笑顔の美しい人,これが今回お会いしてつよく印象に残った真島一郎さんのイメージでした。西谷修さんから「真島さんはまじめな人ですから」と何回も聞かされていましたので,失礼がないようにということだけはこころがけたつもりです。最初はとても緊張しましたが,真島さんの「お久し振りです」のひとことと,その瞬間に表れたさわやかな笑顔に接してどれほど気持ちが楽になったことか,はかりしれません。
人は笑うとみんないい顔になります。が,ときには,笑ってもどこか冷たい印象を与える人もいます。しかし,真島さんの笑顔はとびきりでした。わたしの話を聞くときの真島さんの眼は鋭く光り,わたしの眼をじっとみつめて離しません。そして,わたしの眼の奥の奥まで見とおしていくような,そんな強いまなざしでした。ですから,わたしの方が目線をときおり外さないと圧倒されてしまうほどの迫力です。わたしはなにかを思い出そうとするふりをして天井に視線を向けたり,やや斜め下に目線を落してなにかを深く考えようとしているふりをしなければならないほどでした。こんな体験は久し振りでした。でも,真島さんの中でなにかが深く納得できたときには,パッと明るい笑顔に変わります。この落差なのでしょうか。それはそれはみごとな笑顔なのです。わたしの気持ちは,そのたびに,大いに救われました。
とまあ,こんな具合にして,3月9日(土)に予定されている第70回「ISC・21」3月東京例会の打ち合わせが行われました。真島一郎さんのことを初めて知ったのは,『季刊民族学』(国立民族学博物館発行の機関誌)に掲載された,コートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」に関する真島さんの論考でした。この論考はとても刺激的でした。なにせ,「霊」の力ですもうをとる,というお話ですから。詳しいことはここでは省略しておきますが(当日,お話をしてくださる予定),読んだ瞬間からこの真島さんという人にお会いしてお話を伺いたいとおもっていました。ところが,当時の真島さんは東京大学の大学院生で,ダン族の「結社社会」の研究のために現地に滞在中でした。そんなことで,いつか,どこかで,と楽しみにしていました。
あれから何年になるでしょうか。その間,忘れていたわけではないのですが,そのままになっていました。が,偶然,そのチャンスはめぐってきました。それは,西谷さんが仕掛けるシンポジウムに真島一郎さんが,ほとんどレギュラーのようにしてシンポジストをつとめていらっしゃったからです。最初にプログラムで「真島一郎」という名前をみつけたときに,もしかしたら?と一瞬わたしの脳裏をよぎりました。しかし,シンポジウムのテーマは「沖縄問題」です。あるいは,もっと違うテーマであったりします。なにせ,西谷さんの守備範囲はきわめて広いので,シンポジウムのテーマは多岐にわたります。そんな中に,毎回のように「真島一郎」という名前があり,実際に発言を生で聞いてもいるわけです。しかし,真島さんの発言のなかにはアフリカのことはひとこともでてきません。ですから,同姓同名の別人だとおもっていました。
ところが,です。目取真俊さんをお迎えしての,やはり,西谷さんが仕掛けた沖縄問題でのシンポジウムの折に,大きなチャンスが訪れました。壇上の真島さんが,発言の冒頭で「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定をかけて・・・・・」と仰ったのです。わたしのからだに電撃が走りました。そして「アフリカニスト」のひとことで,確信しました。同姓同名の人はよくあることです。しかし,「アフリカニスト」という限定がついた以上,もう,同姓同名はありえない,と。同時に,「自己否定をかけて」発言をするという真島さんの覚悟のほどが,鮮烈な印象を残しました。このあたりのことを西谷さんは「まじめな人」と仰るのだろうなぁ,と思います。
そこで,シンポジウムが終わったときに,勇気を奮い立たせて真島さんに声をかけさせていただきました。やはり,間違いありませんでした。真島さんは,いったい,どういう人なんだろうかと真剣なまなざしです。眼が光っていました。「ダン族のすもう・ゴンを『季刊民族学』に書かれた・・・・・」というところで,パッと笑顔になられ「はい,そうです」。あとはとんとん拍子で,いつか,わたしの主宰している研究会でお話を・・・・,「はい,わかりました。喜んで」と仰っていただきました。ですから,今回は二度目のミーティングという次第です。
3月9日(土)の会の名前は,第70回「ISC・21」3月東京例会,というものです。この会は,一般公開されていますので,どなたも参加可能です。詳しい情報は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のHPの掲示板に掲載しますので,そちらでご確認ください。もし,興味をもたれて参加したいという方は,以下の文献などに目をとおして,予習をしておいてくださることを希望します。そういう前提で会を進行させます。
真島一郎さんの書かれたテクストは以下のとおりです(こんどの研究会に関連するもののみ)。
『20世紀<アフリカ>の固体形成』,平凡社,2010年。
「装わねばならぬ力」,『季刊民族学』,第56号。
「呪術と精霊のうずまくすもう・ゴン」,『季刊民族学』,第58号。
「秘密 コートジボアール・ダン族の結社社会」,『季刊民族学』,第62号。
※『季刊民族学』に書かれた論考のタイトルは,わたしの記憶で書いていますので,あとで確認をして訂正をさせていただきます。お許しのほどを。
なお,わたしも真島さんの論考に触発されて,以下のような文章を書いていますので,ご参考までに。今回の会の趣旨を手軽に知るには役立つと思います。
「霊力を競うアフリカ・ダン族の『すもう』」,拙著『スポーツの後近代』,三省堂,1995年,P.34~41.
映像も用いて,できるだけ楽しく,わかりやすくお話をしてくださるように,真島さんにはお願いをしてきました。もちろん,快諾してくださいましたので,いまから,3月9日が楽しみです。一般の方の傍聴は自由ですので,興味・関心のある方は,どうぞ,お出かけください。
人は笑うとみんないい顔になります。が,ときには,笑ってもどこか冷たい印象を与える人もいます。しかし,真島さんの笑顔はとびきりでした。わたしの話を聞くときの真島さんの眼は鋭く光り,わたしの眼をじっとみつめて離しません。そして,わたしの眼の奥の奥まで見とおしていくような,そんな強いまなざしでした。ですから,わたしの方が目線をときおり外さないと圧倒されてしまうほどの迫力です。わたしはなにかを思い出そうとするふりをして天井に視線を向けたり,やや斜め下に目線を落してなにかを深く考えようとしているふりをしなければならないほどでした。こんな体験は久し振りでした。でも,真島さんの中でなにかが深く納得できたときには,パッと明るい笑顔に変わります。この落差なのでしょうか。それはそれはみごとな笑顔なのです。わたしの気持ちは,そのたびに,大いに救われました。
とまあ,こんな具合にして,3月9日(土)に予定されている第70回「ISC・21」3月東京例会の打ち合わせが行われました。真島一郎さんのことを初めて知ったのは,『季刊民族学』(国立民族学博物館発行の機関誌)に掲載された,コートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」に関する真島さんの論考でした。この論考はとても刺激的でした。なにせ,「霊」の力ですもうをとる,というお話ですから。詳しいことはここでは省略しておきますが(当日,お話をしてくださる予定),読んだ瞬間からこの真島さんという人にお会いしてお話を伺いたいとおもっていました。ところが,当時の真島さんは東京大学の大学院生で,ダン族の「結社社会」の研究のために現地に滞在中でした。そんなことで,いつか,どこかで,と楽しみにしていました。
あれから何年になるでしょうか。その間,忘れていたわけではないのですが,そのままになっていました。が,偶然,そのチャンスはめぐってきました。それは,西谷さんが仕掛けるシンポジウムに真島一郎さんが,ほとんどレギュラーのようにしてシンポジストをつとめていらっしゃったからです。最初にプログラムで「真島一郎」という名前をみつけたときに,もしかしたら?と一瞬わたしの脳裏をよぎりました。しかし,シンポジウムのテーマは「沖縄問題」です。あるいは,もっと違うテーマであったりします。なにせ,西谷さんの守備範囲はきわめて広いので,シンポジウムのテーマは多岐にわたります。そんな中に,毎回のように「真島一郎」という名前があり,実際に発言を生で聞いてもいるわけです。しかし,真島さんの発言のなかにはアフリカのことはひとこともでてきません。ですから,同姓同名の別人だとおもっていました。
ところが,です。目取真俊さんをお迎えしての,やはり,西谷さんが仕掛けた沖縄問題でのシンポジウムの折に,大きなチャンスが訪れました。壇上の真島さんが,発言の冒頭で「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定をかけて・・・・・」と仰ったのです。わたしのからだに電撃が走りました。そして「アフリカニスト」のひとことで,確信しました。同姓同名の人はよくあることです。しかし,「アフリカニスト」という限定がついた以上,もう,同姓同名はありえない,と。同時に,「自己否定をかけて」発言をするという真島さんの覚悟のほどが,鮮烈な印象を残しました。このあたりのことを西谷さんは「まじめな人」と仰るのだろうなぁ,と思います。
そこで,シンポジウムが終わったときに,勇気を奮い立たせて真島さんに声をかけさせていただきました。やはり,間違いありませんでした。真島さんは,いったい,どういう人なんだろうかと真剣なまなざしです。眼が光っていました。「ダン族のすもう・ゴンを『季刊民族学』に書かれた・・・・・」というところで,パッと笑顔になられ「はい,そうです」。あとはとんとん拍子で,いつか,わたしの主宰している研究会でお話を・・・・,「はい,わかりました。喜んで」と仰っていただきました。ですから,今回は二度目のミーティングという次第です。
3月9日(土)の会の名前は,第70回「ISC・21」3月東京例会,というものです。この会は,一般公開されていますので,どなたも参加可能です。詳しい情報は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のHPの掲示板に掲載しますので,そちらでご確認ください。もし,興味をもたれて参加したいという方は,以下の文献などに目をとおして,予習をしておいてくださることを希望します。そういう前提で会を進行させます。
真島一郎さんの書かれたテクストは以下のとおりです(こんどの研究会に関連するもののみ)。
『20世紀<アフリカ>の固体形成』,平凡社,2010年。
「装わねばならぬ力」,『季刊民族学』,第56号。
「呪術と精霊のうずまくすもう・ゴン」,『季刊民族学』,第58号。
「秘密 コートジボアール・ダン族の結社社会」,『季刊民族学』,第62号。
※『季刊民族学』に書かれた論考のタイトルは,わたしの記憶で書いていますので,あとで確認をして訂正をさせていただきます。お許しのほどを。
なお,わたしも真島さんの論考に触発されて,以下のような文章を書いていますので,ご参考までに。今回の会の趣旨を手軽に知るには役立つと思います。
「霊力を競うアフリカ・ダン族の『すもう』」,拙著『スポーツの後近代』,三省堂,1995年,P.34~41.
映像も用いて,できるだけ楽しく,わかりやすくお話をしてくださるように,真島さんにはお願いをしてきました。もちろん,快諾してくださいましたので,いまから,3月9日が楽しみです。一般の方の傍聴は自由ですので,興味・関心のある方は,どうぞ,お出かけください。
1 件のコメント:
いつもありがとうございます。ブログに初コメントさせて頂きます。ぜひとも、3月9日、先約の予定が調整できましたら参加させてくださいませ。真島一郎さんにお会いしてみたいです。まずは課題図書を拝読させて頂きます。
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