2010年10月24日日曜日

大学卒業50周年を記念する同期会に参加。

 大学を卒業してから,早いもので,もう50年が経過している。それを記念して同期会を開催するという案内をもらったときには,なんだか浦島太郎のような気分になった。
 その同期会が今日あった。午後1時から開始。わたしは名古屋から急いで帰って,家で着替えをして,会場に駆けつける。開始直前ぎりぎりに飛び込む。すでに,ほとんどのメンバーが集まっていて,ウェルカムドリンクで顔を染めている人もいる。しまった,出遅れたか,と思いながら空いている椅子を探す。まもなく開会宣言があり,プログラムにしたがって会が進行していく。
 入学したときの定員は,体育学科100名,健康学科50名。今日配布された名簿をみると,体育学科120名,健康学科54名,合計174名。これが実数なのだろう。そのうち,すでに鬼籍に入った人が20名。一割強である。この数字が多いのか少ないのか,わたしには判断できない。しかし,個人的な感情としては,多すぎる。なぜなら,そんなに急いで死んでしまっては困る人がこのなかに多いからだ。猪熊功(柔道・東京オリンピック金メダリスト),竹内善徳(柔道・全日本チャンピオン),安田矩明(陸上・棒高跳び・東京オリンピック出場),などという突出した人たちをはじめ,それぞれの分野で立派な仕事をしていた人たちが多い。残念なことだが,仕方がない。開会の冒頭で,黙祷をささげる。
 幹事の人たちがまとめてくれた「寄せられた仲間達の近況および通信」という冊子を読んでいくと,欠席者の内情がおぼろげながら伝わってくる。本人がからだの調子をくずしていて,闘病中である人,家族に病人がいてその介護のために参加できない人,それから,大きな組織の長をしていて,その公式行事があるために自由に身動きがとれない人,などの三つのグループに分かれる。大活躍のために欠席は仕方ない(予想以上に多いことに驚く。みんな立派な仕事をしているんだなぁ,と)。しかし,病気や介護のために参加できないという人たちは気の毒だ。考えてみれば,みんな錚々たるスポーツマンばかりだ。だから,われわれのからだは満身創痍といっても過言ではない。かならずと言っていいほど,からだのどこかを痛めている。それをだましだましこんにちまで生きてきたのだ。みんな工夫に工夫を重ねて。
 それを考えると,参加できる人たちは幸せなものである。基本的には元気であること,その上で,ある程度の時間的自由を確保できていること,しかも,軍資金も確保できていること,などの最低三つの条件をクリアしている必要がある。出席者の大半は元気印のかたまりみたいな連中である。顔色もいい。声も大きい。動作もきびきびしている。なによりも「眼力」がある。そういう人間に限って,歩んできた人生経験も面白い。だから,自然に会話がはずむ。こういう人間に出会うとこちらまで元気になってくる。
 でも,5年前のこの会で,とても元気だった男が何人も欠席している。聞いてみると,肝臓を悪くして入院しているとか(飲み過ぎ),膝を痛めてひとりでは動けないとか(運動のやり過ぎ),脳溢血で倒れてリハビリ中(これが意外に多い)とか,みんなお馴染みのパターンにはまってしまっている。これらの話を大事な教訓としたい。
 今回は50周年記念ということで,この会をもって収めの会にしたい,という森幹事長の意向もあって,「卒業後の50年をふりかえって」というスピーチを藤井英嘉君が代表して行った。これまたみごとな幹事長のアイディアである。藤井君こそ最高の適格者だから。かれは,みんなが共有していると思われる記録を,精力的にかき集めてきて(インターネットをフルに活用して),それらを上手に編集して,パワーポイントをつかってのみごとな話を展開した。華のある男だ。だから,学長にまで昇りつめることができたのだ。話のツボを心得ている。同期の連中も,話のうまさに引きこまれ,圧倒されながら,聞き入っていた。なんだか自分の手柄のように,嬉しかった。
 二次会の席で,森幹事長から,「まだまだ,この回を継続したいという声が大きいので,お前,幹事長をやってくれないか」と声がかかる。まさか,わたしのような人間のところに,そういう声がかかるとは予想だにしていなかったので,いささか驚く。でも,仕方がないので「いまも,まだ,現役で仕事をしており,これからライフ・ワークの仕上げにとりかかろうとしているので,勘弁してくれ」と断る。「そんなに仕事が面白いのか」というから,「いま,人生でもっとも充実した時間をすごしている」と応答。不思議そうな顔をしている。そして,「そうか,それじゃあ仕方ないか」と話は早い。そのあとも,森幹事長は,これはと思う人に声をかけていたが,結局,だれも引き受けてはくれなかったようだ。もし,だれかが引き受けてくれれば,閉会の挨拶のときに,その紹介があったはずだ。あった話は,「残念ながら,幹事長の引き受けてがいない。だから,この会は今回をもって終了とする。以後は,小さいグループで,個別に開催して楽しんでほしい」のひとこと。それでも,フロアーからは「なんとかしてだれかやってくれ」という声が飛ぶ。森幹事長は「あとは,だれかが自主的に引き受けてくれる人がでてくることを待つのみ」と。
 まあ,そういうことなんだろうなぁ,とわたしは納得。そして,こころの中で,あと5年後といえば(この会は5年に一度開催してきた),77歳から78歳,このとき幹事長ができる人間はまずいないだろうなぁ,と考える。もし,いたとしたら,それはすごい奴だ,ということになる。そこで,またまた,考える。よくよく考えてみれば,この同期会の中ではわたしが一番若い。つまり,3月26日生まれだから,これより遅く生まれた人間は同期の中にはいないはず。だとしたら,これまでお世話になってばかりきたのだから,少しぐらいは恩返しのつもりで,次回の仕掛け人のひとりになってもいいかなぁ,とちらりと脳裏をかすめる。つぎの瞬間,そうだ,次回は,藤井君の幹事長で,それをサポートする役にまわればいい・・・な,などと妄想を膨らませたりしている。
 あとは,そのときのこころとからだの状態に委ねるしかない。
 もし,それができるような状態でいられたとしたら,それこそ最高の幸せなのではないか,と。そうは問屋が卸さないだろうが,でも,楽しい夢はみないよりは,見続けた方がいい。夢と希望は生きる力の源だ。
 まあ,こんなことをチラリとでも感じさせてもらったのが,今回の同期会に参加した,ひょっとしたらかけがえのない「おみやげ」だったのかな,と思ったりしてひとりでにんまりしている。
 
未完。

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