2012年12月11日火曜日

わが家の冷蔵庫が寿命。省エネものに買い換える。わたしの下半身は筋肉痛で歩行困難。

 選挙戦もいよいよ終盤にさしかかり,もっと熾烈な展開になるかと楽しみにしていたが,早くも週刊誌は原発推進党が圧勝すると書き立てる。なんとも胸くそのわるいこと・・・。こうやって予測という名の世論操作を,マス・メディアはくり返す。それが有権者の無意識を形作る。駅前に立つ候補者の演説にも,最初のうちはかなり大勢の人が立ち止まって耳を傾けていたが,いつのまにか,みんな黙ってとおり過ぎていく。もう,熱が冷めてしまったかのようだ。

 でも,まだまだ予断を許さない,とわたしは考えている。なぜなら,日本国民の半分以上の人たちが,まだ,だれに入れるか決めていないという。しかも,よくよく読んでいくと,脱原発は決めているが,最終的にどの党にするかを考えている,というのだ。この数がどのくらいになるのか,そこのところの数字がでてこない。つまり,そのような調査をしていない,あるいは,わかっていても書こうとはしない,ということだ。なぜ,そこのところをもっと精確に探査し,書こうとはしないのか。そこにたくまざる企みが隠されている・・・と勘繰りたくなる。

 なんとなく,ここにきて選挙もだらけてきてしまったのだろうか。原発推進党の,目先を変える,猫だましのような手が効を奏しているということなのだろうか。論点がどんどん拡大していって,なにが大事なことなのかわからなくしている。その影響からか,とくに,若者の無関心が新聞でとりざたされている。

 そんな世情をよそに,わが家の冷蔵庫にとうとう寿命がきた。壊れた情況を電気屋さんにいって説明したら,直らないことはない,しかし,買うのと同じくらいになってしまいますよ,という。仕方がないので,一年前の製品でダンピング中のものを選んで,発注した。省エネもので評判はいい,という店員さんのお薦めにしたがった。一週間後に配送するという。それが,今日(11日)だった。午後の配送ということで,ようやく冷蔵庫を取り替えて,ほっと一息。

 ところが,である。わたしの大臀筋と両脚のすべての筋肉が,悲鳴をあげている。いってしまえば,下半身全体の筋肉痛。床に落ちている小さなゴミを拾うのも,一大決心しないと拾えない。しゃがみ込むのに時間がかかる。しかも,下半身のありとあよゆる筋肉がぎしぎしと音を立てているよにう感ずる。こういうときは,お風呂に入って,しっかり温めた上で,マッサージやストレッチをしてやればすぐに直ることを知ってはいる。

 だが,それができない。風呂場には山のように本が積み上げてある。この本を片づけないことには,お風呂にも入れない。なんで,そんなところに本を積み上げてしまったのか。

 このマンションに住みはじめて,ことしで15年目。狭いマンションの,どの部屋も,そして,玄関からの通路も,どこもかしこも本だらけ。まずは,玄関のたたきに大きな段ボールの箱で3箱。玄関を上がったところの通路の片側は大きな本箱。その反対側には腰の高さくらいまで本が横にして積んである。そこからはじまって,いわゆる廊下の両側に本が積んであり,人がやっと通れる程度の隙間しかない。それが,冷蔵庫の置いてあるところまで,コの字型に曲がって約8メートルほどつづく。この本の山を一時的に移動させて,スペースを確保しないことには,冷蔵庫さまがお通りになることができない。

 その作業を昨日,一日がかりでやった。ひとりで。ついでにたまっていた新聞も束にして,リサイクル置き場まで運んだ。この新聞の束だけで,なんと8束。9階からゴミ収集場まで,8往復。ついでに,空き箱もつぶして,束にして下まで運ぶ。こちらは3回。たまりにたまったゴミがほかにもたくさん。大掃除とまではいかないまでも,その手前くらいのところまで手を広げて,廃棄処分を行った。そして,最後の作業が,山積みになっていた本を,手でもてるていどの分量にわけて,少しでも空いている部屋のあちこちに詰め込む。それでも入らなくなって,とうとう風呂場に,一時的に積み上げたという次第。終わったら,夜中の3時だった。

 疲労困憊して(ほんとうに久し振りに筋肉労働をした),そのまま,バッタン・グー。
 今日の朝9時には配送担当者から電話が入り,午後の便で配送するという。それから,最終的なチェックをしてみる。冷蔵庫さまのお通りになる廊下の幅が十分かどうか,物差しで確認。なんとかなりそうだ,とわかり安心。正午ころになったら,アレレッ? 下半身の動きがヘンだ。素直に動いてくれない。強烈な筋肉痛だ。それも超弩級の筋肉痛だ。時間とともに痛みはひどくなる。そうこうするうちに,配送屋さんが到着。

 冷蔵庫さまは,準備万端,通路を整えた甲斐があって,あっさりと引き取られ,いとも簡単に新しいものが運び込まれた。そして,あっという間に引き上げていった。

 道具(事物)はいい。壊れたら取り替えればいい。しかし,人間さまのからだはそうはいかない。どんなに筋肉痛で悲鳴をあげようが取り替えるわけにはいかない。じっと我慢して,回復を待つ以外にはない。なにはともあれ,風呂場に持ち込んだ本だけでも,大急ぎで取り出さなくてはならない。が,からだは動かない。大した肉体労働でもなかったはずなのに,この筋肉痛はなんだ。身動きとれないほどの痛みではないか。そんな自分のからだと向き合って,しばし,茫然としてしまう。いよいよ,わたしのからだも寿命が近いということか。でも,それだけは認めたくない。

 部品の取り替えもできないわたしのからだ。だとしたら,あとは騙しだまし,上手に折り合いをつけながら,仲良くやっていくしか方法はない。

 太極拳で鍛えた下半身に,最近では,かなり自信をもっていただけに,やはりショックは隠せない。

 あまり無理をすることなく,上手に付き合っていくことにしよう。はたして,今日,取り替えた冷蔵庫さまと,わたしのからだと,どちらが丈夫で長持ちするのだろうか,と大まじめに考えてしまった。これが,いまの,わたしの現実。この筋肉痛,いつまでつづくのだろうか。明日は太極拳の稽古の日。この稽古をとおして,うまく,クリアできるのではないかと大いに期待しているところ。

 とまあ,私的な,きわめて私的なお話。今日のところはここまで。

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