ここが神社の入口だということがはっきりします。なんともはやつかみ所のない神社という印象は否めません。

 というように考えてきますと,やはり,千家氏の家紋の彫り込んである「開かず」の門扉が,大きな鍵を握っているように思います。まるで,野見宿禰を塚の中に封じこめるための装置,それが「開かず」の門扉の意味するところ,であるかのように。しかも,そこには千家氏の家紋まで彫り込んである・・・・。千家氏の相当に強い意思のようなものが透けて見えてきます。

 さて,そこで,冒頭に書きましたように,柴田晴廣さんからのコメントが大きな意味をもってきます。そのコメントの要点を以下に紹介しておきましょう。

 柴田さんの説によれば,出雲国造家である千家氏は出雲族を裏切った「裏切り者」の家系だ,というのです。その根拠は『日本書紀』巻5崇神60年条の記載にある,と。もう一つは『古事記』垂仁条の記載を挙げています。その核心部分は「出雲神宝献上」事件である,と。その経緯は以下のとおりです。当時の出雲のリーダーであった出雲振根に対してヤマト朝廷は出雲の神宝を献上するようにと要請します。しかし,振根はそれを拒否します。すると,振根は誅殺されてしまいます。その後,振根の弟の子が出雲の神宝をヤマト朝廷に献上してしまいます。そして,この振根に反旗を翻した弟の子孫が,出雲国造家となった,と考えられる,というのが柴田さんのお考えです。そして,野見宿禰は振根の系譜に連なる人物だったのではないか,と柴田さんは推理されています。

 じつは,ほんとうの柴田さんのコメントはもっと精緻なものですが,わたしが簡略化して,わかりやすく書き直しています。お許しのほどを。

 もしも,柴田さんのお考えのように,千家氏が出雲の「裏切り者」であったとしたら,千家氏が野見宿禰の怨霊に怯えるのは当然です。そのように考えれば,野見宿禰の塚に,千家氏が奇妙な「門扉」を建てて野見宿禰の怨霊を封印してしまおう,という発想がでてきてもなんの不思議もありません。こういう経緯があるからこそ,野見宿禰は出雲大社にも合祀されているのだ,と柴田さんは指摘されています。

 こうなってきますと,かつて,梅原猛さんが書いて話題となった『隠された十字架』の謎解きを彷彿とさせます。それによりますと,法隆寺の山門は5本の柱で作られているが,これは聖徳太子一族の怨霊を封じこめるための仕掛けである,と言うわけです。

 かくして,野見宿禰のイメージが少し豊かになってきました。やはり,古代史の謎解きは面白くて,止められません。困ったものですが・・・・。
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