2010年7月31日土曜日

「身体の叛乱」ということについてのメモ・その2.

 昨日のブログは途中で腰砕けになってしまい,失礼しました。やはり,この猛暑で相当にからだは疲れているようです。こういうときは無理は禁物。眠るにかぎる,ですね。
 今朝の新聞によれば,熱中症で200人以上の死者がでている,という。ちょっと,びっくりニュースである。梅雨明け以後のことだから,まだ,10日余のこと。この数字はちょっと大きすぎる。ことしの猛暑が尋常ではないということをしっかり認識している人はそれなりに防衛対策をとっているとおもいますが,そうでない人は大いに気持ちを引き締めてください。わたしの身近な人にも,体調をくずして会社を休んでいる人がいる。たぶん,冷房病。この暑さの反動というべきか,どこに行っても寒いほどエアコンで冷やしている。デパート,コンビニ,銀行,スーパー,電車,本屋,など,わたしの入ったところはこんなところしかないが,いずれも,思わず寒いと感じたほどだ。たぶん,会社も相当に冷やしていて,新聞などによれば,女性社員はカーディガンを羽織ったり,ひざ掛けをかけたり,靴下を二枚にしたり,とこまめに対策を講じている,という。それにひきかえ,無防備なのは男性社員。いつもと同じ格好で仕事をしている,という。その結果,冷房病にやられるのは圧倒的に男性社員が多いとのこと。命に関しては女性は敏感,男は鈍感。だから,男はすぐに「身体の叛乱」を起こす。まあ,いずれにしても,ことしの猛暑はいささか異常である。
 この異常な暑さにつられて思い出すのは,敗戦直後の夏。1945年の夏も暑かった。8月15日の玉音放送の日も,かんかん照りの日だった(愛知県渥美郡)。真っ青な青空の色をいまもはっきり覚えている。禅寺の広庭の日陰でいとこたちと一緒に遊んでいたら(このとき,すでに,豊橋市内でB29による空襲を受け,焼け出されて,母の在所の禅寺に疎開していた),みんな集まれ,という招集がかかって,ラジオの前に正座した記憶がある。しかし,天皇がなにを言っていたのかは,当時のわたしには理解できなかった。大人たちが「終わった,戦争が終わった」というのを聞いて,「ほいじゃ,B29は来んのん?」(三河弁:それでは,B29は来ませんね?)と問い返したことを覚えている。B29と聞いただけで全身が震えるほど恐かった。
 この夏の暑さと,そのつぎの年の夏の暑さも,なぜか,強烈に覚えている。1945年と46年の夏の暑さである。45年の夏は,日向に出るな,日陰で遊べ,と厳命がくだされた。祖父・祖母も健在だったので,大人たちのだれかが,いつも,どこかで子どもたちの遊びを監視していたようにおもう。日向で遊びはじめると,すぐに,どこかから注意の声がかかった。46年には,すでに,疎開先からでて,兵舎の空き家に住んでいたので近所に遊ぶ友だちがいない。だから,かなり歩いて友だちのところまで通ったものだ。母が見かねて,手縫いの白い帽子をつくってくれて,必ずこの帽子をかぶっていないと「日射病」にかかって死んでしまう,と言い聞かされた。このとき,初めて「日射病」ということばを知った。そして,しつこく,どういう病気なのかと聞き返したことも覚えている。母の指示は的確だった。喉がかわいたら友だちの家で,水をください,と言いなさい。汗は流れるようにかいていなさい。暑いのに汗が出なくなったら,水をのみなさい,と。ことこまかに教えてくれた。以後,喉の渇きは我慢してはいけない,と知った。
 お蔭で,わたしは幸いなことに,暑い夏に「身体の叛乱」を起こしたことは一度もなかった。が,まわりの友だちは,ひっきりなしに,夏風邪を引いたり,日射病にかかったり,下痢をしたり(これは水の飲み過ぎ),と大変だった。
 もう一つは,みんな日焼けして真っ黒だった。腕も足も,顔も真っ黒だった。大人もみんな真っ黒だった。もちろん,都会で焼け出されてからは,一学年48人しかいない小さな田舎の村に住んでいたので,まわりは農家ばかりだった。ふんどし一張で野良仕事をしている人もいた。全身,真っ黒である。色の白い人をみた記憶がない。いまでは,農家の人たちもみんな完全武装をして,日焼け対策に余念がない。もっとも,敗戦当時といまとでは,紫外線の強さがまったく違うのだから,単純に比較することはできないが,それにしても日焼けした人をみることは少なくなった。むしろ,都会の土日などに,野球やサッカーにでかける大人の集団の人たちの方が,農家の人たちよりも日焼けしているようにおもう。こういう真っ黒な顔をした大人の集団に,電車などで出会うと,なんだか懐かしくなってほっとする。
 それにしても,最近は,黒い日傘をさし,黒いアームカバーをして歩いているご婦人の多いこと。これほどまでに神経質にならなくてもいいとおもうのだが・・・・。こういうご婦人たちは,エアコンの調節も,室内での着るものも,おそらく,マニュアルどおりにきちんと管理なさっていらっしゃるに違いない。そして,ほぼ,完璧に自己管理ができているに違いない。しかし,この完璧主義は,おおむね見上げたものだとおもうが,どこかに落とし穴があるのではないか,とわたしは危惧する。
 「身体の叛乱」は,一つの危険信号のようなものだから,あまり,たびたび起こしてはいけないとおもうが,ときには必要なのではないか,ともおもう。ある種の,からだの免疫力は,ときには「身体の叛乱」を経験することによって自力で高められていくことがある。まあ,予防接種のようなもので,時折,なにかの拍子に「身体の叛乱」を体験しておくことも必要悪のようにおもうのだが・・・。
 過剰な身体防衛は,意外なところに落とし穴が待っている。適切な身体防衛は必要であるが・・・。なにごとも「過剰」はよくない。ほどほどがいい。ことばの正しい意味での,いい加減,を保つことが大事だとおもう。

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