2012年12月31日月曜日

西谷修編『<復帰>40年の沖縄と日本─自立の鉱脈を掘る』(せりか書房)を読む。

 奥付をみると,12月26日第一刷発行,とある。発行されたばかりのほやほやの本を,西谷さんが送ってくださった。いつもながらの温かい気配りが嬉しい。

 喜び勇んで,パッと開いたところが,偶然にも,真島一郎さんの「異族の論理─死者的な」の冒頭だった。このタイトルに惹きつけられるようにして,いきなり,ここから読みはじめた。沖縄を語るときに「異族の論理」と聞けば,わたしたちの年齢なら,まずは吉本隆明の名を思い浮かべるだろう。そして,吉本のこの論考が当時(1970年ころ)の沖縄の反復帰論に檄をとばすことになり,大きな運動の輪がひろがったはかりではなく,反復帰論の理論武装に火がつき,その思想的な深化を要請することになったことも,よく知られているとおりである。そして,それは恐るべき議論の深まりをみせることになり,結果的には,反復帰論の歴史的な論考がつぎつぎに生まれ,こんにちもなお読み継がれている。

 当時の沖縄の反復帰論を支えた3人の代表的な論者のうちのひとり,川満信一さんの論考に,真島さんが注目し,この人の論考をこのテクストのひとつの重要な柱に据えていることが,これまた無性に嬉しかった。というのも,これまでこのブログでもしばしば書いてきたように,この夏の奄美自由大学(今福龍太主宰)で川満さんと初めてお会いし,親しくお話をさせていただいたからである。しかも,その折に,川満さんの個人誌『カオスの貌』の最新号をいただいた。そこには,みずからの少年時代をふり返ったかのような自伝ともいうべき小説が収録されていた。そして,すぐに吸い込まれるようにして読んだ。ちょっと表現のしようがないほど,深く感動した。なぜなら,川満さんがこれまでいろいろのところで書かれてきた「宮古の原思想」ともいうべき「共生の紐帯」「相扶の力」の,原体験が少年の目をとおしてそのままリアルに描かれていたからである。その日暮らしの貧しさのなかで,お互いに生き延びるための村人たちの智慧の凝集がそこにはあった。ここが人間の生きる「根」なのだ,とじっと目を凝らしている川満さんのまなざしが痛いほどわたしのこころに伝わってくる。そうか,こういう「根」があってこそ,川満さんの「琉球共和社会憲法」の草案が起草されることになったのだ,とこころの底から納得してしまう。(「琉球共和社会」であって,「琉球共和国」ではないことに留意を)

 さらに,真島さんは,川満さんのこうした反復帰論と目取真俊の文学作品や評論とをリンクさせ,ここにも深く「異族の論理」が共振・共鳴しているとして,具体的な分析を試みている。目取真の作品は一度でも読んだことがある人なら,あの作品から伝わってくる異様な迫力をわすれることはないだろう。そして,つぎつぎに生み出されてくる目取真作品を追いつづけることになるだろう。かく申すわたしもそのひとりで,いつのまにか目取真作品を追いつづけている。だから,真島さんに導かれるようにして,わたしの理解をはるかに超えたところでの,川満さんと目取真さんの思想の深みへと誘われていく。そこにまた,仲里効さんの批評(『オキナワ,イメージの縁(エッジ)』2007,『フォトネシア』2009,『悲しき亜言語帯』2012,の批評三部作,いずれも未來社刊)を絡ませて,真島さんは反復帰論の「根」を探り当てようと試みる。

 等し並みにオキナワのことはある程度はわかっていたつもりでいたが,この真島さんの論考を読んで,木っ端みじんに打ち砕かれてしまった。深い思想に裏付けされたオキナワ論が自分のことばで語れないかぎり,それは素人の評論と変わらない。つまり,批評のレベルには達しないということだ。

 それから,あわてて,冒頭の編者(西谷修)のはしがきから慎重に読みはじめる。そこには,このテクストの成り立ちと吉本隆明との関連づけがきちんと述べられている。そして,冒頭論文の西谷修「擬制の終焉」──沖縄「復帰」40年も,それにつづく仲里効さんの「内的境界と自立の思想的拠点──ウンタマギルーの眉間の槍は抜かれたか?のいずれも,(そして,もちろん真島さんの「異族の論理──死者的な」も)吉本論文と連動するものであることが明かされている。つまり,「擬制の終焉」「自立の思想的拠点」「異族の論理」である。

 西谷さんと仲里さんの論考については,ここであえて指摘するまでもなく絶品である。西谷さんのいつものとおりの透徹したまなざしは,わたしにとってはいつものとおりのありがたい導きの糸(Leitfaden)であり,仲里さんの批評性に溢れる濃密な論考は,やはり,ウチナンチュとして苦楽をともにしてきた内側からのまなざしに支えられ,「内的境界」(フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』)ということばの意味をさらに深化させてくれている。そして,仲里さんの批評家としての「エッジ」に立つ鋭い問題の指摘は,ただただ感動するのみである。

 ここまで読んだときに,ふと,そのむかし,恩師の岸野雄三先生から「スポーツに思想はあるか」と問題を投げかけられ,その応答に窮したことを思い出す。そして,いまなら,わたしはなんと答えるだろうか,と腕を組んで考える。

 スポーツは政治とは無関係の,独立した文化領域である,などというユートピア的なスポーツ観(論)がまことしやかに語られ,教えられていた,のどかな時代に先生は「スポーツに思想はあるか」とわたしに問題を投げかけてこられたのである。その頃,先生はマルクスの『資本論』の世界に深く入り込んでいた。そして,「君,『資本論』,読んだ?」とも問われた。背中を冷や汗が流れた。以後,のどに魚の骨がひっかかったように,ことあるごとにこの二つの問いがわたしの意識に蘇ってくる。そして,そのたびに思想,思想と尋ね回るようになった。そのころに,西谷修さんとの出会いがあった。思い返せばもう長い時間が流れている。そして,ずいぶんといろいろのことをご教授いただいた。今回のこのテクストもまた,それである。

 そして,今回は,いきなり真島さんの論考との出会いであった。それも,「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定がかかっている」という強烈なことばが,シンポジウムのときの真島さんの発言のなかにあって,それがずっとわたしの頭のなかを渦巻いていた。だから,なおさらである。

 そうか,アフリカをフィールドにして研究してこられた真島さんは,沖縄の問題とアフリカの問題は多少の地平の違いはあるにしても,その根源にある人間の生きる「根」は同じだ,というところに視線を据えて微動だにしない。そんな強い信念・意志のようなものがわたしには伝わってきた。だから,逆に,ここで沖縄が議論されるのと同じ位相でスポーツ文化を語ることができるか,ときびしく問い詰められているようにも,わたしには聞こえてくる。つまり,いま,現実に世界のなかで起きていることは,沖縄であれ,スポーツであれ,アフリカのダン族のすもう「ゴン」であれ,みんな同じ力学のもとに置かれているということだ。それらを,いかに思想のことばで語ることができるのか,それが問われているのだ・・・・と。

 ここまで考えが及んだときに,わたしは恥ずかしくなって,急いで本屋に走った。もう,かなり前に真島一郎編『二〇世紀<アフリカ>の固体形成──南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い』(平凡社,2011)を手にとり,すごい本がでているなぁと思いながら拾い読みをしていた。が,購入するにはいたらなかった。理由はかんたん。7,500円という値段に腰が引けてしまったのである。本との出会いというのは微妙である。タイミングというものが必要だ。つまり,こちらのレディネスがないと本の価値はまるで別のものになってしまう。

 が,今回は違う。こんな田舎の本屋にしては珍しく,本文だけで700ページを優に越える大部の本が置いてあるのだ。ひょっとしたら売れてしまっているのではないか,といささか焦りながら本屋に走る。久し振りのドキドキ体験である。いいなぁ,まるで少年時代にもどったようで・・・・。

 もちろん,本はあった。さて,こんどは真島さんの「序・固体形成論」に挑戦である。しっかり読み込んだ上で,年が明けたら,できるだけ早く真島さんに会いにいこう。そして,3月9日(土)にお願いがしてある講演とその後のディスカッションの進め方についてのご相談を・・・。楽しみである。
もちろん,テーマはコートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」について。このすもう「ゴン」がダン族にとっての「根」であることは間違いないのだから・・・・。

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