2015年5月26日火曜日

チャップリンの『独裁者』(1940年)をみる。ラストの名演説が聞きたくて・・・。

 アベがいよいよ独裁者としての姿を剥き出しにしはじめています。もはや,恥も外聞もなく,でたらめのロジックを振り回して,なんの矛盾すら感じていないようです。自信満々の狂気ほど恐ろしいものはありません。まさに「アドルフ・ヒトラー」の再来です。

 「わたしの提出する法案は間違ってはいませんよ。なぜなら,わたしは総理大臣だから・・・」などというセリフを党首討論で平然と言ってのけるほどの狂いようです。これは「朕は国家なり」と言っているのと同義です。もはや,つける薬もありません。こんな馬鹿げた議論が,国会という最高決議機関で,白昼,堂々と繰り広げられているのに,ジャーナリズムも沈黙を保ったままです。完全なる独裁体制が完成した,なによりの証です。

 新聞にアベの顔写真が載っていると,すぐに黒のサインペンをとりだして,鼻の下(解剖学用語では「口上長」という)にチョビひげを描いてウサを晴らしています。そして,「アベラー」とか,「シントラー」,「アベルフ・シットラー」というようなキャプションまで書き添えています。それが,日々描いているうちに,ますますほんものの「アドルフ・ヒトラー」の顔そっくりになってくるのですから,不思議です。

 近頃は,かなりの暴言を吐いてもジャーナリズムが問題にはしないところまでアベ・ギフト(毒)が効いてきたせいか,妙に自信をもってフリー・ハンドでペラペラとよくしゃべるようになりました。しかし,言っていることはいつも同じことの繰り返し。バカの一つ覚えのように,「国民の命と安全な暮らしを守るために」を多用し,そのために戦争ができる強い国家にすることを「積極的平和主義」という欺瞞語を用いて国民に眼くらましをかませ,なにかといえば「日米同盟」を振りかざしてみずからの正当性を主張し,沖縄の人びとの命と人権を無視し,民意という民主主義を踏みにじってまでもして,みずからの主張をゴリ押ししようとしています。

 困ったことには,日本国憲法もまともには読んでいないようですし,ポツダム宣言もよくは知らない,と平気で言える総理大臣です。こんな総理大臣はかつてひとりもいなかったとおもいます。なぜなら,それなりの「知性」をもっていたからです。しかし,アベには「知性」のひとかけらも感じられません。ときには,アドリブで聴衆をあっと言わせるほどの「知性」の片鱗をみせてほしいものです。現状では,たんなる「戦争おたく」にしかみえません。

 そんな不満や鬱積がたまってきて,どこかてエア抜きをしなければやってられない,と思い詰めていました。そこで,ずいぶん前にリバイバル映画のひとつとしてみた記憶のある,チャップリンの『独裁者』という映画をみることにしました。

 理由は,この映画のラスト・シーンが秀逸だからです。独裁者と瓜二つの床屋が,独裁者に成り代わって「名演説」をぶち上げます。この「名演説」を,いつか,書き写して,このブログで紹介してみたいとおもうほどです。

 が,今日のところはここまでとしておきます。それより,いまでは,どんな方法にしろ映画『独裁者』をみることはできますので,ぜひとも,ご覧になってみてください。いま,日本国が陥っている「独裁」という病がどのようなものであるかが,ストレートに伝わってきます。天才・チャップリンの面目躍如というところです。じつに明快そのものです。

 いまこそ,みておくべき,お薦めの名画です。
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