2011年9月7日水曜日

奄美大島の「海」の神秘を体験(奄美自由大学にて)

奄美大島は山また山の大きな島でした,とすでにブログで書きました。
もう一つの強烈な印象は,やはり「海」。

奄美大島の海にはいろいろの顔がある,ということがわかりました。
一つは,太平洋側の海,もう一つは,その反対側の東シナ海側の海,三つめは,奄美大島の本島と加計呂麻島,さらに加計呂麻島と請島の間にある海峡の海,四つめは,入り組んだ奥深い入江の海。

島の北部の砂浜のある太平洋側の海は,初日(9月2日の午後)にじっくりと眺めることができました。早速,はだしになって波打ち際で足を浸しました。この快感。久しぶり。すぐ近くにサーファーたちが数人,海を眺めながら大きな波がくるのを待っていましたので,近づいて行って声をかけてみました。島の若者たちであることがわかりました。ので,この海はいつもこんな様子なのかと尋ねてみました。今日は台風の余波で,いつもよりは波が荒いので,サーフィンには絶好だとのこと。ということは,ふだんはもっと波が立たない,静かな海なのだ,というこがわかりました。わたしの郷里である渥美半島の太平洋側の海は,常時,人間の背丈よりも大きな波が砂浜を打ちつけています。たぶん,この島の北部の海岸は遠浅になっているので,大きな波は生まれにくいのではないかな,とこれはわたしの想像です。海岸よりは,むしろ,沖合の方が大きな波が立ち上がり,砕け散っている様子がみてとれました。ですから,ほかの海にいるサーファーたちは沖合でボードを抱えてぷかぷか浮きながら,大きな波がやってくるのを待っていました。一日待って,2~3回,大きな波に出会えればそれで満足と若者たちは言ってました。気の長い話だなぁ,と思いつつ,わたしの子ども時代の時間の流れを思い出していました。一日が無限につづく時間だったように記憶しています。そんな,とっくのむかしに忘れてしまった古い記憶が懐かしく甦ってくる瞬間に出会い,やはり,奄美にやってきてよかったなぁ,しみじみ思った次第です。

島の南部の海岸の多くは,山から海へ,すとんと急峻な傾斜のまま落ちています。もちろん,砂浜などはありません。平地がまったくないので,集落もありません。そういう海岸は,そのまま深い海になっているせいか,白波も小さく,海面の風で飛ばされた海水がわずかに波打つだけにみえます。海の色も濃いブルー。どちらかといえば黒に近い。海が相当に深いということがわかります。じっと眺めていると,どこか人を寄せつけないような神秘的なものを感じました。

東シナ海に面した海は,国直(くになお,島口では「くんにょり」)で,夕日が沈む海と早朝の海を眺めることができました。ここはかなり長い砂浜があって,やや入江になっているため,それほど大きな波は打っていませんでした。しかし,ここも遠浅であるらしく,波が幾重にも立ち上がっては砕け散っていました。ここでもサーファーがかなり沖合で波を待っている姿をみることができました。時折,サーファーが波をとらえて立ち上がるので,よくわかりました。今福さんのお話では,この海も干潮になるとかなり沖合まで海が干上がるとのことでした。この海は,国直に一泊しましたので,かなり長い時間眺めて過ごすことができました。夕日が沈む光景がいまも鮮やかに記憶に残っています。なぜか,おいで,おいで,と夕日に誘われているような錯覚に陥りました。今福さんは,夕日に向って,流木を数本,突き刺して不思議なオブジェをつくり,ひとり三線を弾きながら島唄をうたっていました。わたしはその隣で太極拳の基本の足裁きの稽古をしました。

同じ東シナ海に面した円(えん,島口では「いん」)の海は荒い波が打ち寄せ,海鳴りが常時,聞こえていました。岩の多いところで,海岸沿いの海底にも岩がいっぱいあるように見受けました。そのせいか,こここそ大きな白波がはるか沖合から幾重にもいくえにも打ち上げては,砕け散っていました。ここ円では,集落のご婦人たちの接待で,昼食(島料理)をご馳走になりました。この話はまたいずれ。この昼食を空き地にござを敷いて,みんなで車座になっていただきました。その間も,ずーっと海鳴りの音が聞こえていました。しかも,かなり大きな音で。この地の人たちは,朝・昼・晩の24時間,この海鳴りの音を聞きながら暮らしているわけです。たぶん,生まれたときから聞こえている音なので,この海鳴りの音がからだの中にもしっかりと染み込んで,一体化していることでしょう。それが,この地に生きる人たちの生まれながらの「からだ」なのでしょうから。海鳴りの音はなくてはならない生活音に違いありません。

奄美大島から加計呂麻島にわたるフェリーは大きな船でしたので,それほどに波による揺れは感じませんでした。しかし,加計呂麻島から請島にわたる海上タクシー(14人乗り)は大変でした。時間にして25分で渡れる海峡なのに,船着場のある入江から海峡にでたとたんに,ものすごい波・風に煽られて,揺れも波しぶきもひどいものでした。たまたま甲板にいたために,またたく間に右側半身が波しぶきでびしょ濡れになりました。短い海峡とはいえ,やはり,外海の威力を存分に体験させてもらいました。こんな海がなにかの事情で(たとえば,台風で)荒れたときの威力たるやすさまじいだろうなぁ,と想像してしまいました。そうなったら,もはや人間のでる幕はありません。海のいいなりにしたがうのみでしょう。あとは,じっと時の流れを待つのみ。この「待つ」ということが,おそらく前近代までの人間にとってはごくごく当たり前の話だったに違いありません。これもまた,現代社会を生きるわたしたちが遠い過去に置き忘れてきてしまった経験知のひとつと言っていいでしょう。それにしても,海の底力のようなものを忘れることはできません。

最後の海は入江の海。これは請島の池地で経験しました。ここでは昼食をとり,食後の休憩時間もたっぷりありましたので,みなさん思いおもいに泳いだり,カヌーを漕いだり,日光浴をしたり,海岸沿いに海水に足を浸しながら散歩したり,楽しみました。わたしはもっぱら欠けた珊瑚を拾っていました。汀には小さな魚がいっぱい泳いでいるのが見えました。静かな,とても静かな海です。しかし,ここにいると,海であることを忘れてしまいます。なぜなら,周囲は大きな山に囲まれていて,まるで箱根の芦ノ湖の湖岸に立っているような錯覚を起こしました。むしろ,芦ノ湖の方が波があったように記憶します。ときおり風が止まると,海面はまるで鏡のように静まりかえり,夢のような午後のひとときを過ごしました。まるで時間も止まってしまったのではないか,とさえ思ったほどでした。まさに,至福のとき。こういう深い入江があちこちにあって,車で移動しながら,海であることをすっかり忘れて山奥の湖水ではないかと思うことがしばしばありました。

こういう体験をさせてもらっただけでも,やはり,奄美大島にやってきてよかったとおもいました。自然と真っ正面から向き合うということが,こんなにもこころの洗濯になるということを,あらためて確認した次第です。海も山も大好きなわたしは,これだけでも大満足。こういう時間を,定期的に持たなくてはいけないなぁ,としみじみおもいました。奄美の海もまた神秘の宝庫でした。

今福さんは,この山と海のせめぎ合う境界領域,そこは同時に生命のみぎわでもある「汀」に早くから注目し,あるいは,夜と昼,生と死のあわいを彩る「薄墨色」に注目し,あるいはまた,大陸という帝国とはまったく別個の群島にのみ温存されている素朴な「生」の基本に注目し,そこから開かれてくる新しい「世界」に注目し,現代社会における「ミニマ・グラシア」(最小限の恩寵)を探し求めているのでしょう。そんなところに今福さんの「奄美自由大学」の深い企みが隠されているように感じた三日間でした。そのことを気づかせてくれたのも,まずは,山であり,そして,この海でした。そこに秘められている人智の及ばない神威の存在に気づくこと,それが「9・11」,そして「3・11」を通過したわたしたちに,いま,もっとも重要なことのひとつではないか,とわたしは考えています。

このことと,わたしの考える「スポーツ史」や「スポーツ文化論」は無縁ではありえません。これからも,もっともっと深く思考を押し進めていきたいと「希求」しているところです。

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