2015年5月3日日曜日

戦争の記憶・その3.国民学校1年生。最初に学んだことは,整列,隊列行進,伏せ,匍匐前進。

 昭和19年(1944年),わたしは国民学校に入学した。いまでいうところの小学校だ。意味するところは,立派な「国民」を育成するための学校。つまり,小学校1年生から「国民」のはしくれに加えられ,そのための教育がなされた。もちろん,軍事訓練もあった。小さな子どもとはいえ,鬼畜米英が本土に上陸してきたら,兵隊の一員として戦うための技術を学んだのである。

 こんなこと,信じてもらえるだろうか。

 しかし,いまでも,戦乱がつづく弱小国の子どもたちは立派な兵士の一員として訓練を受け,前線に駆り出されている写真が報道されることがあり,びっくりする人が多い。なにを隠そう,いまから70年前のわが日本帝国が断末魔を迎えたときも,まったく同じことをやっていたのである。帝国婦人にいたっては,竹槍訓練をして,敵の戦車に竹槍で突っ込むのだ,と息巻いていたのである。しかも,みんな大まじめだった。

 国民学校1年生になった帝国少年ならぬ帝国児童が最初に学んだことは,隊列行進だった。すでに風雲急を告げており,空にはB29が隊列をなして飛来し,わたしたちが住んでいた町にも爆弾を落とした。いわゆる空襲警報がひっきりなしに発令され,そのたびに,防空壕に飛び込んで,息をひそめて身を固くして祈っていた。どうか,無事でありますように,と。死ぬことが怖かった。ほんとうに怖かった。

 「空襲警報発令!」が日常だった。だから,国民学校に登校するのも,町内ごとに集合して,6年生が隊長となって,隊列を組み,隊長の号令にしたがって学校まで行進して行った。隊列が乱れるとビンタがとんだ。1年生でも容赦はなかった。6年生にビンタをくらうと小さな1年生は2~3mはぶっとんだ。6年生が恐ろしく大きくみえたし,立派な大人にみえた。だから,絶対命令・絶対服従は理屈以前の問題だった。

 気をつけーッ! 前にならえーッ! 直れーッ! 右向けッ 右ーッ! 廻れ右ーッ! 前へ進めーッ! 全体ーッ 止まれーッ!

 これらはみんな6年生に教えてもらった。

 まだある。伏せーッ!というのがある。
 この号令がかかったら,ただちに地面に伏せる。ただ,地面に伏せるだけではなく,両手の親指で両耳を塞ぎ,人指し指・中指・薬指で両目を抑え,小指で鼻梁を押し込んで,じっと動かないでいなければならない。たとえ道路であろうと,水たまりがあろうと,構わず,直ちに「伏せ」の姿勢をとらなくてはならない。絶対命令だから。もたもたしていると,ビンタが飛んでくる。だから,だれよりも早く「伏せ」の姿勢をとらなくてはならない。

 「伏せーッ」が解除されると,つぎは「匍匐前進」である。夏の半袖シャツに半ズボンのときは,痛くて,辛かった。しかし,「痛い」などと言ってはならない。言えば,何回もやらされる。そして,「非国民!」と言って罵られる。これが一番恐ろしかった。「非国民!」と怒鳴られることは,「死ねッ!」というのと同義だった。

 下校時も同じだった。町内ごとに全員集合し,隊列を組んで行進である。町内の集合場所に到着すると,そこで解散である。しかし,その途中で,必ず1回は「伏せーッ!」の号令が掛かり,そのあとは「匍匐前進」の練習をした。だから,町内にたどりつき,「解散ッ!」の号令を聞くと同時に,みんな駆けだした。家に向かって一目散だ。

 家に到着すると,カバンと防空頭巾を投げ出して,仰向けに大の字になって横たわり,深呼吸をしたものである。やっと生きた心地がしたのは,このときだった。学校にいる間も緊張の連続だった。このことは,また,あらためて書くことにしよう。防空頭巾のことも。

 以上が,国民学校1年生になって,最初に学んだことだ。いま,思い出すだけで鳥肌が立つ。それほどに強烈な印象となって,いまも鮮明に残っている。だから,われわれの世代はビンタは日常茶飯のことで,別に驚くほどのことではなかった。敗戦後,小学校となり,中学校,高等学校,大学と進んで行っても,ビンタはあった。それは,ごく当たり前のこととしてあった。

 あまり,思い出したくはないが・・・・。

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