世の中は不思議なことがありすぎて,わたしなどは,もはやついてはいけないことが日々,多くなってきて困っています。たとえば,こんなことがありました。
今日(17日),フランスのパリに滞在しているNさんからメールが入り,NHKのテレビ・ニュース(6月15日朝放映)に「ばっちり映っていましたよ」と教えてくれました。まさか,あのNHKが「96条の会」のシンポジウムを取り上げるなどとは夢にもおもっていませんでしたので,びっくり仰天です。それにしても,なぜ,パリから?
こういう時代なのでしょうか。国内にいようが,いまいが,情報の流れはどこにいようとほとんど変わらない,ということ。つまり,こちらのレシーパーの感度の問題だ,ということ。レシーバーの感度が鈍ってしまったら,どこにいようが同じこと。情報を選びとる時代を生きるということは,こういうことなのだ,とまずは覚悟する必要がありそうです。
ちなみに,Nさんは「96条の会」の発起人のひとり。ですから,いま,パリに滞在していても6月14日に行われた上智大学での「96条の会」発足記念シンポジウムが,どのようななりゆきであったのか,ずっと気になっていたのだとおもいます。ですから,そこにアンテナを張っていたら,必要な情報が飛び込んできた,ということのようです。いまや,世界のどこにいようとも,必要な情報を得ようと思えば,いかようにもなる,そういう時代なのだ,ということをいまさらのように知らしめられたできごとでした。いまや,情報は「受け身」ではなく,積極的に自分の意思で「探索する」時代に入ったということの典型的な事例に出くわしたという次第です。
ちなみに,ニュースの映像を確認したい方は以下のアドレスでどうぞ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/2013615/k10015318441000..html
ほんの一瞬ですが,なるほど,わたしが映っています。それを目敏く見つけたNさんの眼力に敬服です。たぶん,わたしが家のテレビでみていたとしても,気づかなかったのではないかとおもいます。なにせ,わたしの親しくしている友人たちからも,なんの連絡も入りませんでした。だれも気がつかなかった,ということなのでしょう。
わたし自身は,最近は,NHKのニュースをほとんど見なくなってしまいました。なぜなら,腹が立って腹が立って仕方がないからです。いま,なぜ,このニュースなのか,と。もっと重要なニュースがあるだろうに。ディレクターはなにを考えているんだ,とまたまた吼えてしまうからです。ならば,見ない方が精神衛生上いい,と判断しました。その代わりに,インターネットで,こちらの知りたい情報だけを,選んで読むことの方が健全ですし,ネット検索をとおして,みずからの思考を練り上げることも可能だからです。この方法の方がはるかに世界の動向を見極めるには有効だということもわかってきました。
こんな個人的なことを書いたのはほかでもありません。わたしたちが日常的に受け止めている情報には限りがあるということを再確認しておきたかったからです。つまり,その限られ情報にもとづいて自分の見解を構築し,行動しているという事実を,そして,それ以外には方法はないという事実を,あえて再確認しておきたかったからです。すなわち,人間が生きるということは,どこまでいっても「ドグマ的」である,ということです。
いま,パリにいるNさんが,早くから,ピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」に注目し,多くの翻訳本を世に送り出していることもよく知られているとおりです。しかも,あえて,みずから「日本ドグマ人類学会事務局」を任じていることも,こういうことをとおして納得させられてしまいます。もっとも,Nさんは,ルジャンドルのいう「ドグマ」ということばの正しい意味での解釈をした上での,独特の運動を展開なさっていることを断っておきたいとおもいます。
ルジャンドルで検索すれば,ここで言う「Nさん」がだれであるかも自明のことです。ついでに,るじりんどるの本もぜひお薦めですので,読んでみてください。たくさんの翻訳本が,いま,書店に並んでいます。
Nさん,いまごろは,ひょっとしたらルジャンドルとワインでも傾けながら楽しい会話がはずんでいるかもしれません。ワインもほんのちょっぴり舐める程度にしか飲めないNさんではありますが・・・。でも,一献傾けながらの雰囲気を存分に満喫する「わざ」も心得ていらっしゃるNさんです。短期の外国出張ですが,どうぞ,お元気で,パリの生活をエンジョイしてきてください。
また,7月からの名講義をお待ちしています。
なにか,気がつけば,Nさんへのメールの応答をしているようなブログになってしまいました。お許しのほどを。
今日(17日),フランスのパリに滞在しているNさんからメールが入り,NHKのテレビ・ニュース(6月15日朝放映)に「ばっちり映っていましたよ」と教えてくれました。まさか,あのNHKが「96条の会」のシンポジウムを取り上げるなどとは夢にもおもっていませんでしたので,びっくり仰天です。それにしても,なぜ,パリから?
こういう時代なのでしょうか。国内にいようが,いまいが,情報の流れはどこにいようとほとんど変わらない,ということ。つまり,こちらのレシーパーの感度の問題だ,ということ。レシーバーの感度が鈍ってしまったら,どこにいようが同じこと。情報を選びとる時代を生きるということは,こういうことなのだ,とまずは覚悟する必要がありそうです。
ちなみに,Nさんは「96条の会」の発起人のひとり。ですから,いま,パリに滞在していても6月14日に行われた上智大学での「96条の会」発足記念シンポジウムが,どのようななりゆきであったのか,ずっと気になっていたのだとおもいます。ですから,そこにアンテナを張っていたら,必要な情報が飛び込んできた,ということのようです。いまや,世界のどこにいようとも,必要な情報を得ようと思えば,いかようにもなる,そういう時代なのだ,ということをいまさらのように知らしめられたできごとでした。いまや,情報は「受け身」ではなく,積極的に自分の意思で「探索する」時代に入ったということの典型的な事例に出くわしたという次第です。
ちなみに,ニュースの映像を確認したい方は以下のアドレスでどうぞ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/2013615/k10015318441000..html
ほんの一瞬ですが,なるほど,わたしが映っています。それを目敏く見つけたNさんの眼力に敬服です。たぶん,わたしが家のテレビでみていたとしても,気づかなかったのではないかとおもいます。なにせ,わたしの親しくしている友人たちからも,なんの連絡も入りませんでした。だれも気がつかなかった,ということなのでしょう。
わたし自身は,最近は,NHKのニュースをほとんど見なくなってしまいました。なぜなら,腹が立って腹が立って仕方がないからです。いま,なぜ,このニュースなのか,と。もっと重要なニュースがあるだろうに。ディレクターはなにを考えているんだ,とまたまた吼えてしまうからです。ならば,見ない方が精神衛生上いい,と判断しました。その代わりに,インターネットで,こちらの知りたい情報だけを,選んで読むことの方が健全ですし,ネット検索をとおして,みずからの思考を練り上げることも可能だからです。この方法の方がはるかに世界の動向を見極めるには有効だということもわかってきました。
こんな個人的なことを書いたのはほかでもありません。わたしたちが日常的に受け止めている情報には限りがあるということを再確認しておきたかったからです。つまり,その限られ情報にもとづいて自分の見解を構築し,行動しているという事実を,そして,それ以外には方法はないという事実を,あえて再確認しておきたかったからです。すなわち,人間が生きるということは,どこまでいっても「ドグマ的」である,ということです。
いま,パリにいるNさんが,早くから,ピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」に注目し,多くの翻訳本を世に送り出していることもよく知られているとおりです。しかも,あえて,みずから「日本ドグマ人類学会事務局」を任じていることも,こういうことをとおして納得させられてしまいます。もっとも,Nさんは,ルジャンドルのいう「ドグマ」ということばの正しい意味での解釈をした上での,独特の運動を展開なさっていることを断っておきたいとおもいます。
ルジャンドルで検索すれば,ここで言う「Nさん」がだれであるかも自明のことです。ついでに,るじりんどるの本もぜひお薦めですので,読んでみてください。たくさんの翻訳本が,いま,書店に並んでいます。
Nさん,いまごろは,ひょっとしたらルジャンドルとワインでも傾けながら楽しい会話がはずんでいるかもしれません。ワインもほんのちょっぴり舐める程度にしか飲めないNさんではありますが・・・。でも,一献傾けながらの雰囲気を存分に満喫する「わざ」も心得ていらっしゃるNさんです。短期の外国出張ですが,どうぞ,お元気で,パリの生活をエンジョイしてきてください。
また,7月からの名講義をお待ちしています。
なにか,気がつけば,Nさんへのメールの応答をしているようなブログになってしまいました。お許しのほどを。
0 件のコメント:
コメントを投稿