2010年10月16日土曜日

「宇沢弘文と語る」を聴講して

 西谷修さんが仕掛けた「宇沢弘文と語る」経済学から地球環境,日米安保・沖縄まで,というこれは対談なのか,独演会なのか,よくわからない不思議な,でも,じつに刺激的な会を聴講してきた。なぜか,とても満ち足りた時間をすごすことができて,大満足。
 「嘘をつきなさい。人びとを幸せにする嘘を沢山つきなさい」とわたしは教えられました。いきなり,こんなことばが宇沢さんの口から飛び出してきて,度胆を抜かれる。いろいろの事情があって,旧制中学の4年生のころに,新潟の禅寺(曹洞宗)に身を寄せることになったそうである。そして,そこの禅寺の住職が,晩飯になると宇沢さんを呼んで,一緒に食事をしようと誘ったという。しかも,とても立派な食事とお酒も用意されてある。まだ,未成年なのに,ごく当たり前のようにして,一緒にお酒もご馳走になる。そういう禅寺の坊主が,宇沢さんを相手にいろいろの話をしてくれる。そのなかの話の一つが,冒頭に引いた「嘘をつきなさい」というものだったそうである。
 このことばが,いまから考えるとわたしの経済学の考え方の根源になっているような気がする,とおっしゃる。誤解されるといけないので,もう少しきちんとした説明をしておく。ここでの力点は,「嘘をつきなさい」ではなく,「人びとを幸せにする」というところにある。「嘘」と言ったのは,ひとつの方便で,学問もまたひとつの「嘘」の範疇に入るものなのだから,という意味である。学問といい,科学的知見といい,宗教の教義といい,それらはどこまでいってもひとつの「仮説」にすぎない。つまりは,「嘘」の一種なのだから,どうせ「嘘」をつくなら「人びとを幸せにする嘘」をつきなさい,というのである。
 宇沢さんが数学を専攻しながら,独学で経済学に向かうときの引き金になったものが,「人びとを幸せにする嘘」だった,というようにわたしは受け取った。人間はひとしく生きる喜びを味わう権利をもっている。お互いの魂と魂が触れ合うような喜びを分かち合う権利をもっている。その権利を保証するための学問の一つが経済学ではないのか,と。つまり,生身の人間として生きる喜びを保証すること,これが経済学の使命ではないか,と。
 断わっておくが,宇沢さんがこのようにおっしゃったわけではない。あくまでも,宇沢さんのおっしゃった「嘘をつきなさい」という話のコンテクストを受け止めながら考えたたわたしの,かなり牽強付会ともいうべき解釈である。しかし,この「嘘をつきなさい」,ただし「人びとを幸せにする嘘をつきなさい」が,やがて,宇沢さんがのちに声を大にして提唱なさる「社会的共通資本」という概念の基礎になっている,と受け取った。
 
 『社会的共通資本』(宇沢弘文著,岩波新書)という本の存在すら,不勉強なわたしは知らなかった。が,いつものことながら,ありがたいことに西谷さんから,今回のこの企画の話を聞き,その話の流れのなかで『社会的共通資本』という名著があることを初めて知った。そして,この概念がきわめて魅力的なものであることも,西谷さんのお話をとおしておぼろげながら理解できた。ので,早速,本屋さんに走ってこの本を購入してきた。正直に告白しておけば,同じ,岩波新書の棚に,『自動車の社会的費用』『日本の教育を考える』『地球温暖化を考える』などの宇沢さんの本を見つけ,これらも購入した。
(未完)

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