2016年1月18日月曜日

『蘇我氏の古代』(吉村武彦著,岩波新書,2015年12月刊)を読む。▽

 1月23日(土)は奈良・若草山の山焼きの日。毎年,この日,山焼き例会と称して,わたしが主宰する巡回研究会を奈良教育大学のI先生のお世話で開催している。ことしは,その研究会の通算100回目に当たるというので,特別企画を立てて,スペシャル・ゲストを5人もお迎えしてのアニバーサルとなります。(詳細は,1月16日のブログを参照のこと)

 折角,スペシャル・ゲストが5人もお出でいただけるということですので,ならば,さらに特別企画として翌日の24日(日)に飛鳥散策を企画しました。飛鳥散策の目的は,蘇我氏の繁栄と没落の歴史を,遺跡を訪ね,実際に現地に立って,景色を眺め空気を吸いながら,あれこれ想像力を働かせつつ考えてみようというわけです。驚いたことに,みなさん,ご多忙なスケジュールをやりくりして,翌日も喜んで参加してくださるということです。ならば,最新の飛鳥に関連する情報を確認しておこうとおもい立ち,調べてみましたら,つい,最近,『蘇我氏と古代』(吉村武彦著,岩波新書)という絶好のテクストが刊行されている,と知りました。

 で,早速,読んでみました。第一印象は,アカデミックな古代史研究の本流は,残念ながらいまも変わることなく資料実証から一歩も外に出ようとはしていない,ということでした。つまり,『日本書紀』の記述にべったりと寄り添いながら,蘇我氏の事績や系譜を語る,ただそれだけ。ですので,じつに淡白そのもの。それに比べると,アカデミズムの限界に一定の距離を保ちながら,思い切った理論仮説を立て,『日本書紀』や『古事記』の裏側に隠された<事実>に迫ろうとする,いわゆる在野の研究者たちの語りの方がはるかに面白い,とおもいました。

 吉村武彦といえば,岩波新書だけでも,『聖徳太子』『女帝の古代日本』『ヤマト王権』といった本をたてつづけに書いている,いわゆるその道の権威者のひとりです。いずれも旧態依然たるアカデミズムの本流からでるものではありません。ですから,このテクストも当然といえば当然です。しかし,「蘇我氏」に焦点を当てるのであれば,在野の研究者たちの提起しているじつに魅力的で刺激的な仮説に対して,なんらかの批判があってしかるべきではないか,とわたしは期待しました。が,そんな「雑音」にはひとことも触れず,いっさい「無視」。ただひたすら『日本書紀』の記述にべったりと寄り添いながら,矛盾する点だけをかんたんに指摘するにとどめ,自説にとって都合のいい部分はそのままそっくり引き受けるという姿勢をくずしていません。

 それに比べると,吉川真司の『飛鳥の都』(岩波新書)は,同じアカデミズムの立場にありながらも,そこからなんとか外に踏み出そうとする意欲が感じられ,面白いとおもいました。著者の吉川さんは奈良生まれの奈良育ち。しかも家が近かった飛鳥を子どものころから自分の庭のように歩きまわり,すみずみにいたるまで熟知しつくしています。ですから,飛鳥に寄せる愛情すら感じさせる論の展開がわたしは気に入っています。今回の「飛鳥散策」のテクストとしては,こちらの方をお薦めします。

 少し目先の変わったところでは,韓国の美術史研究者であるユ・ホンジュンが書いた『日本の中の朝鮮をゆく──飛鳥の原に百済の花が咲きました』(岩波書店,2015年)があります。こちらも,日本のアカデミズムの研究成果を下敷きにしながらも,韓国の美術史の視点から飛鳥を歩いてみると,まったく違う世界がそこにみえてくる,という論の展開になっています。もっとも,こちらはいわゆる旅行記のような体裁をとっていますので,その点を頭に入れて読むと,もっと面白い世界が広がってきます。

 ついでに述べておけば,小林恵子の『海を渡ってきた古代倭王──その正体と興亡』(祥伝社,平成26年12月刊)は,中国の古代文献を徹底的に渉猟し,東アジアから中央アジアまでを視野に入れて「ヤマト」との関係を位置づけ,大胆な仮説を立てて「古代倭王」とはいったい何者であったのか,という謎解きをしています。その迫力たるやみごとというほかはありません。小林恵子には膨大な古代史研究の著作があって,そのいずれをとってみてもこれまでの古代史が根底からひっくり返されるような,重大な問題提起をしています。ここでは,これ以上は踏み込まないことにします。いずれまた,機会をあらためて「小林恵子」論でも書いてみたいとおもいます。

 古代史研究に関する魅力的な研究成果や「仮説」は,まだまだたくさんありますが,ここでは割愛させていただきます。

 ただ,ここで言っておきたいことは,『日本書紀』から一歩も外に出ようとはしないアカデミズムの暴力性です。唯我独尊とでもいうべき姿勢を崩そうとはしない権威主義という名の<暴力>です。ベンヤミンの『暴力論』を引き合いに出すまでもなく,一つの権威を打ち立て,しかも,それを維持していくことの含みもつ恐るべき暴力性について,わたしたちはもっともっと真剣に考える必要がある,ということです。その意味では,この『蘇我氏の古代』は反面教師的な役割をはたしてくれている,という点でじつに面白いとも言えます。

 『日本書紀』が,天皇制擁護のために,あるいは,天皇制を正当化するために,それ以前の歴史を改竄したものであることは,すでに周知のとおりです。もっと言っておけば,天武・持統の時代に,律令制が次第に整備され,「天皇」と名乗るにふさわしい条件が整ってきます。その意味で,最初の天皇と呼ぶにふさわしいのは天武であろう,と言われています。持統はその仕上げをした人としてもよく知られているとおりです。この二人の意を帯して,『日本書紀』編纂に大いなる貢献をした人物こそ藤原不比等です。かれこそ,日本古代史を徹底的に「演出」した最初の人物であった,と言っていいでしょう。

 その最大の目的は,聖徳太子という人格を創出し,蘇我本宗家(とりわけ,蝦夷・入鹿)を悪者に仕立て上げることによって,天智・天武・持統(この三人もまことに不可解な人物たちですが)の正当性を打ち立てることにあったのでは・・・・とわたしは考えています。とりわけ,乙巳の変を起こした中大兄と鎌足の二人の過去を隠蔽・封印し,その正当性のみを記述すること,このことの意味の重大性をわたしは重視しています。つまり,日本の天皇制の発端が,じつに不可解なことだらけであり,深い謎につつまれたままになっているからです。これも長くなりますので,これ以上,踏み込むことはしないことにします。

 その乙巳の変の舞台となった飛鳥の里を,ぶらりと散策してみたいと考えている次第です。そのための反面教師的な役割をはたすテクストとして,この『蘇我氏の古代』を位置づけておけば,それなりの意味をもつものとおもいます。つまり,批判的に読むためのテクストとして。

 こんな言い方は不遜でしょうか。古代史の専門家でもなんでもない,単なる古代史愛好者のひとりにすぎない人間が,ここまで言っていいのだろうか,と。でも,歴史の真実は「瓦礫の中から立ち現れる」(ヴァルター・ベンヤミン)という立場を支持する人間としては,やはり,アカデミズムの権威主義を根底からひっくり返す側に立ちたい,と願わずにはいられません。

 妙なブック・レヴューになってしまいましたが,こんなのもあっていいのかな,と自己弁護してこのブログを閉じることにします。

〔付録〕
 いささか意表をつく視点から古代史の謎解きに迫っているテクストとして,わたしには無視しえない存在となっている以下の著作を紹介しておきます。
 〇『穂国幻史考』,柴田晴廣著,常左府文庫,2007年刊。
 〇『万葉集があばく捏造された天皇・天智』上・下,渡辺康則著,大空出版,2013年,初版。
 以下,割愛。
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