この本の初版がでたのが1974年6月。なんと,いまから,36年前。この本のなかで,宇沢さんは怒っている。本気で怒っている。
自動車はあまりに優遇されていて,みずから支払うべき「社会的費用」をほんのわずか(重量税,通行税)しか払っていない。足りない分を,全部,一般の税金でまかなっている。こんな馬鹿なことがあるか,と。
自家用車をもてる人間は金持ちだ(1974年以前は,間違いなく金持ちしか自家用車は持てなかった)。その金持ちが支払うべき金を,自家用車をもてない貧乏人の税金でまかなうとはなんということか。金持ちはますます金持ちになり,貧乏人はますます貧乏になる。これが戦後の日本の政権党がとった経済政策だったのだ,と。儲けたのは自動車メーカーと金持ちだけ。こんなことが野放しで許されていていいのか,と宇沢さんは弾劾する。
以後,宇沢さんは自動車には乗らないと宣言。移動はすべて公共移動機関に頼り,あとは,ひたすら自分の足で歩く。ことし,たしか82歳。いまも歩く。ごく普通の運動靴を履いて。この間の,東京外大で行われた「宇沢弘文と語る」のときも,最寄りの駅(といってもかなり遠くの駅)から歩いてこられた。スーツにネクタイをして,きちんとした正装。なのに,足元は,たんなる運動靴。それもずいぶん履かれたとみえて,ボロボロ。こういうときくらいは新しい靴でもいいのに・・・と思ったが,歩くにはボロボロの靴がまことにいいのだ。足にしっかりと馴染んでいるから。
この36年間,タクシーはもとより,知人・友人の車にも乗らない。おれは歩く,と言ってひたすら歩かれるそうだ。その信念たるやすごいものである。
歩いていらっしゃるから,道路が歩行者のためにつくられていない,とこれまた苦情。自動車優先道路だ,と。もともと道路とは,歩行者のものだった。自動車はあとから割り込んできたのだ。にもかかわらず,歩行者を押し退けて,自動車のものにしてしまった。こんなことを黙って許した行政はいったいなにを考えているのか,とご立腹。歩行者は危なくて仕方がない,と。狭い路地などでは,自動車がやってくると歩行者は端によけて見送るしかない。こんな馬鹿なことがあっていいのか,と。
自動車所有者が支払うべき金は,重量税や通行税だけではいけない,とも。自動車の排気ガスによって空気を汚染することによる被害も「社会的費用」なのだから,これも負担すべきだ,と。そして,騒音。とりわけ,幹線道路の道路沿いの家などはうるさくて夜も眠れない。うるさいだけではない,大きなトラックなどが走れば家がゆれる。これはわたしにも経験がある。まだ,中学生だったころの話。ということは,60年近く前の話。愛知県豊橋市の旧東海道に面している家に住んでいる友人のところに遊びに行って,一晩,泊めてもらったときのことである。いまの国道1号線がバイパスとしてつくられる前である。トラックがスレ違うときにはお互いに徐行しないとスレ違うことすらできないほどの狭い道路だ。東海道とはいえ,もともとは人間の歩く道だった。たまに馬車・牛車がとおるくらいのものだ。そのためにつくられた道路だ。そこに自動車が割り込んできた。しかも,道路はむかしのままなのに,自動車の台数だけが急激に増えた。荷物の輸送も,鉄道から自動車へと移行しつつあった。だから,東海道は一気に大変な交通量となったのである。一晩中,ひっきりなしに長距離輸送のトラックが走っていた。そのたびに家がゆれるのである。わたしはとうとう一晩,一睡もできなかった。これが初めての経験だった。騒音で眠れないということの。
こうして,旧東海道沿いに住んでいる人たちの間から,さまざまな病名のつかない不思議な病気がつぎつぎに発症した。このことは当時の新聞をみればすぐにわかる。そこで,大急ぎでとりかかったのが,市街地を遠巻きにして通る国道1号線なるバイパスである。こんどは4車線にして自動車につごうのいい道路をつくった。歩行者はその脇を,車をよけながら歩かなくてはならない。つまり,歩行者の専用道路がないのである。これもまた大問題になって,やがて,細い歩行者専用レーンを設けた。白い線を引いて区分しただけの。だから,相変わらず自動車は歩行者すれすれに突っ走っていく。そのつど,歩行者は恐怖におののく。こうして,歩行者専用のきちんとした「歩道」が設置されるまでには相当の時間を要した。
それで問題は解決したか。そうではない。新たな問題が生じた。わたしの遠い親戚に,甲州街道に面してそば屋をやっている家があった。ちょうど,わたしが大学生のころ。しかも,京王線の幡ヶ谷駅の近くに。だから,忙しいときには手伝いに行った。そばの配達も自転車でやった。当時,すでに,相当の交通量になっていたが,なんとか間隙を縫って,甲州街道を横切って,向こう側の家にそばを配達することができた。それから,数年後には,もはや,自転車で甲州街道を横断することは不可能になってしまった。そのため,そば屋さんは売り上げが半減したという。これはそば屋さんだけではなく,むかしの甲州街道沿いにはいろいろの店が並んでいて,自由に道路を横断しながら,住民たちはみんな用事を足していた。しかし,それもままならなくなる。
そこで登場したのが,歩道橋である。当初は,歩道橋といってもその数はしれたものだった。だから,甲州街道をわたるには相当の距離を歩いてからでなければ,道路の向こう側に行くことはできなかった。この歩道橋という発想にも,宇沢さんは怒る。違うだろう,歩行者が水平に渡れる橋をつくって,自動車の道路を低くくすべきだ,と。
ことほどさように,自動車が登場したことによって,歩く人間がその犠牲にならなくてはならない,そのこと自体が許せない,と。こうした人間が犠牲になっている費用も自動車所有者は支払うべきだ,と。それが「社会的費用」というものだ。そして,ここからが経済学者たる宇沢さんの面目躍如である。こうした費用を,さまざまな基準を設けて試算していく。その額たるや想像を絶するほどのものとなる。もちろん,積算の基礎をどこに置くかということによって,その総額は異なってくる。が,それにしても,大変な額になる。それが放置されたまま,すべて,自動車を持たない人間が(つまり,貧乏人が)犠牲になることによって賄われている,というのである。こんな不合理を放置しておいていいのか,と宇沢さんは本気で怒る。
宇沢さんが「社会的費用」という考え方を提示してから36年が経つ。そのご,どこが,どのように改善されたというのだろう。みなさんも一度,考えてみてください。
それから,もう一つ。この本を読んで,こういう「経済学」の考え方があったのか,と日頃から経済に疎いわたしには大きな発見だった。宇沢さんの「経済学」は,その中核に「生きる人間」が据えられていて,そこから発想が組み立てられていく。それなら,わたしのような人間にもわかりやすい。「経済学」とは,本来,そういう学問であったはずである。遅ればせながら,これから少しばかり「宇沢経済学」について勉強してみようか,という気になった。これが最大の収穫というべきか。
お薦めの本である。
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