2010年10月25日月曜日

innewerden ということについて。その1.無言の対話・こころが通い合う。

 マルチン・ブーバーのいう,innewerden ということについて考えてみたい。植田重雄訳の岩波文庫『我と汝・対話』の中では「会得」という訳語が与えられている。
  翻訳の問題はとてもやっかいである。どこまで問い詰めていっても完全に一致する訳語というものはありえないからだ。したがって,もっとも近いことばを探し出し,当てはめていく以外にはない。あるいは,新しい訳語を創作するしかない。
 ドイツ語のinnewerden という単語もとてもやっかいなことばである。ためしに,独和辞典を引いてみる。辞典ごとに訳語が異なる。それほどやっかいなことばであるということだ。たとえば,「気づく」「悟る」「なりきる」「感知する」などの訳語が充てられている。たぶん,訳者の植田重雄さんも相当に考えた末に「会得」という訳語にいたりついたに違いない。つまりは,新訳であり,創作である。このことばは,数日前のブログで書いた「観察」と「観照」につづけて「会得」が並んででてくる。テクストでいえば,P.184~188。
 「観察者」は特徴の総和,「観照者」は実存,とマルチン・ブーバーはみごとに喝破している。そのあとにつづけて,ブーバーはつぎのように記述している。
 「しかしこれによって彼らは行為を要求されたり,運命を背負うこともなく,すべては,切り離された知覚の領域でおこる事柄なのである。」
 つまり,観察者も観照者も,特徴の総和と実存の違いはあれ,いずれも自分の行為や運命とは切り離された「知覚の領域でおこる事柄なのだ」というわけである。言ってしまえば,両者ともに「自己完結」しているということだ。そして,そういう観察者や観照者のレベルをこえた地平,つまり,「知覚の領域」を超越した領野で,人間の「内側」(innen)でなにかが「成る」(werden)という事態がおこる。その事態に対して訳者は「会得」という訳語を与えたのである。どれだけ深く考えた末の「創作」であったかが伝わってくる。
 このことの内実というか,マルチン・ブーバーの具体的なイメージについては,「沈黙が伝えるもの」という見出しの文章のなかに詳細に記述されている(P.174以下)。少し長いが,イメージを明確にする意味でブーバーの記述を引用してみよう。
 「わたしが頭にえがいていることを,実例で明らかにしよう。
 この世界のどこか寂しいところで,お互いに隣り合って腰かけている二人の男を想い浮かべていただきたい。彼らは互いに話しもせず,相手を見もせず,一度もふり向くことすらしない。彼らは親しい間柄でもなく,相手の経歴なども全然知っていない。彼らはこの日の朝早く,旅行の途中で知り合ったにすぎない。今,彼らは相手のことなど考えていない。われわれもまた彼らがどんなことを考えているかを知る必要もない。一方の男も他方の男も同じペンチに腰をおろしているが,一方の男はその持前の気分からして明らかに平静で,何が起ころうとゆったりとすべてを迎え容れる気持が見られる。彼は何かをしようとしている構えはほとんどないが,しかしまさにそこに現実にいなければならぬものとしてそこにいるといった様子である。他方の男は,その様子からでは,どのような人間か分からないが,無口で抑制力のつよい人間である。しかしこの男をよく知っているひとならば,幼児性の閉塞の呪縛が彼にあること,彼の抑制の様子は,彼の態度とはまったく別のものであることが分る。彼のすべての態度の背後には,貫徹できぬ自己伝達不可能というものがある。ところで──われわれの心を締めつけている七つの鉄の輪を破ってしまうような瞬間の一つがあることを思い浮かべてみよう,──突如この男の呪縛がとけてしまう。しかしこの男は一言も話しかけるわけでもなく,指一つ動かすわけでもない。にもかかわらず,彼は何ごとかをなす。彼の行為によらずに,呪縛の解消が起こった。それがどこから生起したかは問わない。とにかく突如として起こった。しかし彼は今や彼自身だけが支配する力をもっている一つの隔意を自ら止めてしまうのである。すると彼から隔意なく伝達が流れ出,沈黙がこの伝播を隣りにいる男にもたらすのである。この伝達はこの男に向けられたのであり,すべて真の運命の出合いにたいしてこの男がいつもするように,この伝達は隔意なく受け取るのである。彼は自分が経験したことをだれにも語ることはできない。いや自分自身にさえできない。このとき相手の男について彼は何を<知る>であろうか。知ることはここでは必要ではない。なぜならば,人間と人間の間で隔意なきものが支配しているところには,たとえ言葉はなくとも,対話的な言葉が秘蹟的に生ずるのである。」
 以上が,マルチン・ブーバーのいう innewerden の具体的なイメージである。この事態をひとまとめにする日本語にはどのようなものが考えられるであろうか。

(つづく)。

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