2015年3月29日日曜日

エスカレーター功罪論。堕落する身体の一因。

 エスカレーターがみるみる普及し,いまや,いたるところにエスカレーターが設置されている。まことに便利になったものだ。が,便利なものには落とし穴がある。堕落する身体。脚力の低下。

 老いも若きも,エスカレーターがあれば,まず,間違いなくみんなエスカレーターに乗る。エスカレーターを横目に歩く人はごくわずかだ。広々とした階段はがら空きだ。なにか,あの空間がもったいないようにもおもうことがある。

 新幹線に乗るときに利用する新横浜駅にも,いたるところにエスカレーターがある。わたしの場合には,地下鉄から新幹線に乗り換える。このとき,深い地下から地上の新幹線のプラットフォームまで,118段の階段がある。ビルでいえば,3階から4階分ほどの階段だ。この階段は,よほど大きな荷物でももっていないかぎり,歩いて登ることにしている。しかし,ときどき恥ずかしいときがある。だれひとりとして階段を登る人がいなくて,全員がエスカレーターに乗り,ちらちらとたったひとりで階段を登っているわたしがみられているとき。まるで奇人変人あつかいだ。そういうときは,できるだけエスカレーターから距離をとって登ることにしている。

 大阪方面から帰ってきたときも同じである。こんどは,もっぱら下り階段。これが,とてもいいトレーニングになる。ここでも,いい歳をした老人が,ザックを背負ってとぼとぼと階段を歩いて下りていくのだから,奇異な眼でみられる。最近は,もう,すっかり慣れっこになってしまったので,平気だが,はじめのころは参った。

 まあ,ことほど左様に,階段があったらとにかく歩くことにしている。こんなことを,もう長年つづけているせいか,脚力に衰えはない。いな,階段を歩くことをはじめる前,ということは10年以上前よりも,いまの方が脚力は強い。同時に,息も上がらない。かつては太っていたこともあって,階段の上り下りはたいへんだった。しかし,あれから「10年」。その効果たるや,驚くべきものがある。嘘だとおもったら実行してみていただきたい。

 最近のわたしの周囲の人びと(同年配者)は,みんな足・脚が痛い,膝が痛い,股関節が痛い,腰が痛い,長くは立っていられない,歩くのがつらい,という。もっとも,わたしは77歳になったばかりだが,80歳前後の人は,ほとんどの人がそういう悩みを抱え込んでいる。そして,医者通いをしている。でも,ほとんどの人は効果が感じられないという。お気の毒に。

 最近は,若い人にも足腰に悩みをかかえている人が少なくないという。

 藪井竹庵(やぶいちくあん)先生の見立てでは,歩行運動不足,エスカレーター依存症が主たる原因だという。

 若者よ。せっせと歩こう。せっせと階段を歩いて登ろう。エスカレーターや駅のエレベーターに依存するな。足を使え。そうして,老後に備えよ。

 文明の利器・エスカレーターは,老人・幼児・弱者のためのものであって,健常者とは無縁のものだ,と考えよう。

 どこか勘違いをしている人が多い。甘えの構造。

 せっせとエスカレーターに乗って,スポーツ・ジムに通っている。このことの矛盾に気づいていない。ここからすべてがはじまる。文明化社会の「狂気」が。その延長線上に「原発」がある。このことにも気づいていない人が多い。

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