久し振りに稽古のあとのハヤシライスの時間が盛り上がりました。もちろん,話題の中心は今回の選挙でした。石原慎太郎が引いた引き金ひとつで,40年の日中友好関係が一度に吹っ飛んでしまう,というとんでもない前座から今回の選挙がはじまりました。竹島,尖閣という領土問題をめぐる報道が国民に「強い日本」を希求させる,これまた大きな引き金になりました。のみならず,あっという間に戦争も辞さないという政党まで出現し,唖然としてしまいました。おまけに,その政党を支持する国民が多数を占めることになり,とんでもない数の議席を与えることになりました。わたしにとっては,まさに,青天の霹靂。
いったい,どうしてこんなことになってしまうのか,といつものようにKさんがNさんに問いかけます。その問いに,Nさんはいつもにもまして丁寧に,そのからくりについて説明してくれます。これが,太極拳の稽古のあとの至福の時。その一つひとつについて,ここでご紹介できるといいのですが,わたしのことば足らずや勘違いなどがあったりして誤解されるといけませんので,残念ながら割愛します。そのうち,どこかの雑誌でNさんの論考が掲載されることになると信じていますので,それまで少しお待ちください。
そんな話がひとしきり盛り上がったところで,Kさんが「庶民」ということを最近考えさせられることが多くて,と別の話題に入りました。この「庶民」という人たちの思考や行動が,現実にはこんどの自民党支持の原動力になっていたのではないか,と。その庶民という人たちの話を聞いていると,みんな口をそろえて「原発は必要だよね。経済が駄目になってしまうと聞いているし・・・。領土問題は戦争やってはっきり決着をつければいい」と平然と話しています。そして,理詰めできちんとものごとを考えられる人たちの意見というのは,いつも少数意見で,民主主義の多数決原理のもとでは生かされないではないか,と。こんなことを繰り返していたら日本は駄目になってしまうのでは・・・という疑念を提示。このKさんの話を受けて,最後に,Nさんはつぎのような話をされました。
そうなんですよね。でも,人間というのはむかしからそういう生き物で,けして賢いわけではないのです。圧倒的多数は凡庸で,ことなかれ主義に流されやすいし,めんどくさいことは嫌いです。ですから,胡散臭いことが起こると戦争も辞さない,というところに短絡していきます。そういう人たちによって,長い人類の歴史がつくられてきたのです。その典型的な例がソクラテスの毒杯ですよね。
若者たちをかどわかす怪しげな議論をする悪い人物,それが当時のアテネ市民がソクラテスにくだした結論でした。そしてとうとう,当時の直接民主制の母体である民会で,ソクラテスを裁判にかけて,死刑の宣告をしてしまいます。このことは,よく知られているとおりです。
あわてたソクラテスの弟子たちが,二日以内にアテネの外に逃れてしまえば生き延びられるので逃げましょう,と師であるソクラテスを説得します。しかし,ソクラテスはそれを固辞して,みずから進んで毒杯を仰いで死ぬ道を選びます。
しかし,ソクラテスが毒杯を仰いで死ぬことによって,哲学の存在が後世に広く認知されることになりました。こんにちの哲学の存在は,古代ギリシアのアテネのこうした,愚かな「庶民」によって支えられた直接民主主義による産物でもあったのです。
考えてみれば,このソクラテスにはじまって,以後,哲学はつねに敗者だったのです。それはいまもつづいていて,きちんとした理性的な判断のできる人の意見はいつも少数意見にすぎないのです。ですから,こんどの選挙結果というのは,この原則どおりでもあったということです。それにしても,ちょっとひどすぎた,という印象は免れませんが・・・・。
こんな話を聞きながら,わたしはわたしで,また勝手な想像をしていました。現代文明の恩恵をありあまるほど受けた現代日本人は,完全な「茹でガエル」と化し,なにも考えない思考停止があたりまえとなり,カネさえあればなんでも夢がかなえられるという「拝金主義者」となりはててしまい,自分の命を守ることすら忘れて,目先の物欲にそそのかされてしまう,なんともはや情けない姿となりはててしまったものだ,と想念をめぐらせていました。
こんな人間が(若者もふくめて),中国と戦争をやって戦えるわけがない,ということすら判断できないのが,現代日本人のありのままの姿です。自分さえよければほかのことはなにも考えようともしない,そういう自己中心主義が,こんにちのポピュリズムを構築しており,それが日本社会を動かす恐るべき「庶民」の内実である,というわけです。
少数意見の正論を吐く人は,ソクラテスの覚悟をもつこと,つまり,敗者であることも辞さないという自覚をもつこと,これがNさんの言外のメッセージだったようです。
なるほど,覚悟かぁ,とため息をつくばかり。
まだまだ,覚悟が足りない,と自戒。
そんな話がひとしきり盛り上がったところで,Kさんが「庶民」ということを最近考えさせられることが多くて,と別の話題に入りました。この「庶民」という人たちの思考や行動が,現実にはこんどの自民党支持の原動力になっていたのではないか,と。その庶民という人たちの話を聞いていると,みんな口をそろえて「原発は必要だよね。経済が駄目になってしまうと聞いているし・・・。領土問題は戦争やってはっきり決着をつければいい」と平然と話しています。そして,理詰めできちんとものごとを考えられる人たちの意見というのは,いつも少数意見で,民主主義の多数決原理のもとでは生かされないではないか,と。こんなことを繰り返していたら日本は駄目になってしまうのでは・・・という疑念を提示。このKさんの話を受けて,最後に,Nさんはつぎのような話をされました。
そうなんですよね。でも,人間というのはむかしからそういう生き物で,けして賢いわけではないのです。圧倒的多数は凡庸で,ことなかれ主義に流されやすいし,めんどくさいことは嫌いです。ですから,胡散臭いことが起こると戦争も辞さない,というところに短絡していきます。そういう人たちによって,長い人類の歴史がつくられてきたのです。その典型的な例がソクラテスの毒杯ですよね。
若者たちをかどわかす怪しげな議論をする悪い人物,それが当時のアテネ市民がソクラテスにくだした結論でした。そしてとうとう,当時の直接民主制の母体である民会で,ソクラテスを裁判にかけて,死刑の宣告をしてしまいます。このことは,よく知られているとおりです。
あわてたソクラテスの弟子たちが,二日以内にアテネの外に逃れてしまえば生き延びられるので逃げましょう,と師であるソクラテスを説得します。しかし,ソクラテスはそれを固辞して,みずから進んで毒杯を仰いで死ぬ道を選びます。
しかし,ソクラテスが毒杯を仰いで死ぬことによって,哲学の存在が後世に広く認知されることになりました。こんにちの哲学の存在は,古代ギリシアのアテネのこうした,愚かな「庶民」によって支えられた直接民主主義による産物でもあったのです。
考えてみれば,このソクラテスにはじまって,以後,哲学はつねに敗者だったのです。それはいまもつづいていて,きちんとした理性的な判断のできる人の意見はいつも少数意見にすぎないのです。ですから,こんどの選挙結果というのは,この原則どおりでもあったということです。それにしても,ちょっとひどすぎた,という印象は免れませんが・・・・。
こんな話を聞きながら,わたしはわたしで,また勝手な想像をしていました。現代文明の恩恵をありあまるほど受けた現代日本人は,完全な「茹でガエル」と化し,なにも考えない思考停止があたりまえとなり,カネさえあればなんでも夢がかなえられるという「拝金主義者」となりはててしまい,自分の命を守ることすら忘れて,目先の物欲にそそのかされてしまう,なんともはや情けない姿となりはててしまったものだ,と想念をめぐらせていました。
こんな人間が(若者もふくめて),中国と戦争をやって戦えるわけがない,ということすら判断できないのが,現代日本人のありのままの姿です。自分さえよければほかのことはなにも考えようともしない,そういう自己中心主義が,こんにちのポピュリズムを構築しており,それが日本社会を動かす恐るべき「庶民」の内実である,というわけです。
少数意見の正論を吐く人は,ソクラテスの覚悟をもつこと,つまり,敗者であることも辞さないという自覚をもつこと,これがNさんの言外のメッセージだったようです。
なるほど,覚悟かぁ,とため息をつくばかり。
まだまだ,覚悟が足りない,と自戒。
1 件のコメント:
多数決の原理っていうのは、昔から不思議だっただによぉ。
先見の明ある優れた人物というのは、どう考えても少数なんだに。だから、多数決を採ることが、とても愚かな方法なんだにぉぉぉ。
一つのモノを、二人の子供が取り合いっこして、けんかしてたら、大人は普通、どういうんだにぃぃぃ???
喧嘩して勝った方が・・・なんていわないだによぉぉぉ
「庶」という言い方は、、、
「嫡」と対になるんだにぉぉぉ。。。
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