2010年7月12日月曜日

「悟など云う無調法いたしたる覚え之れ無く候」(一休)

 「十牛図」の第八図空円相(「人牛倶忘」)については,以前,このブログでも書いたことがあるので,そこと重複しない話題を取り上げてみたい。
 第七図「忘牛存人」が,いわゆる「悟り」の境地を描いたものだと一般的には理解されているのだが,では,この第八図の空円相(たんなる〇が描いてあるだけ)はなにを意味しているのだろうか。結論からさきに述べておけば,「無」=なにもない,を表現したものといわれている。それは,悟りの境地を通過したさきの境地=「絶対無」である,という。
 室町時代の臨済宗の僧・一休さんの歌に「悟など云う無調法いたしたる覚え之れ無く候」というものがある。一休さんに言わせれば,「悟」は無調法だという。そんな無調法をした覚えはこれっぽっちもございません,という。ここが第八図「空円相」の境地だということになろうか。つまり,人も牛も倶(とも)に忘れてしまいました,という境地。すなわち,絶対無の境地。
 中島敦の短編に『名人伝』がある。弓の名人の話である。弓の名人としてその名をとどろかせた人物が晩年になって弟子の家に招かれた。行ってみると,弓が飾ってある。名人はそれをみて「これはなんだ?」と聞いたという。「十牛図」に置き換えてみれば,牧人と牛の関係が,名人と弓の関係になっている。弓の名人になるべく臥薪嘗胆して努力し,ついにその名をほしいままにする。しかし,いつのまにか弓を手にすることもなくなり,弓なしで飛ぶ鳥を落した,という。ついには,飛ぶ鳥がその名人の家の上に飛んでこなくなってしまった,という。名人は弓のことはすっかり忘れて,まったく別の次元で遊ぶようになる。つまり,絶対無の世界に遊ぶことになる。こうして,かつての自己(名人になりたくて仕方がなかった自己)を通過して,その自己も弓も忘れてしまった,という次第である。
 こうして,名人は「自己の自己への関係」としての自己とは異なる,まったく別の自己にいたる。これが絶対無の世界に現れる「自己ならざる自己」である。西田幾多郎は,これを「場所的自己」と名づけ,みずからの哲学の中心概念の一つとした。ここが,この「十牛図」の肝心要のポイントとなる。ここが解ればあとは楽勝である。ついでに,先取りして言っておけば,竹内敏晴さんのいう「じか」に触れる場所は,ここではないか,とわたしは考えている。そして,同時に「ここ」がマルチン・ブーバーのいう「我と汝」(ICH UND DU)の「接点」になる,と。
 ここで,上田閑照の読解に耳を傾けてみよう。
 「自覚とは,一般に,自己内反省とはちがって,単に「自己が自己に」ということではなく,同時に,そのような自己の置かれている場から自己が照らされることであるが,そのためには自己はその場の開けへと真に切り開かれていなければならないからである。真の自覚は,究極的な場の開けに切り開かれてその開けに照明されつつ成立する。」
 ここでいう「真の自覚」と西田幾多郎のいう「場所的自己」とは同じである。すなわち,竹内敏晴のいう「じか」の降り立つ場である。それを「十牛図」では第八図の「空円相」として表現している。そこは,第七図の「忘牛存人」との境地とは,根源的に次元の異なる世界である。すなわち,「絶対無」である。
 「かくして,自己であることの主軸が事実変わらなければならない。自己のエレメントが変わらなければならない。自己が真に究極の場の開けに切り開かれなければならない。そのためにはいったん自己が(真の自己とされたものであっても)徹底的に滅せられねばならぬ。もはや,自己の自己否定の問題ではない。絶対無の事である。本来空であり,本来無一物である。」
 ここまでくると,わたしの頭は一気に「内在性」へとリンクしていく。そうか,絶対無の場に立つということは,内在性の内に立つということか,と。
 一休禅師も,そうか,内在性に生きていた人だったのか,と。

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