9月22日(木)の夜,麗江から北京に入る。23日(金)から李老師は桂林で開催される太極拳に関する大きなシンポジウムの特別講師として参加するため,われわれとは別行動。北京に入るまで,わたしたちに寄り添うようにして,気配りのきく案内をしてくださったことにこころから感謝。23日から,李老師に代わって,北京大学に勤務する旧知のRさん(そのむかし,スポーツ史学会のシンポジウムで通訳をしてくださった才媛)が,わたしたちの案内役を勤めてくれる。
23日は早朝7時に宿舎を出発して「万里の長城」に向かう。絶好の条件がととのい,比較的早い時間に北京にもどってくることができたので,Rさんの自宅近くのレストランで美味しい中華料理をご馳走になる。そのあと,約束の時間よりは少し早いが,北京体育大学に向かう。ここには,李老師と仲良しの陳建雲先生が待っていてくれる。陳先生は日本に滞在したこともある人なので,わたしとNさんとも旧知の間柄。
早速,キャンパス内を案内してもらい,いま行われている太極拳の授業をみせてもらった。わたし個人は武術専攻(つまり,太極拳専攻)の学生さんの授業を期待していたが,一般のスポーツを専攻する学生さん対象の授業であった。だから,みんな初心者ばかり。しかも,16式という,もっとも簡単な太極拳。16式というものをわたしは初めて見せてもらったが,わたしたちが稽古している24式よりもさらに三分の一ほど簡易化したもの。技の組み合わせが若干異なるだけで,動作そのものは全部わかる。
わたしたち3人は余裕で,この授業をみる。ちょっと面白いと思ったことは,24式は「右わざ」がやや多いのに対して,16式は「左わざ」が多く取り入れられている。なるほど,左右どちらの「わざ」もあってしかるべきなのだ,と気づく。ならば,24式のわざを左右全部ひっくり返して「裏わざ」にすれば,「左わざ」に比重のかかった「24式」が可能となる。これは帰国してからひとりで稽古してみようと思う。
なぜなら,しばらく前から,左脚にくらべ右脚の方がかなり強くなっていることが気がかりになっていたからだ。つまり,左右の脚の強さがインパランスになっているのだ。ということは,からだ全体にも影響があるはず。だとすれば,それをどこかで矯正する必要があろう,と考えていた。その解決法を16式の授業をみていて見出したという次第。これはわたしの中での大きな発見。
早速,案内してくれた陳先生にこのことを話す。それはとてもいい考えだ,と賛成してくれる。16式も,24式も,初心者用の基本の稽古のひな型であって,そこは単なる通過点にすぎない。それを覚えたら,自分のアイディアで,自分に合った16式なり,24式を「自選」して構成すればいい,とも。つまり,「my24式」を。さらには,その日の気分で,からだの動きたがるわざをつなぐ即興をめざせ,とも。なるほど,こういうことであったか,と納得。
7年間,終始一貫して24式を稽古してきたが,いまだに李老師からはきめ細かな注意をされつづけている。しかも,その一つひとつが納得のいくことばかり。それでいて,もうそろそろ指導してもいいですよ,と言われる。このことの意味がわからなかった。が,ここ北京体育大学の太極拳専用の体育館で授業を見学しているうちに,そして,陳先生とお話をしているうちに,そのことの意味が少しわかったように思う。つまり,いま稽古しているのは,書道でいえば「楷書」。そろそろ「草書」を試みてみたり,ときには「行書」でやってみることもあっていいのではないか,と。すなわち,その時,その場でのインプロビゼーション。
同行のNさんとKさんは,大のコーヒー好き。一コマの授業をみたら「コーヒーが飲みたい」といいはじめ,わたしひとりが大学に残る。そして,陳先生の授業がはじまる午後4時15分まで,大学付属の図書館で時間をつぶそうと思って案内してもらう。ところが,である。この図書館の中庭にカフェがあるではないか。陳先生は知らなかったという。なぜなら,図書館にはきたことがない,と。これもまたびっくりするような話。かつては,太極拳の名手として中国全国にその名をとどろかせ,その実績が買われて大学に残った,いわゆる実技の先生。その点では李老師も同じ。違うところは,日本にやってきて,博士号の学位をとろうというその志の高さと能力の高さ。そして,太極拳のかつての名手の中でただひとり「博士号」をもつ指導者となった。わたしたちの老師はそういう人だったのだ。しかも,李老師の親族はみな立派な人たちばかり。そういう環境が,いまの李老師を支えていることも,今回の旅でえた収穫のひとつ。
さて,陳先生の授業がはじまる少し前に体育館にもどる。
つぎの授業がはじまるまでの休み時間に,ひとりの若者が体育館の中央で長拳の自選難度競技の演技をはじめた。授業のはじまりを待ってざわざわとしていた学生たちが,一瞬にして静まり返ってしまった。その気迫が体育館全体を支配している。眼光鋭く,口元をきりりと引き締めて,全身が表演に集中している。みごとな演技がつづく。みんな息をのんでいる。わたしも同じ。
そこに陳先生が現れる。その演技をちらりと見やって,わたしに「この学生はこんどの世界選手権の金メダル候補の〇〇〇です」と教えてくれた。このときは,間違いなく中国名を教えてくれたように思う。しかし,顔だちが少し違う。でも,中国にはこういう顔だちをした人もいるのかも知れない,と考えながら演技に見入る。よくみると,体育館の隅で,ストップ・ウォッチとノートをもった先生(女性)がじっと見つめている。
ひととおり演技が終ると,先生がこまかな演技指導をしているのが遠くからもわかる。そして,授業がはじまると,場所をやや移動して,空いたスペースでこんどは剣をもった演技をはじめる。それを2、3回繰り返したところで,この特訓は終った。そのあと,先生があれこれ身振り手振りで演技の指導に入る。その間,その学生さんは正座して聞いている。その姿に感動。中国でも師匠の話を聞くときは「正座」するのだ,と。そして,それが終ると,わたしが坐っているベンチの方に歩いてくる。荷物がこの傍においてあるらしい。
わたしのすぐ前まできたときに,わたしと眼が合う。ニコッと笑った顔をみて,わたしは「ハッ」とする。それまで「男性」であると信じて疑わなかったこの学生さん,じつは「女性」だったのである。下半身の安定の仕方(力強さ,たくましさ)と跳躍の高さから判断して,まぎれもなく男性の演技だと思い込んでしまったのだ。しかも,中国人ではなかった。あまりの笑顔のよさに,わたしは思わず立ち上がってしまい「nice meet you !」と声をかけてしまった。彼女は,すぐに英語で応答し,「日本人の方ですか」と聞く。「そうだ」と答えると,即座に「わたしのお爺ちゃんは和歌山県出身です」という。そして「わたしはブラジル人です」とも。
そんな会話をしているところに指導していた女性の先生がやってくる。この先生(名前を忘れてしまった)は中京女子大学に一年間滞在し,太極拳を教えていたという。だから,日本語が少しできる。3人で,英語,日本語,中国語の三か国語が飛び交う不思議な会話がはじまった。お互いが譲り合いながらの会話だから,要点だけがはっきりと伝わる。
彼女の名前は,Tania Emi Sakanaka. つまり,坂中エミ・タニア。お父さんは日本語の読み書きができるが,わたしはできない,とのこと。その代わり,イギリスに留学していたので,英語が話せるという。その英語がとてもきれいで,わかりやすかったので,こちらは大いに助かる。「あなたの左脚の強さが素晴らしい」と褒めたら,ポッと頬を赤く染めて「まだまだです」という。この謙虚さに,どこか日本的なものを感じたので,「あなたのからだの中には間違いなく日本人の血が流れている」,とわたし。彼女もまた「わたしもそう思う」,とにっこり。
早速,記念撮影を済ませ,メール・アドレスを交換して,「再見」。「金メダルを期待しています」と言ったら,先生が「いつものとおりできれば金メダル」と。「I hope so」と言って,手を振って帰っていった。色は黒いが,とてもチャーミングな女性でした。いい結果が得られることを,日本人としても,期待したいと思います。
〔追記〕その後,すぐにメールの交換がはじまり,写真も送信。これから楽しい交流がつづくようです。またまた,中国に行く楽しみが増えてきました。あるいは,ブラジルにも。
23日は早朝7時に宿舎を出発して「万里の長城」に向かう。絶好の条件がととのい,比較的早い時間に北京にもどってくることができたので,Rさんの自宅近くのレストランで美味しい中華料理をご馳走になる。そのあと,約束の時間よりは少し早いが,北京体育大学に向かう。ここには,李老師と仲良しの陳建雲先生が待っていてくれる。陳先生は日本に滞在したこともある人なので,わたしとNさんとも旧知の間柄。
早速,キャンパス内を案内してもらい,いま行われている太極拳の授業をみせてもらった。わたし個人は武術専攻(つまり,太極拳専攻)の学生さんの授業を期待していたが,一般のスポーツを専攻する学生さん対象の授業であった。だから,みんな初心者ばかり。しかも,16式という,もっとも簡単な太極拳。16式というものをわたしは初めて見せてもらったが,わたしたちが稽古している24式よりもさらに三分の一ほど簡易化したもの。技の組み合わせが若干異なるだけで,動作そのものは全部わかる。
わたしたち3人は余裕で,この授業をみる。ちょっと面白いと思ったことは,24式は「右わざ」がやや多いのに対して,16式は「左わざ」が多く取り入れられている。なるほど,左右どちらの「わざ」もあってしかるべきなのだ,と気づく。ならば,24式のわざを左右全部ひっくり返して「裏わざ」にすれば,「左わざ」に比重のかかった「24式」が可能となる。これは帰国してからひとりで稽古してみようと思う。
なぜなら,しばらく前から,左脚にくらべ右脚の方がかなり強くなっていることが気がかりになっていたからだ。つまり,左右の脚の強さがインパランスになっているのだ。ということは,からだ全体にも影響があるはず。だとすれば,それをどこかで矯正する必要があろう,と考えていた。その解決法を16式の授業をみていて見出したという次第。これはわたしの中での大きな発見。
早速,案内してくれた陳先生にこのことを話す。それはとてもいい考えだ,と賛成してくれる。16式も,24式も,初心者用の基本の稽古のひな型であって,そこは単なる通過点にすぎない。それを覚えたら,自分のアイディアで,自分に合った16式なり,24式を「自選」して構成すればいい,とも。つまり,「my24式」を。さらには,その日の気分で,からだの動きたがるわざをつなぐ即興をめざせ,とも。なるほど,こういうことであったか,と納得。
7年間,終始一貫して24式を稽古してきたが,いまだに李老師からはきめ細かな注意をされつづけている。しかも,その一つひとつが納得のいくことばかり。それでいて,もうそろそろ指導してもいいですよ,と言われる。このことの意味がわからなかった。が,ここ北京体育大学の太極拳専用の体育館で授業を見学しているうちに,そして,陳先生とお話をしているうちに,そのことの意味が少しわかったように思う。つまり,いま稽古しているのは,書道でいえば「楷書」。そろそろ「草書」を試みてみたり,ときには「行書」でやってみることもあっていいのではないか,と。すなわち,その時,その場でのインプロビゼーション。
同行のNさんとKさんは,大のコーヒー好き。一コマの授業をみたら「コーヒーが飲みたい」といいはじめ,わたしひとりが大学に残る。そして,陳先生の授業がはじまる午後4時15分まで,大学付属の図書館で時間をつぶそうと思って案内してもらう。ところが,である。この図書館の中庭にカフェがあるではないか。陳先生は知らなかったという。なぜなら,図書館にはきたことがない,と。これもまたびっくりするような話。かつては,太極拳の名手として中国全国にその名をとどろかせ,その実績が買われて大学に残った,いわゆる実技の先生。その点では李老師も同じ。違うところは,日本にやってきて,博士号の学位をとろうというその志の高さと能力の高さ。そして,太極拳のかつての名手の中でただひとり「博士号」をもつ指導者となった。わたしたちの老師はそういう人だったのだ。しかも,李老師の親族はみな立派な人たちばかり。そういう環境が,いまの李老師を支えていることも,今回の旅でえた収穫のひとつ。
さて,陳先生の授業がはじまる少し前に体育館にもどる。
つぎの授業がはじまるまでの休み時間に,ひとりの若者が体育館の中央で長拳の自選難度競技の演技をはじめた。授業のはじまりを待ってざわざわとしていた学生たちが,一瞬にして静まり返ってしまった。その気迫が体育館全体を支配している。眼光鋭く,口元をきりりと引き締めて,全身が表演に集中している。みごとな演技がつづく。みんな息をのんでいる。わたしも同じ。
そこに陳先生が現れる。その演技をちらりと見やって,わたしに「この学生はこんどの世界選手権の金メダル候補の〇〇〇です」と教えてくれた。このときは,間違いなく中国名を教えてくれたように思う。しかし,顔だちが少し違う。でも,中国にはこういう顔だちをした人もいるのかも知れない,と考えながら演技に見入る。よくみると,体育館の隅で,ストップ・ウォッチとノートをもった先生(女性)がじっと見つめている。
ひととおり演技が終ると,先生がこまかな演技指導をしているのが遠くからもわかる。そして,授業がはじまると,場所をやや移動して,空いたスペースでこんどは剣をもった演技をはじめる。それを2、3回繰り返したところで,この特訓は終った。そのあと,先生があれこれ身振り手振りで演技の指導に入る。その間,その学生さんは正座して聞いている。その姿に感動。中国でも師匠の話を聞くときは「正座」するのだ,と。そして,それが終ると,わたしが坐っているベンチの方に歩いてくる。荷物がこの傍においてあるらしい。
わたしのすぐ前まできたときに,わたしと眼が合う。ニコッと笑った顔をみて,わたしは「ハッ」とする。それまで「男性」であると信じて疑わなかったこの学生さん,じつは「女性」だったのである。下半身の安定の仕方(力強さ,たくましさ)と跳躍の高さから判断して,まぎれもなく男性の演技だと思い込んでしまったのだ。しかも,中国人ではなかった。あまりの笑顔のよさに,わたしは思わず立ち上がってしまい「nice meet you !」と声をかけてしまった。彼女は,すぐに英語で応答し,「日本人の方ですか」と聞く。「そうだ」と答えると,即座に「わたしのお爺ちゃんは和歌山県出身です」という。そして「わたしはブラジル人です」とも。
そんな会話をしているところに指導していた女性の先生がやってくる。この先生(名前を忘れてしまった)は中京女子大学に一年間滞在し,太極拳を教えていたという。だから,日本語が少しできる。3人で,英語,日本語,中国語の三か国語が飛び交う不思議な会話がはじまった。お互いが譲り合いながらの会話だから,要点だけがはっきりと伝わる。
彼女の名前は,Tania Emi Sakanaka. つまり,坂中エミ・タニア。お父さんは日本語の読み書きができるが,わたしはできない,とのこと。その代わり,イギリスに留学していたので,英語が話せるという。その英語がとてもきれいで,わかりやすかったので,こちらは大いに助かる。「あなたの左脚の強さが素晴らしい」と褒めたら,ポッと頬を赤く染めて「まだまだです」という。この謙虚さに,どこか日本的なものを感じたので,「あなたのからだの中には間違いなく日本人の血が流れている」,とわたし。彼女もまた「わたしもそう思う」,とにっこり。
早速,記念撮影を済ませ,メール・アドレスを交換して,「再見」。「金メダルを期待しています」と言ったら,先生が「いつものとおりできれば金メダル」と。「I hope so」と言って,手を振って帰っていった。色は黒いが,とてもチャーミングな女性でした。いい結果が得られることを,日本人としても,期待したいと思います。
〔追記〕その後,すぐにメールの交換がはじまり,写真も送信。これから楽しい交流がつづくようです。またまた,中国に行く楽しみが増えてきました。あるいは,ブラジルにも。
1 件のコメント:
通称「娜娜」と呼んでいる彼女は、11月20日前後に北京を離れ、イギリス留学に向かいます。
トルコ大会での結果は、芳しくなかったようですが、、、
今、最後の北京を楽しんでします。
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