2011年9月30日金曜日

『東京新聞』29日夕刊の斉藤珠美記者の記事に拍手。

朝日新聞から東京新聞に乗り換えて,ほんとうによかったと思っている。
その第一の理由は,社を挙げて「脱原発」を打ち出し,その基本方針のもとに記事の内容が一貫しているからだ。もちろん,記者以外の評論家と称する人たちの書く記事のなかには「これはどうも」と思うものも少なくない。それはそれでいい。ときには違う意見が載っていることも必要だから。あとは,読者が判断すること。

東京新聞に乗り換えてから,かれこれ3カ月が経つ。そろそろ総括の感想でも書こうかと思っているが,それはもう少しあとにする。その前に,昨日(29日)の夕刊に素晴らしい記事があったので,紹介しておく。それは,記事の内容がいいからというのではなくて,記事を書くための記者の取り組む姿勢がいい,という意味である。結果的に,その記事の内容もよくなるのだが・・・。

新聞記者が記事を書くときには,まずは取材をし,さらにその裏をとった上で,初めて作文にとりかかる,と聞いている。まあ,言うなれば,他人の言説のうち信頼できるものだけを選びだして,それでことの事実関係を明らかにする,という方法だ。それが,もっとも一般的な方法だと聞いている。なかには,ぶら下がり記事と称して,政治家の行う公式の記者会見をそのまま記事にして終わりという,まことに横着な方法もあると聞く。つまり,徹底的な取材による調査や裏をとるという方法をはぶいて,右から左へと垂れ流す方法である。場合によっては電話取材だけで済ますという手もあるそうな。

しかし,中には記者が渾身の力を振り絞って書く記事もある。
昨日(29日)の東京新聞・夕刊に「斉藤珠美」記者の書いた記事がそれである。読んでいて記者の体温が伝わってくる。現場で仕事をしている人たちの息づかいまで伝わってくる。それはそうだ,その同じ作業を記者も身を挺して一緒にやっているのだから。文化人類学でいうところの「参与観察」による記事(description=外に書く=外面にみえるところだけを書く)ではなく,記者がからだごとそのできごとの中に「参与」した上で書いた記事(inscription=内に書く=からだの内面に感じ取ったことを書く)なのだ。だから,当事者たちの痛みや辛さや,その影にある本音までもが,自分のからだをとおした体験として語られる。だから,読む者のこころの奥深くにまで入り込み,強くこころを打つ。

記事の内容は,南相馬市で住民が除染作業を本格的に開始した,その作業現場に乗り込んで,一緒に作業をして,そこで得た生の声を記事にまとめたものだ。大きな活字の見出しから順に紹介しておくと以下のとおり。
懸命除染「元の生活に」,「南相馬で住民作業が本格化」「息苦しい防護服,重労働」「悩みの種は汚染土の処理」「本紙記者参加」,それに写真が3枚。その写真の1枚は,屋根の除染。その様子を記事から引いておく。

「住民と同様,放射性物質の侵入を防ぐ長袖の白い防護服と,手袋,長靴,マスクを着用。高所作業車のかごに乗り,数メートルの高さから身を乗り出し,高圧洗浄機で屋根の泥を洗い飛ばすのだが,これがなかなかの重労働。」
「水の勢いで操作が安定しない上,指でレバーを引き続けなければならない。放射性物質がたまりやすい雨どいを狙うが,七,八分で両腕が悲鳴を上げ始めた。残暑もまだ厳しく,防護服の中は蒸し風呂のようで息苦しい。住民の中には作業半ばで防護服を脱ぎ,マスクも外す人もいた。」

という具合である。まさに記者のからだをとおして書かれた inscription である。あらゆる記事を全部,このようにして書けとは言わない。しかし,inscription でなくては伝えることのできない情報というものもある。とりわけ,今回のような震災からの復興に関する住民の苦労というものは,外見だけではとても伝わってはこない。やはり,同じ苦労をしてみて,そこから伝えなくてはならない大事な情報がセレクトされる,そのプロセスが必要なのだ。

以前,わたしは被災地をたずねて各地をまわったことがある(このことは,このブログでも書いたので重複をさける)。そのときに,地元新聞の『河北新報』を買って帰ってきた。そして,自宅にとどく『朝日新聞』とくらべてみて,びっくり仰天したことがある。なぜなら,『河北新報』の記事の大半は,記者が直接,現場に立ち,被災者と同じ目線から記事を書いていたからだ。ときには「涙声」になって書いている,その「熱情」までもが伝わってくる。

これを知ったのち,いわゆる「3・11」以後の新聞の縮刷版がたくさん書店に並んだので,『朝日新聞』と『読売新聞』と『河北新報』の三つを購入して,同じ日付の記事内容を読み比べてみた。それで,記事なるものの実態を知り,唖然としてしまった。その記事に寄せる記者の「体温差」に。それはもう,比べ物にならないほどの「体温差」なのである。これは,いまからでも追体験できることなので,ぜひ,書店でできる範囲でいい,験してみてほしい。

こんなこともあって,わたしは『朝日新聞』に見切りをつけて『東京新聞』に乗り換えた。結果的には大正解だった。この他にも,『東京新聞』のよさはたくさんある。それらについては,いずれまた,このブログで書いてみたいと思う。

今回は,とにかく「斉藤珠美」記者にこころからのエールを送りたくて,このブログを書いている。このような記者がひとりでも多く輩出することを期待したい。できることなら,「斉藤珠美」記者に会って,もっと詳しい話を聞いてみたい。そんな衝動にかられる。わたしの研究会に講師としてお出でいただければ,なお嬉しい。じつは,このブログがご縁になって,ご本人に伝わることを密かに期待したいところ。

叶えられればいいのだが・・・・。
そして,inscription 万歳!

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