9月18日(日)から中国旅行に出よう,と密かに計画。
いつもの,Nさん,Kさん,それに老師とわたし,計4人。
今回は,主として昆明を中心に雲南省の北西部(大理,麗江,など)の民族芸能の調査研究。
旅程も決まり,チケットも購入,ホテルも予約,すべて準備は完了。
昨日(11日)になって,わたしの旅券の有効期限が切れていることが発覚。
頭の中が真っ白。茫然自失。しばらく身動きもできない。
インターネットで調べたら,申請から交付まで6日間を要す,とある。
駄目だ。時間がない。どうあがいてみてもどうにもならない。もう,あきらめるしかない。
ようやく気をとりなおして老師に電話。
老師,慌てず,騒がず。大丈夫,旅券はとれます,と平然。
現代の名人はどこか世俗の世界を超越してしまっているかのようだ。
いやいや,ここは日本です。日本の役人は「小回り」がきかない,とわたし。
大丈夫,ちゃんと説明すれば早めに発行してくれます,と老師。
いやいや,そんなわけにはいきません,とわたし。
でも,やってみなければわからない,と老師。
つぎに,Nさんに電話。いま,新幹線の中とのこと。要件だけつたえる。
夜になって,Nさんから電話。いろいろ考えてみたけれども,いい手がみつからない。あとは,窓口で頑張るしかないですね,と。
ああ,万事休す。この窓口交渉がまことに苦手。困った。
でも,こうなっから居直って,やってみるしかないか,と覚悟。
Kさんは,安曇野塾なので,携帯にメール。
「なんてこと!」,とまずは一喝。でも,「粘ってね」とひとこと。
たった,これだけの応答。あとは,Kさんがどんな気持ちでいるかを想像するのみ。
まずいことになってしまった,と深刻に反省。
夜のうちにできる準備をして,翌日(12日)に備える。
問題は,どうやって5日間で旅券を発行してもらえるようにするか,その戦略を練ること。
いろいろ奇策も考えるが,それはやめた方がいい・・・,むしろ,正直に窮状を訴えて,正攻法で・・・,それも説得力がないなぁ・・・,ならば,泣き落とししかないか・・・・などと考えているうちに眠れなくなってしまう。
久しぶりに「羊が一匹」「羊が二匹」・・・と数えてみる。効果なし。
今日(12日),朝5時に起きて,新幹線に乗るために新横浜へ。
まずは,戸籍抄本を本籍地の豊橋市まで取りにいく。
8時30分の始業開始を待って,抄本発行の手続。
抄本を受け取って,すぐに折り返して,豊橋駅へ。
30分に一本の「こだま」号に乗って新横浜へ。
そして,関内にあるパスポート・センターへ一直線。
12時30分,到着。すぐに行列のうしろに並ぶ。
順番がやってきて,必要書類を提出。
さすがにプロ。
いきなり,18日の出発は無理です,ときた。
「エーッ!」と思いっきり驚く。(これは一晩考えた,最大限の演技)
「エッ,なにかお困りですか」
「お困りもなにも,旅券の発行が間に合わなかったら,このまま生きては帰れません」
「そんなに大事なご用事なのですか」
ここからが,わたしの演技力発揮の場面。
縷々,特別の事情があることを,必死の形相をして説明。
気の毒そうな顔をして,わたしの話を聞いてくれたお姉さん。
「ちょっとお待ちください」といって奥の衝立の向こうに姿を消す。
上司が面談しますので,椅子にかけてお待ちください,とのこと。
「しめたっ!」とこころのうちで叫ぶ。
ややあって,50歳前後の男性が現れ,お話を伺います,という。
さあ,ここが勝負,とばかりに必死で窮状を訴える。
火事場の馬鹿力とはこういうことを言うのだろうなぁ,と自分でも感心するほどに頭とことばが連動してくれる。
相手の男性の顔つきが次第に変わってくるのが手にとるようにわかる。
本気で聞いていてくれる。いい人だ。
ひととおり,わたしの話を聞いてくれたあとで,「お困りのこと,よくわかりました。で,今回の旅行の必要性を証明する書類を提出してくだされば,それをもとにして早期発行の是非について判断させていただきます。それが可能でしょうか」という。
「ええ,もちろんです」というしかない。
で,ちょっと時間をください。あちこち相談をしてみますので,と断わって,もっとも的確な証明書を作成してくれそうなところに電話。携帯電話の威力をまざまざと知る。
ありがたいことに,ここに「救いの神」が現れて,「すぐに,書きましょう」と言ってくれる。あとは,担当者と「救いの神」との間で,直接,やりとりをしてもらって,無事に目処がつく。
インターネット時代の問題解決法の典型のようなもの。
「救いの神」,さまさまである。この人がうまく研究室にいてくれなかったら,この問題は相当にごじれたのではないか,と思う。
やはり,持つべきものは頼りになる友。
待つこと一時間余。
「稲垣さん,とても立派な証明書が送信されてきましたので,これで大丈夫です。16日(金)には受け取りが可能です」と担当者がにっこり。
わたしは思わず握手をしたくなりましたが,ぐっと我慢してしまいました。
そして「これで,すべてに面目が立ちます。ありがとうございました」と深く頭を下げました。
これは本音でした。こころから,そう思ったのですから。
という次第で,16日(金)にめでたく旅券交付という運びになりました。
これで,なんとか予定どおり,中国旅行にでかけることができます。
それにしても,同行のみなさんには,とんでもないご心配をおかけすることになり,この旅はちょっぴり肩身が狭い。それにしても,とんだ恥さらし。でも,やれやれ,ほっと一息。
でも,でも,永遠の笑いのネタになりそう。
でも,でも,それでよかった,としみじみ思う。
この逆であったら・・・・と思うと冷や汗たらり,では済まされません。
死ぬまで揶揄されそう・・・・。
ああ,今夜はいい夢がみられそう。
いつもの,Nさん,Kさん,それに老師とわたし,計4人。
今回は,主として昆明を中心に雲南省の北西部(大理,麗江,など)の民族芸能の調査研究。
旅程も決まり,チケットも購入,ホテルも予約,すべて準備は完了。
昨日(11日)になって,わたしの旅券の有効期限が切れていることが発覚。
頭の中が真っ白。茫然自失。しばらく身動きもできない。
インターネットで調べたら,申請から交付まで6日間を要す,とある。
駄目だ。時間がない。どうあがいてみてもどうにもならない。もう,あきらめるしかない。
ようやく気をとりなおして老師に電話。
老師,慌てず,騒がず。大丈夫,旅券はとれます,と平然。
現代の名人はどこか世俗の世界を超越してしまっているかのようだ。
いやいや,ここは日本です。日本の役人は「小回り」がきかない,とわたし。
大丈夫,ちゃんと説明すれば早めに発行してくれます,と老師。
いやいや,そんなわけにはいきません,とわたし。
でも,やってみなければわからない,と老師。
つぎに,Nさんに電話。いま,新幹線の中とのこと。要件だけつたえる。
夜になって,Nさんから電話。いろいろ考えてみたけれども,いい手がみつからない。あとは,窓口で頑張るしかないですね,と。
ああ,万事休す。この窓口交渉がまことに苦手。困った。
でも,こうなっから居直って,やってみるしかないか,と覚悟。
Kさんは,安曇野塾なので,携帯にメール。
「なんてこと!」,とまずは一喝。でも,「粘ってね」とひとこと。
たった,これだけの応答。あとは,Kさんがどんな気持ちでいるかを想像するのみ。
まずいことになってしまった,と深刻に反省。
夜のうちにできる準備をして,翌日(12日)に備える。
問題は,どうやって5日間で旅券を発行してもらえるようにするか,その戦略を練ること。
いろいろ奇策も考えるが,それはやめた方がいい・・・,むしろ,正直に窮状を訴えて,正攻法で・・・,それも説得力がないなぁ・・・,ならば,泣き落とししかないか・・・・などと考えているうちに眠れなくなってしまう。
久しぶりに「羊が一匹」「羊が二匹」・・・と数えてみる。効果なし。
今日(12日),朝5時に起きて,新幹線に乗るために新横浜へ。
まずは,戸籍抄本を本籍地の豊橋市まで取りにいく。
8時30分の始業開始を待って,抄本発行の手続。
抄本を受け取って,すぐに折り返して,豊橋駅へ。
30分に一本の「こだま」号に乗って新横浜へ。
そして,関内にあるパスポート・センターへ一直線。
12時30分,到着。すぐに行列のうしろに並ぶ。
順番がやってきて,必要書類を提出。
さすがにプロ。
いきなり,18日の出発は無理です,ときた。
「エーッ!」と思いっきり驚く。(これは一晩考えた,最大限の演技)
「エッ,なにかお困りですか」
「お困りもなにも,旅券の発行が間に合わなかったら,このまま生きては帰れません」
「そんなに大事なご用事なのですか」
ここからが,わたしの演技力発揮の場面。
縷々,特別の事情があることを,必死の形相をして説明。
気の毒そうな顔をして,わたしの話を聞いてくれたお姉さん。
「ちょっとお待ちください」といって奥の衝立の向こうに姿を消す。
上司が面談しますので,椅子にかけてお待ちください,とのこと。
「しめたっ!」とこころのうちで叫ぶ。
ややあって,50歳前後の男性が現れ,お話を伺います,という。
さあ,ここが勝負,とばかりに必死で窮状を訴える。
火事場の馬鹿力とはこういうことを言うのだろうなぁ,と自分でも感心するほどに頭とことばが連動してくれる。
相手の男性の顔つきが次第に変わってくるのが手にとるようにわかる。
本気で聞いていてくれる。いい人だ。
ひととおり,わたしの話を聞いてくれたあとで,「お困りのこと,よくわかりました。で,今回の旅行の必要性を証明する書類を提出してくだされば,それをもとにして早期発行の是非について判断させていただきます。それが可能でしょうか」という。
「ええ,もちろんです」というしかない。
で,ちょっと時間をください。あちこち相談をしてみますので,と断わって,もっとも的確な証明書を作成してくれそうなところに電話。携帯電話の威力をまざまざと知る。
ありがたいことに,ここに「救いの神」が現れて,「すぐに,書きましょう」と言ってくれる。あとは,担当者と「救いの神」との間で,直接,やりとりをしてもらって,無事に目処がつく。
インターネット時代の問題解決法の典型のようなもの。
「救いの神」,さまさまである。この人がうまく研究室にいてくれなかったら,この問題は相当にごじれたのではないか,と思う。
やはり,持つべきものは頼りになる友。
待つこと一時間余。
「稲垣さん,とても立派な証明書が送信されてきましたので,これで大丈夫です。16日(金)には受け取りが可能です」と担当者がにっこり。
わたしは思わず握手をしたくなりましたが,ぐっと我慢してしまいました。
そして「これで,すべてに面目が立ちます。ありがとうございました」と深く頭を下げました。
これは本音でした。こころから,そう思ったのですから。
という次第で,16日(金)にめでたく旅券交付という運びになりました。
これで,なんとか予定どおり,中国旅行にでかけることができます。
それにしても,同行のみなさんには,とんでもないご心配をおかけすることになり,この旅はちょっぴり肩身が狭い。それにしても,とんだ恥さらし。でも,やれやれ,ほっと一息。
でも,でも,永遠の笑いのネタになりそう。
でも,でも,それでよかった,としみじみ思う。
この逆であったら・・・・と思うと冷や汗たらり,では済まされません。
死ぬまで揶揄されそう・・・・。
ああ,今夜はいい夢がみられそう。
1 件のコメント:
あ~よかった~。読んでいてドキドキしました。
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