2013年6月4日火曜日

小説『菅原道真』(三田誠広著,河出書房新社,2013年2月刊)を読む。(出雲幻視考・その4.)

 ひょいと立ち寄った書店でこの本と出会いました。衝動買い。ずっと菅原道真のイメージがつかめないまま,野見宿禰の末裔という位置づけだけで考えていましたので,とびつきました。菅原道真といえば,せいぜい天神様,学問の神様,儒学者,秀才,藤原一族による冤罪で太宰府へ,憤死,太宰府天満宮,熱病,雷,祟り,北野天満宮,上宮天満宮,そして河童伝承,などが頭に浮ぶ程度でした。知りたかったのは,藤原一族との確執がどのようなものだったのか,その具体的なストーリーでした。その意味ではこの本は助かりました。

 この本を読んでの最初の驚きは,皇族と藤原氏(北家)との複雑魁偉ともいうべき婚姻関係です。この時代はすでに藤原北家だけが繁栄していて,他の藤原三家(南家,式家,京家)は没落していました。この藤原北家が全国に荘園を独占的に拡張させ,その財力と兵力で他の貴族を圧倒するばかりか,経済的基盤が破綻していた皇族をも支配するという勢いでした。その上,一族の女性をつぎつぎに天皇のもとに入内させて,あるいは,天皇家の女皇子と結婚し,どこもかしこも親戚だらけの関係を意図的・計画的に構築していきます。それはもう狂気の世界にも等しいのではないか,とわたしは読みながら考えていました。

 極論を言ってしまえば,帝が幼い場合には,外戚となる藤原北家の祖父が摂政・関白をつとめ,自分たちの思うままの政治を展開していきます。こんなことが少なくとも藤原不比等以後,営々と継続して行われてきたのか,と考えると空恐ろしくなってきます。まさに藤原にあらざれば貴族にあらず,という栄耀栄華をほしいままにします。その仕上げをしたのが藤原道長というわけです。そうして武家にとって代わられる時代が到来します。

 こんな藤原北家の一族で固められた世界に,忽然として菅原道真が登場するというわけです。菅原家(菅家・かんけ)は道真で三代にわたる儒家の名門の家柄ですが,貴族でもなんでもありません。ただ,儒家としての最高の職務である文章(もんじょう)博士として,帝や台閣の諮問にたいして意見を述べることができるにすぎません。道真の父も祖父も,この文章博士として名をなした人でした。道真もその後継者となるべく,必死で勉強し,難関と言われる試験にもつぎつぎに合格し,秀才の誉れも高く,若くして文章博士となります。

 ここまでは,道真の人生は設計どおりで,理想的な進みゆきでしたが,意外なところから予想外の人生がはじまります。最大のきっかけとなったのは,宇多天皇の誕生といっていいでしょう。宇多天皇は光孝天皇の皇子として生まれますが,母親の身分が低いという理由で,早くから臣籍降下し,幼少時代から皇族の外に置かれていました。ですが,頭脳明晰を見込まれ,菅家廊下(菅原家が主宰する儒学の私塾)に弟子入りします。そのときの塾頭が菅原道真でした。道真はこの皇子の賢さに惚れ込み,熱心に儒学の指導に打ち込みます。こうして,この皇子は道真と深い学恩で結ばれることになります。この皇子が,のちに,ひょんなきっかけから宇多天皇となります。

 藤原北家の主流からすれば,亜流の天皇の誕生です。ですから,宇多天皇は孤独でしたので,最初から道真を頼りにします。道真も熱心にサポートします。そうして,文章博士の職務を維持したまま参議として台閣(天皇の諮問機関)入りをはたします。そうして,ついには右大臣となり,さらには内覧(天皇のところに提出される文書のすべてをチェックし,天皇に意見を提示する役職)という仕事まで兼務することになります。こうなりますと,藤原北家一族の絶大な権力をも抑え込んで,天皇の名のもとに,自分の思うままに政治を動かすことができるようになります。ここまで権力をほしいままにすると人間は変わります。いかに生真面目な儒学者とはいえ,やはり人の子であることに変わりはありません。

 作家の三田誠広は,道真を擁護する立場を貫いて,道真にはいっさい責任のない藤原一族による身勝手な冤罪として,道真の太宰府への追い落としを描いています。なるほど,そんなものかなぁ,と思いながらこの小説を読みましたが,少し距離をおいて思いかえしてみますと,道真にも,最後の段階では相当の野心が新たに湧いてきていたのではないか,とわたしは推測しています。

 なぜなら,宇多天皇が譲位して上皇となってからも,上皇は道真の進言どおりに政務を裁いていたからです。しかも,宇多天皇のもう一人の皇子(醍醐天皇の腹違いの弟),すなわち斉世親王のところに道真の娘・寧子が嫁いでいるという事実を,見逃してはならないとおもいます。ということは,醍醐天皇に万一のことがあれば,斉世親王が天皇になる可能性があります。そうなると,道真は天皇の義父ということになります。

 この状態を藤原北家の一族が黙視するわけがありません。が,宇多上皇が生きている間は手も足も出せません。道真に絶対的な信をおいている宇多天皇に横やりを入れることはできません。こうして藤原北家一族の間に相当の不満・鬱憤がたまっていったのも当然のことだったでしょう。そんな不満のエネルギーが頂点に達した,ちょうどそのとき,宇多上皇が薨去します。道真の運命はここまででした。

 あとは丸見えの冤罪をかぶせて,太宰府に・・・というよく知られた話につながっていきます。それから起きたさまざまな天変地異のことも,よく知られているとおりです。

 この小説は,わたしとしては,菅原道真という人がどんな人脈のなかでもまれながら人生を切り開き,政治の実権を握ることになったのかを知ることができたという点で大満足でした。が,ここからはないものねだりの話になりますが,その点についても少しだけ述べておきたいとおもいます。

 この小説のなかには,菅原道真の出自については,ただ三代にわたる儒家の名門である,身分は高くない,とあるだけでそれ以上のことは書いてありません。しかし,この時代の藤原北家の一族が,菅原道真の出自が土師氏であり,もとは埴輪を焼き,古墳を築造し,葬祭儀礼を司っていた身分の出であるということを知らなかったとは考えられません。そして,その祖は野見宿禰であることも,十分,承知していたとおもいます。

 しかし,作者の三田誠広は,このことについてはひとことも触れてはいません。ましてや,菅原道真の祖・野見宿禰が出雲族である,という小説の題材としてはまことに魅力的なテーマが流れているにもかかわらず,作家はなにも語ろうとはしません。つまり,藤原一族と出雲族との秘められた確執のようなものが,どこかにあったのではないか,とこれはわたしの勝手な「幻視」にすぎません。もっと言わせてもらえば,菅原道真の怨霊を恐れて,あわてて北野天満宮を建造した話も,どこかオオクニヌシの怨霊を恐れて出雲大社を建てて封じ込めた(これもわたしの想像)という話と二重写しになってわたしには透けて見えてくるという次第です。

 ついでですので,もうひとこと言わせてもらえば,菅原道真には出雲族の復活という野望もどこかにあったのではないか,とりわけ晩年には・・・・,ということです。それを藤原一族が感じとっていたとしたら,相当に怯えていたのではないか,とおもいます。ですから,宇多上皇の薨去が,その野望を断ち切る絶好のチャンスだった・・・・。

 とまあ,こんなことを幻視したり,透視したりしながら小説を読むのも一興かとおもいます。歴史小説にロマンを求めるとしたら,こんな読み方もあってもいいのでは・・・・などと自己弁護しておきましょう。これでまたひとつ,出雲幻視の夢が広がりました。楽しきかな,人生は。

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