2010年10月30日土曜日

緊急シンポジウム「東アジアの安全保障と普天間基地問題」を聞く。

 台風が接近していて,関東地方に上陸するかも・・・という予報を知りながら,片方では,たぶん,熱帯性低気圧になって,雨が降るだけだろうと言い聞かせながらでかけた。
 緊急シンポジウム「東アジアの安全保障と普天間基地問題」(このあと「普天間」と略記)があることを,友人のNさんが教えてくれた。じつは,同じ日の同じ時間帯に,もう一つのシンポジウムがあった。こちらは,公開シンポジウム「沖縄と『戦世』の記憶」(このあと「戦世」と略記)というもの。「戦世」のシンポジウムは,以前から,情報が入っていて知っていたが,「普天間」は,直近になって知った。場所はいずれも明治大学駿河台キャンパス。
 「戦世」の方は,すでに,このブログでも紹介したことがあるように,比嘉豊光さんが最近,たまたま発掘された旧日本兵の遺骨を撮った写真をめぐるシンポである。明治大学駿河台キャンパスのアカデミーコモンで写真展と同時開催である。が,でかけてみると,なんと,写真展はやっていたが,公開シンポジウムは台風襲来のため中止となった,という。大した風雨ではないのに,なぜ?,と一瞬思ったら,案の定,シンポを楽しみにしてやってきた初老の男性が,写真展の入り口で「なぜ,中止にしたのか」と受け付け係に食いついている。「冗談じゃないぞ!」とえらい剣幕である。そばにいたわたしは驚いて,急いで距離をとった。
 わたしは写真展だけをみて,すぐに,その足で「普天間」の方に移動した。こちらは,同じ駿河台キャンパスのリバティタワー・ホールで開催。参加費1000円。
 こまかいことは省略することにして,こちらのシンポの楽しみは,第一部の佐藤優の講演と,第二部の司会をする小森陽一に会うことにあった。しかし,こちらにも異変があった。第二部の司会は,小森陽一ではなく,別の知らない人に差し替えられていた。こんどは,わたしがカチンときた。これでは詐欺ではないか,と。雨のなかをわざわざ足を運んだのには理由がある。小森陽一にはそれだけの人を惹きつける力をもっている。それを事前に知らせることなく,突然の変更である。事情は知らない。呼び寄せておいて,なし,では許せない。なぜなら,こちらは有料である。金をとる以上はそれだけの責任がある。こういう変更を知っていて受け付けでは,ひとことの断りもなく,規定どおり1000円を徴収した。これは,どう考えてもおかしい。それに引き換え,「戦世」は無料。少なくとも,主催者は,開会に先立ち,ひとことお詫びをするべきであった。が,なにもなし。この無神経さに,ああ,このシンポは駄目だ,と予測した。結果は,そのとおりだった。
 ただし,佐藤優の講演はみごとなものであった。これがあまりによかったので,1000円は安いか,とわたしの判断は逆転。なにがよかったか。わたしはかれの書いたもので,すでに,感動していたが,講演は初めてだった。いつも,本や雑誌に登場する佐藤優のあのギョロリとした大きな眼と,一種異様な風貌からして,怖いという印象があった。しかし,そうではなかった。とても歯切れのいい,テンポのいい,そして,声の強弱も使い分け,まるで声優かと思われるほどに,みごとに情感の籠もった,素晴らしいものであった。しかも,書いた文章よりはやさしい気配りがあちこちに張りめぐらされていて,聞いていて心地よい。声もソフト。ああ,こういう人だったのか,と。この人は信頼できる,と。
 第二部は小森陽一のピンチ・ヒッターが,まるで駄目。どこかの学会のシンポの司会なら,あれでいいのかも知れない。しかし,このシンポは時事ネタだ。いま,まさに,われわれ日本人みんなが直面している喫緊の課題である。問題点をどのように浮き彫りにするかが,司会者の腕のみせどころであり,聴衆はそれを期待している。それを,パネラー一人ひとりに,ひとことずつしゃべらせて,その上で追加発現があれば・・・・,という程度で終わり。とりわけ,パネラーにも参加した佐藤優さんの発現はきわめて刺激的な内容をふくんでいた。これを,たとえば,小森陽一が司会をしていたら,ただちに反応して,佐藤優を挑発し,さらに本音を引き出すことをやっただろうになぁ,と残念でならない。
 まあ,こんな感想を述べていても仕方がない。そこで,一つだけ,このシンポを聞いて,いや,佐藤優の講演を聞いて,そして,佐藤優のシンポでの発言を聞いて,ここにきてよかったと思う話をしておきたい。それは尖閣諸島での事件の処理をめぐる問題である。
 中国漁船の船長を,だ捕して,日本の国内法で粛々として対応する,ということはとんでもないことで,外交ということがどういうことなのかがまったくわかっていない人のやることだ,と佐藤優は言う。しかも,船長を釈放したことを,日本外交の大敗北だと報じた日本のメディアも,なにもわかってはいない,と断言。その理由をこのように説明する。まずは,尖閣諸島をめぐるこれまでの歴史過程を少し調べればすぐにわかることだ,と。尖閣諸島は,そのむかしはどこの領土でもなかった。中国も日本も,それぞれ自分たちのものと思っていた。しかし,日清戦争のときに,日本が領土権を確保した。以後,国際社会も日本の領土として認知してきた。その後,大きなできごととしては,ポツダム宣言のとき,日本の領土は北海道,本州,四国,九州のみが認められた。その他の離島については,占領国の判断にゆだねられることになった。その結果,北方4島はソ連にとられてしまった。沖縄諸島は,アメリカが軍事支配して,米軍基地として用い,ようやく1972年に本土復帰となった。それまでは,沖縄は日本ではなかったのだ。その延長線上に,尖閣諸島がある。このとき,アメリカはこれらの諸島も日本のものとして返還した。その後,中国は,いや,尖閣諸島は中国固有の領土だと主張をはじめた。それに対して,日本政府は,いや,尖閣諸島は日本固有の領土だと主張し,平行線を保った。それでは具合が悪いというので,当時の薗田外相と周恩来首相との会談で,問題解決を先送りにして(つまり,棚上げにして),日中友好条約を締結することになった。その後,この尖閣諸島はいわゆるグレイ・ゾーンとして扱われ,その基本了解にもとづき,日中共同開発・共同管理というところまでこぎつけた。ところが,ブッシュ政権のときに,米政府公認の世界地図を作成したことがあって,そのときの地図には,尖閣諸島は中国領土となっている,というのだ。だから,中国は,尖閣諸島はおれたちの領土だ,と声を大にして主張するようになったのだ。日本政府はこの事実を知ってか知らずか,なんの抗議も意志表明もしていない。だから,中国にとっては,ますます自分たちの主張が正しいという確信を持ちはじめてきている。そこに船長のだ捕と日本の国内法にもとづく処分,という事件が起きた。中国の人びとが,この事件によって,なにを想起したか。日清戦争のはじまりのときと同じことが起きた,ということだ。いよいよ日本は,新政権によってキバを剥きはじめた,と。中国側が態度を硬化させたのは,そういう歴史的背景にもとづくものだ。中国国内のデモはその反映だ。それにしては規模が小さい。中国人が200人のデモを行った,と言って驚いてはいけない。全人口の母数から比べたら,全然,大したことではない。日本人の200人と中国人の200人と一緒にして考えてはならない。
 という次第で,驚くべき事実をつぎつぎに並べていき,問題の本質がどこにあるのかしっかりと見極めなくてはならない,と佐藤優は熱弁をふるう。マス・メディアはもっと勉強をして,しっかりとした報道をすべきである,と。それができていないから,日本人がみんな鵜呑みにしてしまって,とんでもない民意が形成されていく。困ったものだ,と。
 この話だけでも,エンドレスだ。長くなるので,このあたりで終わりにしておく。以上の話は,佐藤優の話を聞いて,大いに啓発され,わたしの知識と混ぜ合わせて再構成したものであることを明記しておく。わたしの記憶違いがあるかも知れないので,その責任はわたしにある。佐藤優の記憶力のすごさはこれまた信じられないほどのもので,彼の話は間違いないだろうと思う。ここに書いたことは,電話ゲームのようなもので,わたしはこんな風に聞いたということをつぎの人に伝えているようなものだ。だから,多少の(いや,大いに),わたしなりの脚色や編集がなされていることもお断りしておく。
 わたしとしては,佐藤優の話を聞いて,もう一度,情報確認をして,問題を整理しておきたいと思う。今日は,台風の中をでかけて行って,やはりよかったなぁと思う。佐藤優の生身をみた。これだけで,1000円は安いかも。

未完。

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