2015年5月8日金曜日

宮崎駿監督が「辺野古基金」の共同代表に。「命」と「平和」のための「風穴」を。

 あの宮崎駿監督が「辺野古基金」の共同代表になったと知って,感無量である。ようやく映画界(動画もふくめて)の大物のひとりが「手」を挙げてくれたか,と。この人につづいて,大物俳優や芸能界の人びとも手を挙げてほしいものだ。その突破口となってくれんことを・・・。

 文学の世界ではノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんが,オキナワ問題には若いころからかかわり,発言をつづけてきたことが広く知られており,こんにちもなお辺野古基地建造反対運動の先頭に立っている。心強いかぎりだ。しかし,文学の世界でも,大江さんにつづく作家がもっともっと現れていいはずなのに,意外にその足どりは重い。

 いま,ブームを呼んでいるお笑い芸人も,反原発,反基地の意思表明をする人が現れてもいいのにと思うが,ここでも足どりは重い。おそらく,個人的な考えや気持としては反原発,反基地に与している人はかなり多いのだろうと思う。しかし,芸能界を生き延びていくためには「だんまり」を決め込んでいる必要があるのだろう。それでも,ひとりくらいは,反原発,反基地を宣言し,それをネタにして笑いをとる芸人が登場してもいいのに・・・。と思うのだが・・・・。

 もっとも,学者の世界ですら,正論を吐くとメディアから干されてしまう現状を考えると,無理からぬ話ではある。もっと踏み込んでおけば,学者・研究者の間では,昇任人事や研究費の配分などで,無言の圧力がかかっているとも聞く。小出裕章さんが,定年まで「助教」という身分にとどまったのも,わたしには納得がいかない。京都大学をしても,やはり,そうだったのか,と。

 アカデミズムの世界ですらそうなのだから,他の世界ではもっともっときびしい「締めつけ」が有形・無形にのうちに加えられているに違いない。そのもっとも顕著な例は,よほど気心の知れた間柄でないかぎり,反原発,反基地の話題をもちだされると困ったような顔をする人が多いことだ。もっとふつうの話題として,もっと大事な話題として,みんなで意見交換をすべきなのに,どこか「禁」に触れるかのような態度をとり,しらけてしまうことが多い。

 みんなこころのうちに秘めたることのように「だんまり」を決め込む。ましてや,政権が権力を剥き出しにして情報コントロールをはじめている,いまとなっては,ますます「だんまり」を決め込むしか身を守る方法はない。だから,なおのこと反原発,反基地に関してはまるで箝口令を敷かれたように無口になってしまう。

 そんな中にあって,宮崎駿監督が勇気ある行動にでた。とてもありがたいことだ。もっとも,考えてみれば,宮崎駿監督のこれまでの仕事は,いずれも人の「いのち」の大切さや,「平和」を訴える作品で貫かれている。だから,今回の決断は,言ってみれば,「言行一致」を貫くものだ。したがって,当然といえばあまりに当然。しかし,その当然のことが「ゆるされがたい」世の中なのだ。世の多くの人が葛藤するのはこの点だ。「言うはやすし,行うはかたし」とも言われてきた所以である。

 しかし,ここは「命」と「平和」をキー・ワードにして,みずからの生き方,行動の仕方を再点検すべきときだろう。そして,場合によっては,勇気ある行動を起こすべきときだろう。みんな,それとなく感じていながら身動きができないでいた。しかし,そんなムードの漂うなか,宮崎駿監督が「風穴」を開けてくれた。それだけで,とても勇気づけられた人は多いだろう。かく申すわたしも「よし,いよいよこれからだ」という勇気をもらった。

 そして,どのように行動を起こすかはそのときどきの情況に応じて考えるとして,まずは,「辺野古基金」に寄付をしていきたいとおもう。まず,最初の寄付はすでに済ませたが,これからは持続的に寄付をつづけることで「支援」の意思表明をしていこうと考えている。毎月,1000円でもいい。つづけることに意味があると考えて。

 そして,8月には沖縄にでかけ,辺野古基地建造反対運動にも参加してこようと考えている。沖縄に観光ででかける人は多いが,辺野古基地建造反対運動に加わる人は多くはないようだ。ここは,あまりむつかしく考えるよりは,まずは,辺野古の地に立って,いろいろ思いを馳せることだけでいい。つまり,そこで,なにが,どのように行われているのか,自分の眼で確かめ,その「場」の空気を吸うだけでいい。これも立派な観光の目的になりうるのだから。

 いずれにしても,まずは,宮崎駿監督が「辺野古基金」の共同代表になってくれたことを感謝し,喜びとしたい。ありがたいことだ。そして,これからも「支援」をつづけていこう,と。「貧者の一灯」となろうとも。できる範囲のところで,できるだけのことを・・・・。
コメントを投稿