40半ばのロック歌手の知人と,久し振りに会って話をする機会があった。そのときに,そのロック歌手がとても面白い経験を話してくれた。かれの言うには,自分でもよくわからないが,どことなく快感で,どことなく空恐ろしい,そんな感覚がミックスしているようなところに,いま,おれは飛び出してきて,毎晩,ワクワクしながら真暗な森の闇のなかで練習している,という。
中学生のときに衝撃的なロックとの出会いがあって,高校生でロックで生きていくことを決意。以後,勉強もそっちのけでロックに全身全霊で没入。それまでは優等生で両親の期待を裏切ることになった,という(この話はご両親からも伺っている)。デビューしてまもなくはそれなりに人気もあって,よし,東京で勝負と決意して上京。必死で頑張ったが,夢敗れて帰郷。その後も,郷里でアルバイトをしながら地味にロックのライブをつづけてきた。
売れても売れなくてもいい。おれは一匹狼でかまわない。みじから信ずるロックを追求し,それを人に聞いてもらう,それだけでもいい。おれは百獣の王ライオンだ。この高みから吼えるロックはなかなか理解してもらえなくても仕方がないだろう。それでもなお,汚れきった世の中に向かって,あるいは,だらけきった人間に向かって,「それは違うだろうっ!」と鬱積する自分のこころを聴衆にぶっつけることに集中する。そういう自己と真剣に向き合うことをみずからに課してきた。それこそが理想のロッカーの生き方だと信じた。このコンセプトが自分のロックを支えてきた。それだけで,大満足だった。日々のつらいことも乗り越えることができた。
その練習場として借りていた山羊小屋が解体されることになり,突然,その小屋から追い出されることになった。仕方がないので,近くに墓場のある森のなかの闇夜で練習をしているという。それもたった一人で。山羊小屋の解体とともに,バンド仲間もいつしか解体していた。長年の同志だったが,やはり,家庭の事情や考え方にも少しずつ差異が生まれていた。それも仕方のないことだ,と自分でも納得できた。しかし,おれは百獣の王ライオンだ。どんなことがあってもくじけはしない。最後まで自分の意思を貫くつもりだ。それで野垂れ死にしても構わない。自分の生をまっとうしたい。それが「生きる」ということだ。最後まで一本の道を貫いて生きとおしたい。
だから,いまは,たった一人で,毎晩,その森のなかに分け入っていって練習をしている,という。そうしたある夜,闇のなかに光る眼が近くでじっと動かないでいることに気づく。どうやら猫らしい。こちらは無視して練習に集中している。猫はじっと聞いているのか,と気づく。えっ,どうして?と変な気持ちになる。この猫が現れる夜も現れない夜もある。が,現れたときにはじっと聞いているとしか思えない,そういう気配が伝わってくる,という。それが最初のきざしだった。
そのうちに,夜の闇全体が,おれの音楽に耳を傾けているのではないか,ということに気づく。近くの木も遠くの木も,そして,その枝や葉っぱも,みんな聞いている。足元の草むらも,石ころも,みんな一体になっているような気がする。こちらが音を出すと,それにみんなが耳を傾けてくれる。その雰囲気がおれに跳ね返ってくる。それに刺激されて,いつのまにかおれも夢中になって音を出している。森全体と,闇全体と,おれとが一体化していると感ずる。
そんな夜がつづいたある夜、突然,気づく。おれは百獣の王ライオンではなくなっている,と。これまでのように,こちらから一方的に吼えているだけではない,と。得体のしれない存在全体からの応答に自分が反応し,そこからおれの音楽がはじまっている,と。おれは,おれが音を出して,おれを取り囲む森の闇夜に音楽を聞かせてやっていると思っていたが,気づいたら,音を出せと促され,音楽をやらされている,と気づく。おれはロックをやっていると思ってきたが,そうではない,いつのまにかロックをやらされている。この感覚はなんだ?と気づいたときから,おれの音楽が変わりはじめた。いまは,どんな音が飛び出してくるか,そのときになってみないと自分でもわからない。それが,たまらなく快感であり,同時に,空恐ろしくもある。でも,明らかにこれまでとはまったく違う次元に突入したと思っている。もう,前に進むしかない,と覚悟している。
さらに,極めつけのことばを吐いた。
山羊小屋で練習しているときはなにも思っていなかったが,どうやら,その山羊小屋で飼育され,人間に食べられていった山羊たちの霊魂がおれに乗り移ってきたのではないか,と思う。山羊は食べられる時を知っているという。明日はいよいよ食べられてしまうという日は,一日中,「めえー,めえー,めえっ,めえー,めえっ,めえっ」と鳴きつづけると聞いている。そうして「食べられて」しまった山羊たちの霊魂があの小屋にはいっぱい宿っていたのではないのか,そして,おれたちの練習を聞いていたのではないか,と思う。
その霊魂たちも小屋の解体とともに居場所を失った。どこに行けばいい,と路頭に迷ったはずだ。そうしたら,そんなに遠くない森のなかから,どこかで聞いたような音が聞こえるではないか。よし,あそこだ,というわけで押し寄せてきて,そこにたったひとりで音を出しているおれのからだに乗り移ったのではないか。そう思ったときには鳥肌が立った。どうしようかと思った。でも,ロックは止められない。おれひとりでもやっていく。だったら,この山羊たちの霊魂と運命共同体となればいい,と覚悟する。
それと同時に,ある強烈なメッセージが山羊たちの霊魂から届いた。「明日は食べられてしまうと思って音を出せ」と。もう,今夜限りだと覚悟を決めて音を出せ,と。そうか,おれは甘かった,と気づく。これまでは,おれが作詩・作曲して,おれが演奏し,おれが歌うことによって百獣の王ライオンであると信じてきた。しかし,それは違うのではないか,と。明日なき「生」を生きる,ぎりぎりのエッジに立って,いま,この瞬間,瞬間に飛び出してくる音だけがすべてだ,と。このことを山羊の霊魂たちに教えられた。
おれは百獣の王ライオンだと信じてこれまでロックをやってきたが,気づいてみたら,いまや立派な山羊になっていた。明日は食べられてしまう山羊のこころになってロックをやる。このことがなにを意味しているのか,おれにはよくはわからない。でも,この方がはるかに自然な気がする。そして,この方がワクワク・ドキドキ感があって,どこか空恐ろしいが同時に楽しい。
最後には,もっと踏み込んだ話をしてくれた。おれはどうも自分がなくなっていくような気もする。まるで「無」の境地に近づいていくような気がする。これってなんだろうと思いながら,しばらくは仲良く付き合おうと思っている,とも。わたしは,ただ,ひたすら,感心しながら聞き入っていた。この男,いいところにやってきたなぁ,と。これからが,いよいよかれの持ち味全開のロックの表出となることだろう,と思いながら。そうして,最後は,自分の吐いたことばに,じっと耳を澄ますようにして黙り込んでしまった。これ以上はことばにすることはできない,というサインだとわたしは受け止めた。
とてもいい話をしてくれてありがとう,とこころからお礼を述べてこの場を終わりにした。
ほんとうは,かれの話を,わたしのことばで解説したいという欲望が強烈に湧いてきたが,ここは禁欲することにした。黙っていても,かれはかれのやり方で,もっともっといい地平に躍りだすことは間違いないのだから。
どの世界にあっても,しっかりと対象をみつめ,地道に血のにじむような努力を積み重ねると,人間はみんな同じ「場所」に到達するんだなぁ,としみじみ思う。このロック歌手にこころからのエールを送りたい。
中学生のときに衝撃的なロックとの出会いがあって,高校生でロックで生きていくことを決意。以後,勉強もそっちのけでロックに全身全霊で没入。それまでは優等生で両親の期待を裏切ることになった,という(この話はご両親からも伺っている)。デビューしてまもなくはそれなりに人気もあって,よし,東京で勝負と決意して上京。必死で頑張ったが,夢敗れて帰郷。その後も,郷里でアルバイトをしながら地味にロックのライブをつづけてきた。
売れても売れなくてもいい。おれは一匹狼でかまわない。みじから信ずるロックを追求し,それを人に聞いてもらう,それだけでもいい。おれは百獣の王ライオンだ。この高みから吼えるロックはなかなか理解してもらえなくても仕方がないだろう。それでもなお,汚れきった世の中に向かって,あるいは,だらけきった人間に向かって,「それは違うだろうっ!」と鬱積する自分のこころを聴衆にぶっつけることに集中する。そういう自己と真剣に向き合うことをみずからに課してきた。それこそが理想のロッカーの生き方だと信じた。このコンセプトが自分のロックを支えてきた。それだけで,大満足だった。日々のつらいことも乗り越えることができた。
その練習場として借りていた山羊小屋が解体されることになり,突然,その小屋から追い出されることになった。仕方がないので,近くに墓場のある森のなかの闇夜で練習をしているという。それもたった一人で。山羊小屋の解体とともに,バンド仲間もいつしか解体していた。長年の同志だったが,やはり,家庭の事情や考え方にも少しずつ差異が生まれていた。それも仕方のないことだ,と自分でも納得できた。しかし,おれは百獣の王ライオンだ。どんなことがあってもくじけはしない。最後まで自分の意思を貫くつもりだ。それで野垂れ死にしても構わない。自分の生をまっとうしたい。それが「生きる」ということだ。最後まで一本の道を貫いて生きとおしたい。
だから,いまは,たった一人で,毎晩,その森のなかに分け入っていって練習をしている,という。そうしたある夜,闇のなかに光る眼が近くでじっと動かないでいることに気づく。どうやら猫らしい。こちらは無視して練習に集中している。猫はじっと聞いているのか,と気づく。えっ,どうして?と変な気持ちになる。この猫が現れる夜も現れない夜もある。が,現れたときにはじっと聞いているとしか思えない,そういう気配が伝わってくる,という。それが最初のきざしだった。
そのうちに,夜の闇全体が,おれの音楽に耳を傾けているのではないか,ということに気づく。近くの木も遠くの木も,そして,その枝や葉っぱも,みんな聞いている。足元の草むらも,石ころも,みんな一体になっているような気がする。こちらが音を出すと,それにみんなが耳を傾けてくれる。その雰囲気がおれに跳ね返ってくる。それに刺激されて,いつのまにかおれも夢中になって音を出している。森全体と,闇全体と,おれとが一体化していると感ずる。
そんな夜がつづいたある夜、突然,気づく。おれは百獣の王ライオンではなくなっている,と。これまでのように,こちらから一方的に吼えているだけではない,と。得体のしれない存在全体からの応答に自分が反応し,そこからおれの音楽がはじまっている,と。おれは,おれが音を出して,おれを取り囲む森の闇夜に音楽を聞かせてやっていると思っていたが,気づいたら,音を出せと促され,音楽をやらされている,と気づく。おれはロックをやっていると思ってきたが,そうではない,いつのまにかロックをやらされている。この感覚はなんだ?と気づいたときから,おれの音楽が変わりはじめた。いまは,どんな音が飛び出してくるか,そのときになってみないと自分でもわからない。それが,たまらなく快感であり,同時に,空恐ろしくもある。でも,明らかにこれまでとはまったく違う次元に突入したと思っている。もう,前に進むしかない,と覚悟している。
さらに,極めつけのことばを吐いた。
山羊小屋で練習しているときはなにも思っていなかったが,どうやら,その山羊小屋で飼育され,人間に食べられていった山羊たちの霊魂がおれに乗り移ってきたのではないか,と思う。山羊は食べられる時を知っているという。明日はいよいよ食べられてしまうという日は,一日中,「めえー,めえー,めえっ,めえー,めえっ,めえっ」と鳴きつづけると聞いている。そうして「食べられて」しまった山羊たちの霊魂があの小屋にはいっぱい宿っていたのではないのか,そして,おれたちの練習を聞いていたのではないか,と思う。
その霊魂たちも小屋の解体とともに居場所を失った。どこに行けばいい,と路頭に迷ったはずだ。そうしたら,そんなに遠くない森のなかから,どこかで聞いたような音が聞こえるではないか。よし,あそこだ,というわけで押し寄せてきて,そこにたったひとりで音を出しているおれのからだに乗り移ったのではないか。そう思ったときには鳥肌が立った。どうしようかと思った。でも,ロックは止められない。おれひとりでもやっていく。だったら,この山羊たちの霊魂と運命共同体となればいい,と覚悟する。
それと同時に,ある強烈なメッセージが山羊たちの霊魂から届いた。「明日は食べられてしまうと思って音を出せ」と。もう,今夜限りだと覚悟を決めて音を出せ,と。そうか,おれは甘かった,と気づく。これまでは,おれが作詩・作曲して,おれが演奏し,おれが歌うことによって百獣の王ライオンであると信じてきた。しかし,それは違うのではないか,と。明日なき「生」を生きる,ぎりぎりのエッジに立って,いま,この瞬間,瞬間に飛び出してくる音だけがすべてだ,と。このことを山羊の霊魂たちに教えられた。
おれは百獣の王ライオンだと信じてこれまでロックをやってきたが,気づいてみたら,いまや立派な山羊になっていた。明日は食べられてしまう山羊のこころになってロックをやる。このことがなにを意味しているのか,おれにはよくはわからない。でも,この方がはるかに自然な気がする。そして,この方がワクワク・ドキドキ感があって,どこか空恐ろしいが同時に楽しい。
最後には,もっと踏み込んだ話をしてくれた。おれはどうも自分がなくなっていくような気もする。まるで「無」の境地に近づいていくような気がする。これってなんだろうと思いながら,しばらくは仲良く付き合おうと思っている,とも。わたしは,ただ,ひたすら,感心しながら聞き入っていた。この男,いいところにやってきたなぁ,と。これからが,いよいよかれの持ち味全開のロックの表出となることだろう,と思いながら。そうして,最後は,自分の吐いたことばに,じっと耳を澄ますようにして黙り込んでしまった。これ以上はことばにすることはできない,というサインだとわたしは受け止めた。
とてもいい話をしてくれてありがとう,とこころからお礼を述べてこの場を終わりにした。
ほんとうは,かれの話を,わたしのことばで解説したいという欲望が強烈に湧いてきたが,ここは禁欲することにした。黙っていても,かれはかれのやり方で,もっともっといい地平に躍りだすことは間違いないのだから。
どの世界にあっても,しっかりと対象をみつめ,地道に血のにじむような努力を積み重ねると,人間はみんな同じ「場所」に到達するんだなぁ,としみじみ思う。このロック歌手にこころからのエールを送りたい。
1 件のコメント:
涙が溢れるだによ。。。
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