去る5月9日(日)に開催された日本記号学会のセッション3「スポーツの判定」の席で,わたしのプレゼンテーションに対して,対話者をつとめてくださった吉岡洋(京都大学教授)さんのご発言が,いまもわたしの耳元でささやきかけてくる。
それは,「スポーツにおける裂け目のような瞬間に魅力を見出すことしか,われわれにはできないのではないか」というご趣旨の発言であった。わたしの問題提起の根幹は,スピード・スケートでは1000分の1秒差まで最先端の科学技術を用いて測定し,優劣を判定しているが,これはもはや人間の眼では判定不能の領域に踏み込むもので,このような近年の傾向は,本来のスポーツのあり方からすれば自殺行為にも等しい,というものであった。もちろん,もう少し,いろいろのことを発言しているのだが,思いっきりそぎおとして骨格だけを提示するとこういうことになる。当然のことながら,吉岡さんは,わたしたちの書いた『近代スポーツのミッションは終わったか──身体・メディア・世界』(西谷修,今福龍太氏と共著,平凡社,2009)を念頭におきながら,上記のような発言をなさったことは間違いないだろう。
したがって,吉岡さんのこのご発言を聞いた瞬間に,これは偉いことになった,とんでもないところにまで踏み込んで議論をしなくてはならないなぁ,と覚悟を決めていた。なぜなら,今福さんは近年のトップアスリートの身体を「透明化する身体」ととらえ,その一方でアルフォンソ・リンギスの『異邦の身体』のなかで論じられている「流体としての身体」からの問題提起をなさっているし,西谷さんは,その根底にはジョルジュ・バタイユの思想をはじめ,フランス現代思想の系譜と,さらにはピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」を視野にいれて「近代スポーツ批判」を展開されている。吉岡さんのおっしゃる「スポーツにおける裂け目のような瞬間」とは,どう考えても今福さんや西谷さんが問題にされたことがらと確実にリンクしている,とわたしは考えた。だから,そこまで踏み込んで議論するとなると,これは時間が足りないなぁ,とおぼろげに考えていた。
そこで,まずは,蓮実重彦さんの『スポーツ批評宣言』を引き合いに出して,「潜在的なるものが顕在化する瞬間を擁護すること」「これがわたしのスポーツ批評の原点である」と蓮実さんが高らかに宣言されたこととつながる問題意識でしょうか,とわたしは問い返した。おそらく,司会をしてくださった(同時に議論にも参加してくださった)前川修(神戸大学教授)さんも,これはたいへんなことになるという予感をもたれたのか,問題の所在を手際よく整理されて,質疑をフロアに開いてくださった。だから,吉岡さんがおっしゃった「スポーツにおける裂け目のような瞬間」が,具体的にどのようなことを指して言われたのか,そのまま,わたしの宿題になっている。
そして,フロアからは,檜垣立哉(大阪大学教授)さんが,比較的好意的な発言をしてくださり,お得意の競馬の判定について,とても魅力的なお話をしてくださった。競馬もまた,最先端科学のテクノロジーを駆使して「ハナの差」まで厳密に判定する時代になっている,とご指摘があった。わたしは,檜垣さんの『賭博/偶然の哲学』(河出書房新社,2008)を予習しておいてよかった,とほっとして「先生のご著書はとても興味深く読ませていただきました」と応答,檜垣さんはとても素直に「それは嬉しい」と喜んでくださった。ここでは,わたしは「スピード・スケート」の判定と「競馬」の判定とは,同じスポーツではあるが,競馬の賭け事を成立させるためには,なにがなんでも厳密な判定が要求されてしかるべきだ,と答えたように記憶する(すでに,定かではない)。
この他にも,いろいろのお話があったが,それは割愛することにして,このブログの本筋に話をもどそう。檜垣さんもまた,おそらく,吉岡さんの「スポーツにおける裂け目のような瞬間」に反応して,ご著書の『賭博/偶然の哲学』で,九鬼周造やドゥルーズをてがかりにして展開された「賽の一振りと永劫回帰の反復」あたりの話につなげてみたら面白いかな,とお考えになられたのではないか,とこれはわたしの推測。つまり,哲学的な意味での「偶然」の問題系と,吉岡さんの言われた「裂け目のような瞬間」とは呼応するに違いない,といまのわたしは考えている。
このようにして,「偶然」の問題について考えてみると,これはこれでなかなか面白いテーマではある。しかし,議論の枠組みを相当にきちんとしておかないと,すぐにどこかに逃げていってしまう。まるで,そのことが「偶然」であるかのように。でも,これは大テーマなので,いつかまた取り上げて議論することができれば・・・とおもう。
そういえば,この日本記号学会のセッション・3を聞いてくださった橋本一径さんからメールで,「吉岡さんの指摘は,近代スポーツのミッションは終わったことを確認するのとは,重なり合う部分もあるようでいて,根本的には別のことではないかという気もして,こうした点について,いずれ具体的な例に依拠しながらお話を・・・・」というご提案をいただいている。いろいろと楽しい宿題があって,わたしは幸せである。
ここ何回にもわたって「偶然」の問題を考えてきたが,ひとまず,このテーマはここまでで一区切りとしたい。また,なにかリクエストがあれば,喜んで応答したいとおもう。長い間,お付き合いくださり,感謝あるのみ。
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