2013年6月20日木曜日

脱原発の報道が激減し,原子力ムラが復活する,この不気味さ。

 原発再稼働の申請が出されたとか・・・・・。原子力規制委員会が大飯原発再稼働を容認する方向だとか・・・・。死んだふりをしていた原子力ムラがふたたび機能しはじめたとか・・・・。安倍首相は「死の商人」と化して原発のセールス・ゲームに夢中だとか・・・・。

 その一方で,脱原発の声はかき消されてしまっている(『東京新聞』「社会時評」吉見俊哉・「かき消される脱原発の声」「事故の教訓手放さない」18日夕刊)。

 喉元すぎれば熱さ忘れる,という。だから人間は大きな悲劇をやり過ごして,生きていくことができる,ともいう。しかし,忘れてはいけない記憶・教訓まで忘れてはいけない。自分の首を締めたり,子どもたちの命を縮めてしまうようなカタストローフは,どんなことがあっても回避しなければいけないし,忘れてはいけない。なのに,いまの政府自民党は,すでに綻びをみせはじめた「アベノミクス」を旗印にして,そのカタストローフに向かって一直線。脇目もふらず猛進(盲進?)している,かにみえる。

 その頃合いやよしと判断したのか,しばらく死んだふりをしていた原子力ムラがふたたび息を吹き返し,表立って動きはじめている・・・・という。その顕著な例が原発再稼働への一連の流れだ。これから夏場に向かって,まざに出番だとばかりに・・・。

 そういえば,最近のデパートは以前にも増して「明るい」。どうみても過剰照明だ。その上,エアコンが過剰に効いている。老人は5分いるとからだが冷えてしまって,どうにもならない。スーパー・マーケットも同じだ。汗ばんだからだは一気に冷えてしまって,寒い。寒いから外に飛び出す。ほっとする。電車も同じ。駅舎もぐんと明るくなった。エアコンもがんがん効かせていて寒い。だから,常時,上着をもっていないと,都心にでることもできない。

 なんという矛盾。電気をもっと使え,とどこかから指令がでているのではないか。そして,電力不足を「記事」にして,やはり,原発再稼働は必要なのだ,と。みえみえの仕掛け。

 折も折,官房機密費が年間約12億円が支出されているという報道。どこに,どう使おうと一切公表する必要のないカネだという。闇から闇へ。一部の報道では選挙資金にも流れている,とか。一ヶ月約1億円。メディア対策に用いられてもなんの不思議もない。いまや政治はメディア頼みの時代だ。わざわざメディアの眼を引くような「事件」まででっち上げる時代だ。

 選挙運動で候補者に限りインターネットを利用することができる,とわざわざ法律までつくった。ついに「メディア・政治共同体」を構築し,政治が世論を積極的に操作する時代に突入してしまった。それでいて,監視の眼を張りめぐらせる,という。このときの「監視の眼」とは,だれにとっての「監視」なのか。こちらも原子力規制委員会と似たようなものになりかねない。ならば,いっそのこと選挙民にもインターネットを解放して,選挙運動を展開できるようにすればいいのに。そして,とことん「メディア合戦」をやればいい。選挙が面白くなる。若者も参入(乱入)すること間違いなし。

 それにしても,脱原発運動の報道がほとんど眼につかなくなってしまった。吉見俊哉氏が憂えるのもうなづける。わたしは吉見氏とは違ってもっと下品な「勘繰り屋」だから,原子力ムラと官房機密費が手を組んで「脱原発運動」つぶしにかかってきたか,とまことに「素直に」そう思う。こうして,いつのまにやら脱原発運動も終ったらしい,と世間に思わせれば,すべて「めでたし,めでたし」,ということらしい。

 しかし,そうは問屋が卸さない。毎週金曜日には首相官邸前での集会は絶えることなくつづいている。そして,それ以外の場所でも脱原発運動は,さまざまなやり方で展開している。ただ,メディアが無視するだけである。なぜ,メディアは無視するのか。メディアも立派な原子力ムラの一員であるからだ。

 これまでも何回も書いてきたが,原子力ムラとは,政界・財界・学界・報道界・官界の「五位一体」となった運命共同体なのだ。言ってしまえば,わたしたち「世俗界」は八方塞がりになっているということだ。つまり,完全に包囲されてしまっているのだ。それでも,原発は危ない装置なのだということが眼の前で証明されてしまうと,さすがの原子力ムラの「住民」も,一時的に「避難」して,死んだフリをしていた。ところが,頃合いやよし,ということになるとまたぞろ動きはじめる。

 これから一ヶ月。フクシマ,東北復興,沖縄基地,尖閣,TPP,ロシア,憲法,選挙の格差,原発,医療,介護,貧富の格差,正社員とそれ以外,学校教育,体罰,不祥事の連鎖,等々の多岐にわたる政治課題に,とりあえずの結論を出さなくてはならない。幸いなるかな,このところの地方選挙では自民党が大敗している。

 メディアが無視しているだけで,意外に「民意」はしっかりしているのかもしれない。

 わたしの選択の基準は簡単明瞭。いのちとカネとどちらを大事と考えるか。ドイツは「いのち」を選んだ。アメリカは「カネ」に執着している。アベノミクスは「カネ」のみ。「いのち」はいらないらしい。原子力ムラは自分の「ふところ」が温まればそれでいい,お互いの傷を舐め会う「仲良しクラブ」,人非人の集団。

 生きていてこそ「なんぼのもの」。カネが浴びるほどあっても放射能で汚染されたら「おしまい」。生身の人間として「生きる」こと,そこに「根」をはり,互助精神と情愛を軸に社会を再構築する,そのことを最優先する政治家がでてこないか。首を長くして待っているのに・・・・。新人よ,いでよ。インターネットだけで選挙運動もできる。若者の出番だ。ネットの威力を見せつける絶好のチャンスだ。

 それにしても,不気味な雰囲気が,いま,日本の社会を覆っている。この不気味さを取っ払うこと,その第一歩は「脱原発」。すべては,そこから,とわたしは考えている。断じて原子力ムラを復活させてはならない。

何回も言っておこう。「脱原発」からの世直し。出直し。原子力ムラという「妖怪」をつぶすこと。


コメントを投稿