2011年9月10日土曜日

柏木裕美さんの能面「生まれたときは」が大活躍(奄美自由大学)

能面アーティストの柏木裕美さんも,奄美自由大学に初参加されました。「もちろん,能面を持ってきてくださいますよね」というのが今福さんからのメールだったそうです。その中には伝統面の「翁」と創作面の「生まれたときは」の二つは,ぜひともお願いしますとあり,その他にも数面,持ってきてくださるとありがたい,とのご依頼だったそうです。

太極拳の稽古の終ったあとの昼食のときに,「その他,数面」はなにを持っていけばいいのでしょうねぇ,と相談されましたが,わたしに特別のアイディアがあるわけではありません。ですので,ご自分で気に入っている面をお持ちになったらいかがですか,と応答するしかありませんでした。それに,今福さんが「お面」をどのようにお使いになるのかもよくわかりません。たぶん,即興で,なにか面白いアイディアが浮かんだときに,それらのお面とのコラボレーションが展開されるのだろうなぁ,とは想像していましたが・・・。それ以上のことはわかりませんでした。

柏木さんは考えあぐねた末に,依頼された2面のほかに3面を選んでもってこられました。貴重な作品ばかりですので,運ぶのも神経を使い大変なご様子でした。その苦労の甲斐があって,柏木さんのお面は三度,出番がありました。

第一回目は,二日目の午前。
安脚場(あんきゃば)。ここは,加計呂麻島の太平洋側の最先端にある「聖地」。かつての戦場でもあったところ。海岸からゆるやかな傾斜を登ったところにあるちょっとした広場,ここが舞台となり,今福さんと詩人の川満さんとの即興の詩の朗読が行われました。
今福さんが「生まれたときは」(幼児の面で,右側半分が男の子,左側半分が女の子。つまり,両性具有の面)の傍に立ち,川満さんは「翁」面の傍に立ち,それぞれの詩を朗読。今回の奄美自由大学のメイン・テーマである「群島創世記──アブグイの谺(こだま)を探して,にぴったりの演出ができあがりました。ときおり,「生まれたときは」のお面を手にして,ぐるりとまわりの人に見えるように指し示しながら今福さんの自作になる詩の朗読がつづきます。それを受けるようにして,こんどは川満さんが「翁」の面に寄り添うようにして詩の朗読がつづきます。川満さんのお顔そのものが,すでに,立派な翁の面に仕上がっていると言っていいほどの「柔和な」,奥行きのある表情をしていらっしゃいますので,なんだか「翁」のお面が二つあるような錯覚を起こしてしまいました。アブグイとは「呼び声」の島ことばだとのことですので,まさに,生まれたばかりの幼児と,長い人生を生き長らえてきた翁との「アブグイ」そのものを,わたしたちは「じかに」聞いたわけです。「場」の力というものは,たしかに存在する,とそのとき実感しました。言ってしまえば,単なる雑木林。でも,そこは,かつては「戦場」になったこともあるとはいえ,むかしからの「聖地」です。おそらく,むかしからさまざまな聖なる儀礼がそこでは展開したことでしょう。その名の名残こそが「安脚場」そのもの。この「安脚場」に呼応するかのように,奄美大島の北西部に「安木屋場」(あんきゃば)という集落があります(第三日目の午前中にこの地を巡礼)。これも一つのアブグイ。「生まれたときは」と「翁」のアブグイ,今福さんと川満さんの詩の朗読によるアブグイ,そして,「安脚場」と「安木屋場」との間に起こるアブグイ・・・・二重,三重に折り畳まれたアブグイの「谺」に耳を傾ける恩寵のひとときを過ごすことができました。やはり,柏木さんの丹精こめて制作したお面がなくては,この場のアブグイは,もっともっと味気ないものに終わったに違いない,とわたしは確信しました。能面アーティストの柏木さんにこころからのエールを送りたいとおもいます。

できることなら,このときに朗読された詩を,いまからでもいいので,ぜひ,添付ファイルにでもして送っていただけたら・・・と欲の深い願望が頭をもたげています。そうすれば,これから何回も,わたしの頭のなかで安脚場でのアブグイをリピートすることができます。そうすれば,あのときの記憶は,またまた,新たな命を吹き込まれ,拡大再生産されていくことになります。そうして,わたしの中に新たな神話が生まれてくるのではないか,という楽しみが増えます。そんなことが可能なのもまた奄美自由大学のいいところではないか・・・などと勝手な想像をたくましくしているところです。たぶん,実現するだろうなぁ・・・・とアブグイに籠めて。
二回目は,二日目の夜。
映画の上映が2本,今福龍太監督作品(「円英吉──帰郷」)と濱田康作監督作品(「涙の道──チェロキー」)の2本。この上映が終わって,しばらくお酒を飲みながら歓談がつづきました。この日はオープン・スペースでのバーベキューでした。いわゆるバーベキュー・パーティです。その途中で,会場の一角にライトがつき,そこに柏木さんが持参してくださった「五つの面」のお披露目がありました。興味のある方たちが近寄ってきて,熱心に手にとり,顔に付けたりしながら,柏木さんの説明に耳を傾けていました。そのあと,いくつかの質問もあったりして,この場はとても盛り上がりました。

これが終って,お酒を飲みながら歓談しているところに,これは明らかに「サプライズ企画」の一つだったのでしょう。映画上映のための白い幕を舞台背景にして,そこに「生まれたときは」のお面をつけた,これまた男性なのか女性なのか判別しにくい登場人物が下手(しもて)より静々と現れました。白いロング・スカートにTシャツ姿。最初,女性だと思ってみていたら,突然,空手の型をはじめたのをみて,あれっ?この動きは男性ではないか?としばらくじっと目を凝らして眺めていました。そこに,いつのまにか現れた川満さんが即興で詩を朗読しはじめるではありませんか。これには驚きました。川満さんは,用意した原稿はほとんどみることなく,その場に起きているアブグイに呼応するかのように,演者の動きと呼吸を合わせながら,ゆっくり,ゆっくりと間をとり,詩を朗読される。演者は,武術を演じているのか,舞いを舞っているのか,これもまた不思議な「間(あわい)」の時空間を現出させていて,深くこころに残りました。

そして,なによりも「生まれたときは」の面のもつ威力のようなものが感じられ,このお面はいったいなにものなのだろうか,と目を見張ってしまいました。同時に,さすがに今福さんの選別眼は凄いなぁ,と感動。お面は動きをともなうことによって「生き返る」とは聞いてしましたが,この「生まれたときは」は,両性具有という点だけが,画廊に飾られたときのわたしの印象に残っていました。しかし,今回のインプロヴィゼーションによって,その本領がますます発揮された,というこがはっきりしました。このお面のもつ底知れぬ「力」をひしひしと感じました。やはり,部屋に飾るだけではなく,面をつけて動くこと(演ずること)もとても大事なことなのた,とこころから納得でした。

これが三回目の出番でした。
今回の奄美自由大学では,柏木さんのお面が大活躍した,と言っても過言ではありませんでした。こういう「芸」をもった人はいいなぁ,と羨ましくおもいました。

これを演じてくれた若者(沖縄の男性)と衣裳のロング・スカートを提供したヨンジャさんと今福さんと4人で語り合ったことも,とても印象に残りました。それは,武と舞の同根性について。これは,じつは,瀧元君の学位論文のテーマ。この瀧元ファミリー(4人)の参加も,いつか,このブログで取り上げてみたいとおもいますので,「武と舞の同根性」については,そのときに述べてみたいとおもいます。

今回は,能面アーティストの柏木裕美さんの制作された創作面「生まれたときは」が大活躍しました,というお話まで。


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