「先生,気をつけて!」
成田─北京─昆明と飛行機を乗り継いで,昆明の街にでた瞬間に李老師がわたしの腕をつかまえる。わたしは前と左右を注意して歩道を歩いていたつもりなのに,なにごとか,と驚く。すぐうしろに電動オートバイが接近しているではないか。音もなく。
電動オートバイというよりは,電動スクーターのようにみえる。よくよくみると電動自転車もたくさん走っている。もちろん,ふつうの自転車もたくさん走っている。これらは音がしない。だから,すぐうしろに接近していても気づかない。車道を走っているときはかなりのスピードだが,人が大勢歩いている商店街ではさすがにスピードを落としている。しかし,かれらは歩く人のすきまをかいくぐるようにして,スイスイと走り抜けていく。
大通りを走る自動車も,排気ガス規制が行き届いているようで,いわゆる排気ガスの匂いはあまりしない。ほとんど気にならない。むしろ日本の道路の方が匂いが強いのではないか,と思うほどだ。李老師に聞いてみると,北京オリンピックを経験して,中国は変わったという。排気ガスを徹底的に少なくするために,自動車も改良したし,オートバイはすべて「電動」に切り替えた,という。この徹底ぶりは,さすがに中国だ。
李老師に言わせると,電動オートバイは音がしないから危ない,小さな音でいいからわかるようにした方がいい,と。そう言われればなるほど,と思う。日本の自動車も,エンジンまわりが改善されて,ほとんど音がしなくなっている。細い路地などを歩いていて,うしろから車が近づいてきても気づかないことがよくある。もっとも,わたしの耳が遠くなってきていることもあるが・・・。それにしても,近頃の自動車はとても静かに走る。その分,車内の居住性もとても快適である。
そういう話はともかくとして,中国には,大きなガソリン用のエンジンを搭載したオートバイは存在しない,この事実にわたしはまずは驚いた。日本の住宅地を悩ませる「真夜中のオートバイの爆音」(暴走族)は中国には存在しない。一般自動車道を音もなくすいすいと走り抜けていく。朝の通勤時にも,圧倒的に多い電動オートバイの大群団が音もなく,整然と一斉に駆け抜けていく。自転車ならわかる。が,明らかにオートバイなのだ。そのオートバイの大群団が音もなく通りすぎていく。この見慣れない光景に,なにか不思議な感覚に襲われる。
この大量のオートバイが,ガソリンで走っていたとしたら・・・・と想像してみるだけで,その光景がくっきりと浮かんでくる。北京の天安門前を通過する12車線を誇る大道路を,かつては自転車の大群が走っていたところに,ガソリン・エンジンを搭載したオートバイの大群が走るとしたら,それらが排出する排気ガスで,北京の街はたいへんなことになってしまうだろう。そのことを早めに予測して,電動オートバイ一本に絞り込んだという。じつに賢明な選択である。
だから,昆明の街中も,北京の街中もガソリンの匂いがほとんどしない。音も静かだ。もちろん,排気ガスも少ない。それでいて,大量の電動オートバイと自動車が走っているのだ。
一人乗りのオートバイやスクーターであれば,電動で十分に事足りるのだ。それを国家(党中央委員会)が率先して国策として取り上げ,指導していく。この行動力・実行力は羨ましいかぎりだ。もちろん,権力というものは両刃の剣であるから,使いようによってはとんでもないことになるのだが・・・。それにしても,この電動オートバイへの切り替えはみごとというほかはない。
しかも,その電気を可能なかぎりソーラーで賄おうとしている。
日本は,もっともっと智慧を絞るべきときにきている。
そう,しみじみ思った。
成田─北京─昆明と飛行機を乗り継いで,昆明の街にでた瞬間に李老師がわたしの腕をつかまえる。わたしは前と左右を注意して歩道を歩いていたつもりなのに,なにごとか,と驚く。すぐうしろに電動オートバイが接近しているではないか。音もなく。
電動オートバイというよりは,電動スクーターのようにみえる。よくよくみると電動自転車もたくさん走っている。もちろん,ふつうの自転車もたくさん走っている。これらは音がしない。だから,すぐうしろに接近していても気づかない。車道を走っているときはかなりのスピードだが,人が大勢歩いている商店街ではさすがにスピードを落としている。しかし,かれらは歩く人のすきまをかいくぐるようにして,スイスイと走り抜けていく。
大通りを走る自動車も,排気ガス規制が行き届いているようで,いわゆる排気ガスの匂いはあまりしない。ほとんど気にならない。むしろ日本の道路の方が匂いが強いのではないか,と思うほどだ。李老師に聞いてみると,北京オリンピックを経験して,中国は変わったという。排気ガスを徹底的に少なくするために,自動車も改良したし,オートバイはすべて「電動」に切り替えた,という。この徹底ぶりは,さすがに中国だ。
李老師に言わせると,電動オートバイは音がしないから危ない,小さな音でいいからわかるようにした方がいい,と。そう言われればなるほど,と思う。日本の自動車も,エンジンまわりが改善されて,ほとんど音がしなくなっている。細い路地などを歩いていて,うしろから車が近づいてきても気づかないことがよくある。もっとも,わたしの耳が遠くなってきていることもあるが・・・。それにしても,近頃の自動車はとても静かに走る。その分,車内の居住性もとても快適である。
そういう話はともかくとして,中国には,大きなガソリン用のエンジンを搭載したオートバイは存在しない,この事実にわたしはまずは驚いた。日本の住宅地を悩ませる「真夜中のオートバイの爆音」(暴走族)は中国には存在しない。一般自動車道を音もなくすいすいと走り抜けていく。朝の通勤時にも,圧倒的に多い電動オートバイの大群団が音もなく,整然と一斉に駆け抜けていく。自転車ならわかる。が,明らかにオートバイなのだ。そのオートバイの大群団が音もなく通りすぎていく。この見慣れない光景に,なにか不思議な感覚に襲われる。
この大量のオートバイが,ガソリンで走っていたとしたら・・・・と想像してみるだけで,その光景がくっきりと浮かんでくる。北京の天安門前を通過する12車線を誇る大道路を,かつては自転車の大群が走っていたところに,ガソリン・エンジンを搭載したオートバイの大群が走るとしたら,それらが排出する排気ガスで,北京の街はたいへんなことになってしまうだろう。そのことを早めに予測して,電動オートバイ一本に絞り込んだという。じつに賢明な選択である。
だから,昆明の街中も,北京の街中もガソリンの匂いがほとんどしない。音も静かだ。もちろん,排気ガスも少ない。それでいて,大量の電動オートバイと自動車が走っているのだ。
一人乗りのオートバイやスクーターであれば,電動で十分に事足りるのだ。それを国家(党中央委員会)が率先して国策として取り上げ,指導していく。この行動力・実行力は羨ましいかぎりだ。もちろん,権力というものは両刃の剣であるから,使いようによってはとんでもないことになるのだが・・・。それにしても,この電動オートバイへの切り替えはみごとというほかはない。
しかも,その電気を可能なかぎりソーラーで賄おうとしている。
日本は,もっともっと智慧を絞るべきときにきている。
そう,しみじみ思った。
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