2015年3月12日木曜日

「仏祖(ぶっそ)憐(あわれ)みの余(あま)り広大(こうだい)の慈門(じもん)を開(ひら)き置(お)けり」。『修証義』第7節。

 前回のブログで,『修証義』の第一章「総序」が終わりました。つまり,『修証義』で説いている教えの総論は以上で終わりということです。そして,第二章からは,いよいよ各論に入りましょう,という次第です。その第二章は「懺悔滅罪」です。かんたんに言ってしまえば,「懺悔をすれば罪は軽くなりますよ」ということを説いた章です。その冒頭が「第7節」の文言です。

 仏祖(ぶっそ)憐(あわれ)みの余(あま)り広大(こうだい)の慈門(じもん)を開(ひら)き置(お)けり,是(こ)れ一切衆生(いっさいしゅじょう)を証入(しょうにゅう)せしめんが為(た)めなり,人天(にんでん)誰(たれ)か入(い)らざらん,彼(か)の三時(さんじ)の悪業報(あくごうほう)必(かなら)ず感ずべしと雖(いえど)も,懺悔(ざんげ)するが如(ごと)きは重(おも)きを転(てん)じて軽受(きょうじゅ)せしむ,又(また)滅罪(めつざい)清浄(しょうじょう)ならしむるなり。

 
仏教への入信は,まずは「懺悔」からはじまります。なんの悩みもない,また,なんの迷いも苦しみもない人は仏教とは無縁です。仏祖お釈迦さんは「生老病死」(しょうろうびょうし)の四っつの苦しみ(=四苦八苦の四苦)があることに気づき,この四苦と向き合い,悩み苦しむことになりました。そして,そこからの解放を求めて修行の道に入りました。

 「わたしは王族の子として生まれ,なに不自由なく,なんの苦労もしないまま成長してきました。しかし,ふと気づくと生・老・病・死という四苦に取り囲まれていると知りました。そして,そこから解き放たれることはないと,日夜,そのことが頭から離れず,悩み苦しんでいます。なんとかしてそこから解き放たれたいのです。どうすればわたしは救われるのでしょうか」と思い詰め,苦悩の生活がはじまります。そうして思い悩んだ末に,王城を抜け出し修行の道に分け入っていきました。

 そうした経緯があったためか,『修証義』の第二章には「懺悔滅罪」が置かれています。ここもむつかしいことはなにも言っていません。特殊な仏教用語をクリアすれば,あとは,だれにも理解可能だとおもいます。

 「慈門」(じもん)とは,慈悲の門のこと。いかなる人をも慈悲のこころで受け入れてくれる門。救いの門。つまり,仏教の世界に飛び込んでいくための入口にある門。
 「証入」(しょうにゅう)とは,証とは悟りのことですので,悟りの世界に入ること。
 「人天」(にんでん)とは,人間界と天上界のこと。

 では,最後にわたしの読解を提示しておきたいとおもいます。

 仏祖であるお釈迦様はとても憐れみ深い人でしたので,だれでも入ることのできる大きな救いの門を開いたままにしてくださいました。このお釈迦様の思いやりは,世俗を生きるすべての人が悩み苦しみから解き放たれ,やがては悟りの境地にいたることができるようにするためのものです。ですから,人間界はもとより天上界にあっても,この救いの門に入らない人はだれもいません。過去・現在・未来にわたる悪事による因果応報はかならず返ってくるのは間違いないとしても,懺悔をすれば重い罪も軽くしてくれるでしょう。そうして,懺悔を繰り返していけば,やがてはその罪も消えてなくなり,ついには浄土の世界にいたることでしょう。 
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