2015年3月5日木曜日

政治献金ザル法を「議論しよう」だなんて,ソーリ,ソーリ,そんな逃げ方は許しませんぞ。

 ここ連日,国から補助金を受けた企業からの献金を受けとってはならないとする法律があるのに,それを受けとっていた政治家が芋づる式に明らかにされている。上は総理大臣から,各種の大臣,そして,大物議員へと,みんな「右へならえ」とばかりに連座。

 しかし,最初の風当たりの強いときの批判をまともに受けた前農林水産大臣が「辞表」を出してやめただけで,それ以後の総理大臣もその他の大臣も議員も,だれも辞めようとはしない。それはそうでしょう。みんな責任をとって辞表を出したら政治がストップしてしまう。それどころか,解散・総選挙になりかねない。だから,どうしたのか。

 居直った。

 「知らないで受けとった」場合には「違法ではない」,と。たしかに,条文を読むとそう書いてある。明らかに「ザル法」だ。これは,最初から,こういう逃げ道がつくってあったことは明白である。そのように智恵を出し合って,意図的・計画的に「自分たち」でつくったのだ。この「逃げ道」をつかって,なんとかこの場をしのごうというわけだ。そして,まずはソーリがその先陣を切った。

 その小細工が,この法律に問題があるのだとしたらみんなで議論しよう,と。要するに,みんなの「責任」に転嫁しようという意図がみえみえだ。

 こんな小手先の「眼くらまし」に誤魔化されてはならない。

 「知らなかった」が許される法律なんてあってもなくてもどうでもいい。そんな法律は,最初から,なんの存在理由もないのだから。だから,議論するまでもない。廃止すればいい。

 いま,問われているのは「道義的責任」だ。こういう法律があるのに,それを無視して献金を受けとった「道義的責任」だ。違法ではない,などという理屈など聞きたくもない。もともと「ザル法」なのだから。

 一国のソーリ大臣を支える秘書たちが,違法献金であることを「知らなかった」はずはない。しかも「そこまでは手がまわらない(ソーリ発言)」などと言っている場合ではない。ならば,なんのための法律なのか。なかには,「利益を挙げていない企業だから問題ない」と居直った大臣もいる。バッカじゃなかろうか。赤字企業がなんのために政治献金をするのか,子どもでもわかる。あっ,これは白鵬のセリフだ。

 話をもとにもどそう。ソーリは,法律に問題がある,ということで逃げ切ろうとしている。卑怯だ。  「知らなかった」といえば「違法ではない」ということを百も承知で,みんななんのチェックもなしに受けとっているのだ。だから,厳密に調査をすればほとんどの議員がひっかかるはずだ。一度,全議員の身体検査をしたらどうだ。

 あ,いけない,またまだ脱線していく。そうではない。補助金を受けた企業からの政治献金を受けとってはならないという法律を,自分たちでつくっておいて,さも「正義」面を国民にみせつけておいて,自分たちで無視していく,この卑怯な意地汚さが問われているのだ。この「道義的責任」をなんと心得ているのか,それが問われているのだ。だから,ここは潔く「道義的責任」をとって辞表を出してもらいましょう。

 それよりなにより,政治献金なんて,名前はいいが,考えてみれば「公的賄賂」ではないか。実際にも,ちゃんと機能してきていることもよく知られているとおりだ。「族議員」などという名称がその端的な現れだ。だから,あらゆる政治献金をすべて禁止にすればいい。いや,むしろ,そうすべきだ。そうして,いかなる企業からも影響を受けない政治をやってほしい。原発稼働に流れていく政治の最大の理由もここにある。

 でなければ,政党交付金などというものも廃止してしまえばいい。言ってみれば,「二重取り」だ。なんとまあ,強欲な。なにもかも,国民を無視した,自分たちに都合のいい理屈をこねて,政治家たちだけの「お手打ち」法で決まったことだ。

 ソーリ,「議論しよう」などというレベルの話ではありませんぞ。
 そんなことで国民の眼を欺こうなどというのは,とんでもない本末転倒の議論だ。

 この問題に関しては,珍しくメディアも思い腰をあげて動きはじめたかにみえる。どんどん事実を報道してほしい。そして,国民的議論に高めていくべきだ。議会の議論なんていうのは「茶番」だ。国民的議論こそが,国政を動かす原動力なのだ,ということを見せつける絶好のチャンスだ。

 こんどこそは,なんとしてもそこまでもっていきたいものだ。
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