2015年5月19日火曜日

新国立競技場計画変更。ついに縮小へ。疑惑だらけの舞台回し。税金の無駄遣い。

 昨日(18日)の文部科学大臣と都知事との対談によって,すでに,噂の流れていた「新国立競技場縮小案」で工事がなされることが明らかにされた。理由はかんたん。経費が足りないこと。期日までに間に合わないこと,この二つ。おまけに文部科学大臣は,経費の一部負担を都知事に求めた。が,都知事は回答を留保した。

 この経緯,どう考えてみても奇怪しいことだらけ。もう,コンペの結果発表当初から「無理だ」と建築の専門家集団(槇文彦氏を筆頭)に言われていたことが,いまごろになってようやく現実となった。しかも,国立競技場を解体し終えた直後に,この発表である。どうも,最初から仕組まれた八百長ではないか,とわたしの嗅覚は騒ぐ。

 新国立競技場は文字どおり「国立」なので,全額,税金で賄われる。その責任は文部科学大臣にある。当初,準備されていた経費ではとても足りないことが明らかになり(そんなことは,もう,すでに,かなり前からわかっていたことだ),慌てて,その対応策を打ち出した,というのがことの真相のようだ。それにしても遅すぎる。もう一年以上も前から経費が足りないことはわかっていた。だから,その時点で,縮小案に踏み切れば,税金の無駄遣いをしなくて済んだ。なぜなら,国立競技場を補修するだけで充分対応できたはずだから。経費節減するための具体的な提案が一流の建築家たちからあって,図面まで提出されていた。にもかかわらず,担当部局であるJSC(日本スポーツ振興センター)は無視しつづけた。

 一年前に,文部科学大臣が決断していれば,じつに安い経費で補修が可能だった。レジェンドとしての国立競技場も保存され,税金の節約もできた。が,いまとなってはすべて水の泡,手遅れである。

 かりに,いまとなって,縮小案に変更するにしても,なお,経費は足りない。だから,国は都に経費の一部負担を依頼した。しかし,都知事は回答を留保した。議会で検討してから回答する,と。当然の話だ。その一方で,文部科学大臣は「野球くじ」による資金集めを検討している,という情報も流れている。「サッカーくじ」の上がりだけでは足りないから,というのが理由らしい。国家がらみの,それも文部科学省がもう一つの新設の「国営賭博」を運営する,というのだ。なんともはや,無節操きわまりない話である。背と腹は代えられぬとばかりの醜態ぶりだ。

 もう一つの理由は,期限までに間に合わない,というこれも奇怪しい。コンペの結果発表直後から,この巨大な施設に開閉式の天井をつけることは技術的に不可能だ,と専門家からクレームがついていた。もし,技術的に可能だとしても,工期と経費が計り知れないほどにかかる,と言われていた。しかも,大手ゼネコンはみんな腰が引けてしまって,非協力的な態度をとった。いくら予算をつけてくれたとしても「無理難題」だと判断していたからだ。こんなことも早くからわかっていたことだ。それでも,新国立競技場には屋根天井をつけなければならないのだ,という無理を押し通した。

 なぜなら,新国立競技場を,音楽イベントも開催できる施設にして,維持管理費をはじき出そうとたくらんでいたからだ。スポーツ施設と音楽施設とを合体させるというのだ。これもまた「無理難題」である。なぜなら,音楽イベントをやれば,競技用の「芝」が相当に痛んでしまい,ほとんど使い物にならなくなる,とこちらはスポーツの専門家たちから意見がでていた。年6回の音楽イベントが計画されているのだ。「芝」のことがなにもわかっていない素人の机上の空論であり,手もつけられないほどの無茶苦茶な話である。そんなことがまかりとおっている。

 この案はまだ生きていて,工期が間に合わないので,五輪は屋根なしで開催し,終わってから屋根をつける工事にとりかかる,というのだ。しかし,年に6回も新国立競技場を満席にできる音楽イベントは不可能だ,というのが音楽関係者の話である。音楽のビッグ・イベントは武道館で充分だというのである。だとすれば,どう考えてみても維持管理費で大幅な赤字が予想されているのである。そして,なによりも,人口が激減していき,そんなビッグ・イベントはますます不可能になっていく,というのが建築の専門家たちの意見でもある。

 他方では,8万人収容の観客席も,そのうちの3万人分は仮設とし,五輪が終わったら取り壊し,最終的には5万人収容の競技場にするという。こんな案にするのであれば,それこそ,解体してしまった国立競技場に「3万人」分の仮設スタンドを増築して,終わったら取り壊す,という当初からでていた提案で充分対応できたではないか。

 なぜ,いまになっての決断なのか。解体工事が完了してしまった,この「いま」になって。あまりにタイミングのいい,そして,じつに馬鹿げた話に開いた口がふさがらない。

 この裏にはだれか「得をする」人間がいるに違いない。もっとも見え透いているのは,つい,最近になって大手建築会社から,新国立競技場縮小案が提案された,という情報が流れたばかりだ。それが数日後には,文部科学大臣の決定事項となっている。こんなに早い決断は前例をみないほどの不自然さだ。これまでは「慎重審議」をモットーに,唯々諾々と無駄な時間を使ってきたにしては,あまりの「拙速」である。しかも,闇の中での決定である。どこで,どのような「審議」が行われたのか「議事録」を明らかにしてもらいたいものだ。しかし,この公開を求めると,たぶん,半年くらいかかる(これまでの前例にしたがえば)だろう。しかも,墨で塗りつぶした,ほとんど「真っ黒」なコピーの議事録が送られてくるのが関の山だ。

 こうして,すべては「藪の中」に封じ籠められてしまう。

 東京都の五輪施設計画も改変につぐ改変がなされていて,いくつかの会場も地方分散が検討されているという。「半径5㎞圏内」のコンパクトな五輪という五輪招致運動を展開したときのモットーはどこかにすっとんでしまっている。そして,いまだに落としどころが決まらないで暗中模索である。こちらも資金難と工期が大きなネックになっている。そして,その困難は年々大きくなってきていて,小さくなることはない。なんともはや頼りないかぎりである。

 いまごろになって,文部科学大臣と都知事とが,こんな対談を行っているようではこの先が思いやられる。「東京五輪2020が東京五輪1940の二の舞になるのではないか」(西谷修)という危惧が,どことなく真実味を帯び始めている。これはわたしの杞憂にすぎないのだろうか。
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