2015年7月21日火曜日

自分の「からだ」を取り戻すということについて。

 点滴によって守られ,医科学的に管理された「からだ」から,経口食物によって栄養を補給し,自立(自律)する「からだ」への移行過程の考察。

 あるいは,歩行運動と胃腸の機能回復についての考察。

 歩くことが人間の基本運動であることを再認識するための考察。

 人間の脳はあとから取って付けた程度のものでしかなく,生命維持ということに関しては,ほとんど無能である,このことを実証するための考察。

 あるいはまた,本来の自己を取り戻す(道元禅師)ということの意味内容を明らかにするための考察。

 以上,本論考を完成させるためのサブタイトルをつけてみたら,全部で5本の論文が必要であることがわかった(笑い)。と同時に,これらのサブタイトルをつけてみたら,もう,この論考は完了したも同然であることも明らかとなった(笑い)。

 したがって,本論考は以上で終わり。

 以下は,後産的異物の排泄作用にすぎない。がしかし,この中にこそ本質的なことがらが含まれているのではないかと本気で考えているので,ぜひともご笑覧のほどを。

 医科学,恐るべし。患者本人の意思も意欲もなんのその,患者本人の肉体を完全に自家薬籠中のものとして,自由自在に操作し,ひたすら患部を除去したあとの肉体の機能回復をめざす。それはそれはそれはおみごととしか言いようのないものである。

 患者本人は,ただひたすら「激痛」との闘いだけで,あとはすべて医科学にみずからの肉体を委ねているだけ。その肉体は,ほぼ完璧にコントロールされ,栄養も満点なのであろう。「激痛」さえなければ快適ですらある。顔色はいいし,顔の皮膚もしっとりとしている。不思議なことに術後4日目には性欲すら湧いてくる。なんなんだ,これは?と考えてしまう。ひょっとしたら,生命体の最後の「悪あがき」?だとしたら,やばいぞ,と。でも,そうでもないらしい。翌日も,そのまた翌日も,同じように性欲が頭をもたげてくる。

 ところがである。おかゆからはじまる経口食物をとりはじめ,点滴が一つずつはずれていくにしたがって,この性欲は収まってしまった。完全に点滴が終わり,全粥からご飯になるころには,性欲は陰もなく消え去り,あれこれ想像力をたくましくしてみたところで「ピクリ」とも反応しない。あれれっ?

 ところがである。いよいよ本格的に歩行運動をはじめたころから,徐々に,食欲が湧いてきて,同時に,わたしのからだに「軸」のようなものが蘇ってくる。これはいいぞ,とばかりに距離をのばしていく。一日に2000mを超えたころから,なんと,ふたたび,性欲が立ち現れたではないか。「ナヌッ?」

 執刀医が回診にこられたときに,この話をむけてみる。大笑いして「そんな話は聞いたことがない」と執刀医。そうなんだ。患者には「とくに変わったことはありませんか」と問うだけで,あとは,パソコンのなかにデータ化された血液成分の状態や,レントゲン撮影の画像や,CTスキャンの画像とにらめっこなのだ。患者の病状は,データ化されたものだけで把握され,処方がされていく。

 しかし,生命体にとって性欲は重要である,とわたしは考えている。とりわけ,オスにとっては。健康状態がすこぶる良好なときには,毎朝のようにその「きざし」が立ち現れる。たとえ,一瞬のこととはいえ,これは健康のバロメーターのひとつとして,わたしにとっては重要であると長年,信じてきた。しかも,その性欲が朝だけではなく,読書中にも突然,立ち現れるようになれば,もう完璧である,といまでも信じている。

 だから,いまも,その日がくることをひたすら待ち望んでいる。もはや,ありえないことかもしれない。しかし,不可能ではないはずだ。しかも,ほんとうの意味で,自分の「からだ」を取り戻す,ということはこういうことなのではないか,と密かに期している。

 そんな日が,早やかれ遅かれ,かならずやってくるに違いないと信じて。
 これは,儚い夢,まぼろしなのだろうか・・・と半信半疑ながら・・・・。
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