2015年5月24日日曜日

茨城県の水戸と大洗海岸を巡る旅。年に一回の旅行会。

 親同士が仲良しだったO家とI家との年に一回の合同旅行会があり,茨城県・大洗海岸に集結,再会を存分に楽しんできました。平成元年にはじまったということですので,すでに27年目。途中,2011年の大震災のあった年はお休みにしましたので,今回で第26回目の旅行会。いやはや,息の長いこと。みんな童心にかえってのはしゃぎぶりがなによりのご馳走。後期高齢者ばかりのじじ・ばばが無邪気に「ちゃん」づけで呼び合って,冗談ばかり言っては笑い転げてきました。

 ひょっとしたら,最高の健康法。いやいや,不健康極まりないかも。なぜなら,連日のはしゃぎすぎと過食と飲み過ぎ。帰宅して計量してみたら,なんと2㎏も体重増。これはあまりに増えすぎ。そのせいか,少しばかり胃が痛い。消化器官をはじめ,全身を休養させてやる必要がある。そんなことを考えなくてはならないのですから・・・・。帰宅後は断食に近い食生活。でも,夕食だけはしっかり食べる。反動で食べ過ぎで眠くなる。すぐに,ごろり。やはり,不健康な生活そのものです。来年からは気をつけなくては・・・・。

 総勢12名。80歳を超えた人が5名。ここではわたしは若造扱い。でも,幹事はわたしより10歳若い弟がやってくれますので,その点は楽隠居をさせてもらっています。助かります。移動はマイクロバス。2泊3日。

 中日はまる一日,水戸にでて遊んできました。まずは,緑岡の徳川ミュージアム,そして,偕楽園,弘道館と3か所を巡りました。偕楽園と弘道館はガイドさんが案内してくれましたので,とてもよい勉強になりました。

偕楽園からの眺望
 
今回の発見は,水戸は文字どおり「水の戸口」であった,ということを知ったことです。いつも,高台の偕楽園から遠望を楽しんでいましたので,水戸というところは高台にある都市だとばかりおもっていました。が,そうではなく旧城下町は高台にあるものの,その周囲は那珂川が流れ,偕楽園の下も千波湖があり,その周囲は湿地帯。ガイドさんの話では,この偕楽園の下まで太平洋から那珂川を遡り,支流に入って船が上ってきた,といいます。ですから,旧市街はともかくとして,新市街はむかしは湿地帯や田んぼだったそうです。いまでは,立派なビルが立ち並んでいますが・・・。これは驚きでした。

弘道館
 
最終日の午前には,大洗磯前神社に立ち寄ってきました。初日にバスでこの境内の下を通過したときに,なにか異様な雰囲気を感じたものですから,いったい,どういう神社なのだろうかと確かめたくなりました。行ってみたら,予想どおりの,一種異様な雰囲気をもった立派な神社でした。おそるおそる鳥居をくぐって社殿に向かうと,左側にこの神社の来歴を記した大きな案内板が立っていました。これを読んで,なるほど,と納得。

屋根に特徴がある
 
オオクニヌシを主神とする出雲系の神社でした。大洗の海岸から一気に小高い山となっていて,その頂上にこの神社があります。境内の周囲はキャンプ場となっていて,うっそうと生い茂った松林に囲まれています。社殿を後ろにして,正面の鳥居から外を眺めれば,太平洋が一望のもとに広がっています。ロケーション的にも,那珂川の河口に近く,水戸への海運の要所であったことは容易に想像がつきます。往時は相当の勢力をほこる豪族がここを拠点に活躍していたのだろう,とすぐにひらめきました。

正面の鳥居からの眺望
 
ここから海岸線に沿って南にくだっていけば,鹿島神宮があり,そのすぐ西には香取神宮があります。このふたつの神社がヤマト朝廷の北への備えの役割をはたしていたと考えると,この大洗磯前神社がどのようなものであったのか,はますます興味が湧いてきます。

 ついでに書いておけば,この鹿島神宮のすぐ近くには「鎌足神社」があり,地元には鎌足の出身地であり,多くの伝承がいまも語り継がれていると聞いています。鎌足一族の墓もある・・・と。

 となりますと,いよいよもって天智・天武のあの古代史の謎解きの鍵をにぎるひとつが,ここにもあるのでは・・・と夢はふくらんでいきます。こんどは,きちんと準備をしてフィールド・ワークにきてみたいと,もう,つぎの夢をみています。
コメントを投稿