2013年6月25日火曜日

田中英光の短編小説『桜』を読む。

 今週末に予定されている『スポーツする文学 1920-30年代の文化詩学』(疋田雅昭/日高佳紀/日比嘉高編著,青弓社,2009年)をテクストにした研究会(「ISC・21」6月奈良例会)が近づいてきて,なんとなくわくわくしはじめています。なぜなら,このテクストの編著者たちのお話が伺えるということなので,こんなありがたい話はないと思うからです。

 以前から,この本の存在は気がかりになってはいましたが,なかなか踏み込んで読む,というところまではいかないままでじた。が,今回の奈良例会では,世話人の井上邦子さんが,このテクストの編著者のひとり日高佳紀さんと連絡をとってくださり,うまくことが運びました。ほかの編著者の方たちも2名ほど参加してくださるとのことですので,われわれとしても失礼のないように・・・・と考えている次第です。

 詳しい情報は,「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)のホーム・ページの「掲示板」にアップされていますので,そちらをご覧ください。

 で,わたしに与えられた役割は,このテクストの最後の章「スポーツしない文学者──祭典の熱狂から抜け落ちる『オリンポスの果実』」(疋田雅昭)のコメンテーター。とはいっても内輪の小さな研究会ですので,学会やシンポジウムなどとは違って,ごくアットホームな雰囲気のなかでの話題の提供。でも,一応は他流試合のような「場」になることは間違いないので,それなりのマナーは必要かと考え,できるだけの準備はしていこうと考えているわけです。

 といいますのは,このテクストの著者のみなさんは日本文学の専門家ばかり。それに引き換え,わたしたちはスポーツ史・スポーツ人類学・スポーツ文化論をフィールドにして研究をしてきたグループです。ですから,言ってしまえば,視点が間逆になっている,と言ってもいいかもしれません。たとえば,わたしたちは「スポーツ」という窓口から「文学」に踏み込んでいくのに対して,このテクストの著者の方たちは「文学」を拠点にしながら「スポーツ」を読み解く,というように。

 ですから,わたしたちに不足するものは「文学」についての基礎的な教養です。そのギャップを埋める努力はしておかなくては・・・とわたしなりに考えているところです。そんなわけで,まずは,書店で手に入った『桜・愛と青春と生活』(田中英光著,講談社学芸文庫,1992年)を読みはじめました。その冒頭に「桜」が載っています。田中英光という作家の出自を知る上では,なかなかいいテクストではないかと思いました。その冒頭の書き出しは以下のようです。

 「ぼくの家の祖先は伊予の国の住人,河野通有だということである。もちろん,系図などある家柄ではないから,確な保証はできないけれども,幼年時に,父からなんども直接聞いた話だから,間違いないことだと自分では信じている。歴史家であった父は,ぼくの十二のとしに,悲しくも,この世を去り,母は頭が古すぎ,兄はまた新しすぎて,それぞれ家系などに興味はないようであるから,いま,東京に手紙を出しても,簡単に確める方法はない。けれども,ぼくの記憶に残る父の話をいくらか思い出してみると,とあれ,伊予の国から土佐の国に移り,岩川氏を名乗ったのは,そう古いことではないようだ。
 むろん新しいと言っても戦国時代以後のことではあるまい。長曽我部氏が覇(は)を称(とな)える以前に,土佐に移り,長曽我部氏に亡ぼされた,確か豪族の遺臣であったように思う。だから,長曽我部浪人には関係なく,まして,関ヶ原以後移住してきた山内家の上士にもなれなければ,下士でもなかった訳げある。」

 少し長くなってしまいましたが,こういう家柄の出身であるということを,田中英光ははっきりと意識していたということは注目していいのではないか,とおもいます。かれの父親は長男であるにもかかわらず,家出をして上京し,苦労の末に,高級官僚としての出世街道を走ります。もう少しだけ,さきの引用のあとを書いておきたいとおもいます。

 「高知から四里ばかり離れた,土佐山村という,まったくの山の中に引っ込んで,近世は代々農(のう)をももって生活を営(いと)なんでいたらしい。しかし,まったくの農夫になり切らなかったということは,ぼくの曾祖父さんが村の神主をしていたという事実だけでもわかる気がする。曾祖父の岩川秀彬は関山と号する漢詩人で,村の寺子屋の先生もしていて,儒書(じゅしょ)をもっぱら講じていたらしいが,それより,亡父がいつも自慢にしていたのは,熱心な国学者で,したがって,その時代としては立派な尊王家であったということだ。」

 こんなことを知ると,やはり田中英光という作家も,相当の家柄の出身であることがわかってきます。土佐の山奥の出でありながらも,そのむかしは相当の名のある豪族であったこと,だからこそ,こんな山奥まで逃げのびる必要があったこと,もみえてきます。むかしから,山奥から偉大な人物が輩出することはよく知られているとおりです。

 この短編小説は,このあと,作家の記憶を頼りに「岩川家」にかかわる人脈や出来事が,かなり露骨に描かれていきます。そして,最後には,父が出奔した土佐山村の実家まで,尋ねていきます。そして,そこでの感慨がみごとな描写になっていて,読む者のこころを打ちます。

 その一端を引いて,このブログを閉じたいとおもいます。

 「山高く水清いこの土地で,父が燃やした世俗的な野心は,かえってお初さんの忍従さに負けた気さえした。いや,父ばかりではなく,当時の地方の新青年たちは,なにを追って東京市に出ていき,東京であくせく闘ってきたのであろう。政治,学問,芸術,それら純粋なるべきものの,かえって不純な姿を,お初さんの無言実践十年の婦道(ふどう)に較べてみた。ぼくは,お初さんの行き方ほど,清潔で緩みのないものをぼくは知らなかった。金のためでも名のためでも欲情のためでもなく,お初さんは日本の血と土地,そのままに生きてきた。」

 ※お初さんとは,田中英光のいとこの嫁。つまり,父が出奔してしまったために,父の弟が跡を継ぎ,その息子が跡を継いでいる。が,ここには大きな悲劇があった。父の弟が病に倒れ,その跡取り息子が発狂してしまう,という事件が起きる。田中英光の父親は驚いて駆けつけ,その場で,なにをやっていたのだと弟を叱責します。そのために弟は首をつってしまいます。病に倒れた父もまもなく死んでしまいます。残されたのは,発狂したままのいとことその嫁のお初さんと息子(12歳)だけ。お初さんは発狂したままの夫の世話をしながら,農業に勤しみ,息子と二人でこの家を守っています。このお初さんの「自然そのままに生きて」いる姿に,田中英光は感動してしまいます。その描写が,最後のクライマックスとなります。

 ※わたしにはとてもいい小説だと思いましたが,解説を書いた川村湊は,なぜか上から目線で田中英光を見下ろすような論評をしています。なにかないものねだりをしているように見受けられたのですが,これは,わたしとは立場が違うから,という単純な問題ではないと考えています。シモーヌ・ヴェイユが『根をもつこと』のなかで主張していることと,どこかで響き合うものが,わたしには感じられ,川村湊の論評には賛同しかねます。もちろん,素晴らしい指摘がたくさんあって,とても勉強になることは間違いありませんが・・・・。それでも,最終的に田中英光という作家をどう評価するのか,という点ではまったく違う結果になってしまいます。

 ※こういうところまで降りていって,『オリンポスの果実』をどう読むかという議論ができると面白いと考えています。

コメントを投稿