奄美自由大学2011に参加することの楽しみのひとつは,詩人の川満信一さんにお会いできるということでした。にこやかな笑顔が絶えない,とても静かなたたずまいでいながら,内に秘められた情感がにじみでている方で,思わず「ぐいっ」と惹きつけられてしまいました。こういう方だったのか,とじかにお会いできて,こころの底から納得しました。
同行した能面アーティストの柏木さんは,お会いするなり「いいお顔をしてらっしゃいますねぇ。ぜひ,面をつくらせてください。」と申し入れ。「えっ,面というのは・・・?」と川満さん。「現代人を能面の技法で面にする仕事をしていますので」と柏木さん。「ああ,あなたが柏木さんですか。お会いできるのを楽しみにしていました。いいですとも。喜んで」と川満さん。
そこで,早速,携帯のカメラで撮影開始。正面,斜め前,横と注文を出す柏木さん。それに対して,まことに素直にポーズをとる川満さん。でも,ちょっぴり,いい顔をみせようとしている川満さん。まるで,童心に返ったかのように。みていてとても微笑ましい光景でした。これが初日の夜の懇親会のときのこと。二日目にも,昼食後の休憩時間に,再度,デイ・ライトで写真を撮りたいのでとお願い。これにもとても素直に応じてくださる川満さん。やさしさが全身に表出している,なんと素敵な人なんだろうと惚れ惚れしてしまいました。
にもかかわらず,わたしは,ずっと傍にいながら,川満さんにはひとことも声がかけられず,緊張の連続でした。なぜなら,川満さんのオーラがおおきすぎて,声がでなくなってしまうのです。川満さんご自身は,まったくリラックスしていらっしゃって,身もこころも全開状態です。それもわたしには手にとるようにわかるのです。その完全に「開かれた」状態の人には,こちらもほんのわずかでもいいから「開かれて」いなくてはなりません。それを承知していながら,ますます硬くなってしまい,とうとう最終日まで,ひとこともお話しすることはできませんでした。
その点,柏木さんは「開かれた」人ですから,なんの衒いもなく,ごく自然に声がでて,自分の気持を素直に表明できるというわけです。まだまだ,わたしは修行が足りないなぁ,と深く反省。
川満信一さんとは,今回がまったくの初対面でしたし,川満さんの詩をそんなに多く読んでいるわけではありませんでした。ただ,出発前に,以前,今福さんから送っていただいた『マイケル・ハートネット+川満信一 詩選』(今福龍太編,叢書・群島詩人の十字路,サウダージ・ブックス,2010)を大急ぎで読んで,それなりの準備はしました。が,わたしに詩心が足りないために,川満さんの詩の発するメッセージがいまひとつ腑に落ちないところがありました。それどころか,巻末にある「川満信一年譜」を読んで,気持の上で圧倒されていました。こういう人生を生きてこられた人なんだという,にわか仕込みの情報が,わたしの頭のなかを占領していました。ですから,とてもおだやかな笑顔を絶やさない,こころの温かい人だということはわかっても,その背後にある川満さんの「生きざま」のすさまじさが邪魔をして,わたしを緊張させていました。
最終日の朝食の前の,ちょっとくつろいだ時間がありましたので,その時に,いまこそと一大決心をして川満さんにお声がけをしました。今福さんから送っていただいた『マイケル・ハートネット+川満信一 詩選』を,おそるおそる差し出して「サインをしていただけませんか」と声を絞り出しました。もちろん,川満さんは,「わざわざ持ってきてくださったんですね。それはとても嬉しいことです。ありがとうございます」と言って,丁寧にサインをしてくださいました。
「海を渡り,空を抜けて,宙に至る」と添え書きをしてくださいました。
丁寧に,しかも,とても達筆。しまった,こういう方なら筆を差し出すべきだった・・・と。次回,お会いできるときには筆を持参しよう,とこころに決めました。
サインが終わったら,「沖縄に来られることはありますか」とおっしゃるので,娘が結婚して那覇に住み着いています,とわたし。「では,ちょいちょい来られますね」と川満さん。そのように努力したいと思います。「なら,かならず声をかけてください」と川満さん。那覇では安里のうりずんというお店に娘と婿さんといくことになっています。「居酒屋はわたしの得意なところ。うりずんはよく知っています。ぜひ,そこで一献傾けましょう」とお誘いまでしてくださいました。ありがたいことです。こんなご縁もまた,奄美自由大学の大きな魅力のひとつと言っていいでしょう。
それまでに,自然体で声がかけられる人間になっていなくてはいけない,と反省しつつ。
川満さんの年譜については,あとで,追記することにしたいと思います。
とりあえず,今回はここまで。
同行した能面アーティストの柏木さんは,お会いするなり「いいお顔をしてらっしゃいますねぇ。ぜひ,面をつくらせてください。」と申し入れ。「えっ,面というのは・・・?」と川満さん。「現代人を能面の技法で面にする仕事をしていますので」と柏木さん。「ああ,あなたが柏木さんですか。お会いできるのを楽しみにしていました。いいですとも。喜んで」と川満さん。
そこで,早速,携帯のカメラで撮影開始。正面,斜め前,横と注文を出す柏木さん。それに対して,まことに素直にポーズをとる川満さん。でも,ちょっぴり,いい顔をみせようとしている川満さん。まるで,童心に返ったかのように。みていてとても微笑ましい光景でした。これが初日の夜の懇親会のときのこと。二日目にも,昼食後の休憩時間に,再度,デイ・ライトで写真を撮りたいのでとお願い。これにもとても素直に応じてくださる川満さん。やさしさが全身に表出している,なんと素敵な人なんだろうと惚れ惚れしてしまいました。
にもかかわらず,わたしは,ずっと傍にいながら,川満さんにはひとことも声がかけられず,緊張の連続でした。なぜなら,川満さんのオーラがおおきすぎて,声がでなくなってしまうのです。川満さんご自身は,まったくリラックスしていらっしゃって,身もこころも全開状態です。それもわたしには手にとるようにわかるのです。その完全に「開かれた」状態の人には,こちらもほんのわずかでもいいから「開かれて」いなくてはなりません。それを承知していながら,ますます硬くなってしまい,とうとう最終日まで,ひとこともお話しすることはできませんでした。
その点,柏木さんは「開かれた」人ですから,なんの衒いもなく,ごく自然に声がでて,自分の気持を素直に表明できるというわけです。まだまだ,わたしは修行が足りないなぁ,と深く反省。
川満信一さんとは,今回がまったくの初対面でしたし,川満さんの詩をそんなに多く読んでいるわけではありませんでした。ただ,出発前に,以前,今福さんから送っていただいた『マイケル・ハートネット+川満信一 詩選』(今福龍太編,叢書・群島詩人の十字路,サウダージ・ブックス,2010)を大急ぎで読んで,それなりの準備はしました。が,わたしに詩心が足りないために,川満さんの詩の発するメッセージがいまひとつ腑に落ちないところがありました。それどころか,巻末にある「川満信一年譜」を読んで,気持の上で圧倒されていました。こういう人生を生きてこられた人なんだという,にわか仕込みの情報が,わたしの頭のなかを占領していました。ですから,とてもおだやかな笑顔を絶やさない,こころの温かい人だということはわかっても,その背後にある川満さんの「生きざま」のすさまじさが邪魔をして,わたしを緊張させていました。
最終日の朝食の前の,ちょっとくつろいだ時間がありましたので,その時に,いまこそと一大決心をして川満さんにお声がけをしました。今福さんから送っていただいた『マイケル・ハートネット+川満信一 詩選』を,おそるおそる差し出して「サインをしていただけませんか」と声を絞り出しました。もちろん,川満さんは,「わざわざ持ってきてくださったんですね。それはとても嬉しいことです。ありがとうございます」と言って,丁寧にサインをしてくださいました。
「海を渡り,空を抜けて,宙に至る」と添え書きをしてくださいました。
丁寧に,しかも,とても達筆。しまった,こういう方なら筆を差し出すべきだった・・・と。次回,お会いできるときには筆を持参しよう,とこころに決めました。
サインが終わったら,「沖縄に来られることはありますか」とおっしゃるので,娘が結婚して那覇に住み着いています,とわたし。「では,ちょいちょい来られますね」と川満さん。そのように努力したいと思います。「なら,かならず声をかけてください」と川満さん。那覇では安里のうりずんというお店に娘と婿さんといくことになっています。「居酒屋はわたしの得意なところ。うりずんはよく知っています。ぜひ,そこで一献傾けましょう」とお誘いまでしてくださいました。ありがたいことです。こんなご縁もまた,奄美自由大学の大きな魅力のひとつと言っていいでしょう。
それまでに,自然体で声がかけられる人間になっていなくてはいけない,と反省しつつ。
川満さんの年譜については,あとで,追記することにしたいと思います。
とりあえず,今回はここまで。
0 件のコメント:
コメントを投稿